02
少し考え、
「そうですね、そのようなものです」
人好きの良い笑みを浮かべ、美織はそう言って曖昧に誤魔化した。
「これですとあくまで応急処置ですので、無理をすれば当然悪化します。今日は休んだ方が良いかと。患部は痛みが引くまでは出来るだけ安静に。良いですか?」
看護師としての言葉で、優しく言いつつ問いかけを含む。だが男性の表情を見ると、通じていない様子だった。もっと、更に噛み砕いた言葉で伝えなければならないか、もしくは地方柄、逆に標準語が伝わりにくい可能性も考えられる。
「ええと……。今、無理に動くと治らないので、今日はじっとしていてください」
方言になってしまうと分からないし、これ以上噛み砕けというのは難しい。出来ればこれで伝わってほしいところだ、と美織は思いつつ男性の表情を再度窺う。今度は伝わったようで、「あ〜」と納得した様子が見られた。
「ん、わがっだ」
あっさりと返った予想外の返事に、美織は拍子抜けする。きっと今、とても情けない顔をしているのだろう。だが事実、そのくらい驚いたのだ。
田舎の人間は、頑固な者が多いと思っていた。世間体が気になり、年頃になると結婚だの何だのと近所の人にも言われ、社会人になると離職はおろか安易に仕事を休むこともなかなか出来ない。実際、美織が生まれ育った場所がそうだった。
それなのに彼はどうだ。そんな素振りなど微塵も見せず、「仕事だから」という大人特有の言い訳を口にするでもなく、ただ一言、「分かった」と。思えばここは、田舎というだけにしては随分ゆったりとした時間が流れている。何だか懐かしいような、安心するような。
先の、男の医者と勘違いされた件に関しても覚えた違和感。
「……まさか」
それで納得なんて、したくない。だが自分の心が、身体が、全部が訴えかけてくるのに気付かない振りも限界だ。
(まさか本当に、タイムスリップ――?)
原因も、きっかけも、何も分からないのに。
どうして。どうして。どうして。
その場にうずくまってしまった美織の様子に戸惑った男性は彼女を自身の家へ案内し、敷き詰めた藁にもぐるだけという現代から考えれば随分質素な『布団』を勧めた。考えることに疲れ果てた美織は、勧められるままに藁に潜り込む。
目を醒ました時、どうか自分の布団の上でありますようにと願いながら、気絶するように眠りに落ちた。
気が付けば、数ヶ月が経っていた。
翌朝になり目を醒ましても状況は変わらず、今が『何時代』なのか、ここが『どこ』なのかすら分からない。
男性は夜な夜な女性のもとへ通い夜這いをする。食事は雑穀に芋や少しの野菜と質素なもので、子供も大人も栄養不足でやせ細っていて、恐らく「老人」と言えるほどの年齢に相当する者は居ない。寿命は短そうだが、まあ食事をはじめとした生活環境を見ていれば当然だと納得も出来た。
文化も違う、言葉も通じるものと通じないものがある、外界との接点があるようには感じられない。ここが日本と考えたならば、あまりに不自然な点しか無い。
当の美織は、この数日ですっかりこの村に馴染んでしまった。
美織は時に村人の怪我や身体の調子を診ながら、田畑の仕事を手伝う。ここの人々は随分と体力があるようで、痩せこけた身体に細腕だというのに陽の高い間はずっと働き通しだ――いや、決してそれだけの体力が充分にあるわけではない。貧血と思われる症状などで倒れる人も居て、まるで年貢を納める為に働いているかのようだ。
そしてついに、この地へ来て初めて、人の死と向き合うことになる。
現代では、看護師をしていた。怪我も病も、それに伴う死も、それなりには見てきた。老化によって食事が取れなくなり、老衰という名の餓死をした人だって見たことがある。
彼女には、幼い子供が居た。正確に何歳頃かは計りかねるが、恐らくは現代で言うならまだ働き盛りといった年頃だろう。そんな、若い女性が、栄養失調による全身の機能不全で亡くなった。骨と皮ばかりの身体は、腹水が溜まった腹だけが不自然に膨らんでいた。
「……」
栄養不足なんて、分かりきっていた。むしろこの村には、栄養不足でない人こそ一人として居ない。彼女が弱りきっていて、もう「その時」が近いのも感じていた。この村の――いや、きっと今のこの世界のどこの技術を駆使しても、どうにも手の施しようなど無かっただろう。
それでも思ってしまう。この村に、世界にすら無いかも知れない知識を、自分は持っているのに。それを活用出来る設備が何一つ存在しない。それでも何か、もっと何か出来ることがあったのではないだろうか。
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