映写機と私

春嵐

奇跡

 ここからまた、はじまった。

 市民ホール。

 ステージ前。

 暗転したり回復したりする照明。テスト中らしい。

 今日バスを降りてからここまで、まだ、ふわふわしている。

「ミーシャちゃん、もうすぐです」

 うしろ。

 マネージャが導線と格闘している。

 その手を取って、ステージ前に連れてきた。

「あれ」

「えっなんですか」

「あそこの映写機、曲がってると思う」

 映像が映らない原因は、導線の配置ではない。映写機がずれていて正しい位置把握ができていないか、あるいは映写機そのものの電源が入っていないか。

 ぼうっと見ているだけで、原因を特定できてしまう自分が、ちょっとかなしかった。映写機は、恋人といっしょに、よくいじった。

 数時間前まで、恋人と披露宴の準備をしていた。そしていま、もうすぐ、その時間。

「なにやってるんだろうな、わたし」

 呟いて、ほんのすこしだけわらった。

 もう、どうにもならない。

 映写機のほうまで、歩いて行く。マネージャは、どこかに消えた。他にもやることがあるのだろうか。

「よいしょ」

 映写機を台から降ろした。台にいちど置いたら動かさないという常識で、不具合に気付けない。下に降ろして分解すれば、もっと、うまい状態にすることができる。

 生まれたときから、なぜか物をいじるのがうまかった。

 紙を使って飛行機を作り、それに重しをつけて思い通りに飛ばす。音楽室に置いてある壊れたドラムスを直して、使えるようにする。初等学生の時に体育館の照明を直したこともある。

 中等学校のとき、その能力が特異なものだと気付いた。

 それからは、人前で物をいじることを避けた。自分は、普通でいたい。

 初等学生のときは先生がいいひとばかりだったからか、特に何かにとりあげられたりもしなかった。単純に、何かをいじって直したり改良してほめられるのが、うれしかった。

 高等以降は、ミーシャというハンドルネームを使って主に電子空間で物をいじった。電子空間には色々な人がいて、私は初等学生に戻ったようにいろんなものをいじった。たのしかった。

 いつしか個人が組織になり、ミーシャと仲間たちという、名のない組織の形で講演を行うまでになった。そして、いま、そこに在籍している。

 恋人がいた。

 学生時代からの仲で、普通のひとだった。自分は、普通でいたい。だから、恋人も普通だった。

 でも、自分がミーシャだということは、最後まで言えなかった。

 そして、披露宴と講演の日程が被った。向こうの親御さんの日取りがあるから、変更もできない。

 自分がいなければ、講演が確実に成功するとは限らない。マネージャも他の仲間たちも、自分の披露宴については知らない。

 結局、どちらにも連絡できないまま、今日だった。

 そして、いま。

 披露宴の準備中に飛び出して、バスに飛び乗って、講演の場所。

 マネージャが再び走り寄ってくるのが見えた。

「映写機。できた」

 台から降ろすのは楽だったのに、乗っけるのはひとりではできなかった。マネージャといっしょに、持ち上げる。位置を調整しなくてもいいように、内部の構造を変えた。これで大丈夫。

「じゃあ導線のほう戻ります」

 マネージャが走り去る。

 映写機近くにある席に、座り込んだ。

「あれ」

 なみだがでてきた。

 奇跡は、起こらない。

 ずっと、物をいじってきたから、わかること。

 奇跡は起こらない。

 披露宴は私の不在で大混乱し、私の両親はひたすら頭を下げ続ける。恋人とその両親、そして私の両親すら、愛想をつかし、私はひとりになる。

 ミーシャと仲間たちも、いまはちょっとだけ名のある組織程度だけど、いずれは有名な団体になってしまう。そうすれば、普通の組織ではなくなる。自分は、普通でいたい。きっと、組織にも私の居場所はなくなる。私は、ひとりに戻るんだろう。

「うぅ」

 なみだ。

 とまらない。

 泣くと、のどがびっくりしたみたいになって、変な感じになるのか。

 いま、はじめてしった。

 これが、普通でいたかった人間の、末路。

「うぐぅ」

 奇跡は、起こらない。

 自分は、ひとり。

 ここで、ひとり、泣いている。

 そして、これが、これからの、私。

 いつのまにか、眠ってしまっていた。

 周りは既に暗くなっている。

「あれ、もう始まっちゃったかな」

 映写機が回り出す。

「ん?」

 客がいない。

 まだリハーサル段階。調整に間に合うか。

 席を立ってマスターベースのところへ移動しようとして、映像に気付いた。

 自分が設定した映像じゃない。

「マネージャ、映像が」

 マネージャ。

 いない。

 仲間たち。

 いない。

 ちょっと考えて、気付いた。

「夢か」

 近くの席に、座る。

 そうだ。

 泣いてて、眠ってしまった。

「あれ」

 映し出されている映像。

 自分。

 まるで、走馬燈みたいだった。

「わたし、しんだのかな」

 もしかしたら、最高のタイミングで私はしねたのかもしれない。

 あのまま生きていても、孤立して、ひとりになるだけだった。

 講演を見届けられないのが残念だったけど、ちょうどいい時期にしぬ代償と考えれば、妥当なところだった。

 映像。

 自分が、物心ついたとき。

「あはは」

 最初に映し出された映像を見て、おもわず笑ってしまった。

 はじめて、恋人と会ったときの映像。

 自分が物心ついたとき、恋人は既に隣にいた。

「そういえば、映写機がきっかけで出会ったんだっけ」

 映写機を使おうとした彼が、それを動かせなくて、苦心していた。

 人前では物をいじらないと決めていたのに、その姿を見て、つい映写機を一緒に直してしまった。

 直った映写機に最初に映ったのが、映写機を直している自分たちだった。

 これは、そのときの映像。

「なつかしいなあ」

 そのときの映像はすぐに消されて、たしか海に行ったときの映像が新しく入ったはず。

 映写機が移り変わる。

「そうこれ。海のときのやつ」

 ひたすら撮影機を回避する位置取りをしたから、自分は保存されている映像に移っていない。

 でも、目の前で映されている映像には、自分の姿があった。

「走馬燈って、べんりだなぁ」

 当時の私。

 いまと変わってない。

 自分は普通でいたかった。

 そして、ラッキーなことに容姿が成長期から一切変わっていない。おそらく、恋人と会ってから今まで、何一つ容姿は変化していないはずだった。

 映像が切り替わる。

 夜景。

「ああ、これ」

 なんとなく、当時はまだ恋人じゃなかった彼と行った夜景。

 特に、告白していないし、通過儀礼を施してもいない。

 ただ、この夜景を二人で見ていて、なんとなく、私と彼の気持ちが、同じ方向に向いたのかなと、思った。

 彼も同じことを思ったはず。

「あっ、でも、実際どうだったんだろう」

 自分が彼を恋人だと感じたのは、この夜景のとき。でも、彼がそうだったとは限らない。私と違って、彼は、普通のひと。

 気付いた。

「そっか」

 私は、普通のひとでいようとした。

 その時点で、普通じゃなかった。

 普通のひとは、普通であることを疑ったりなんてしない。

 普通であろうと頑張るようなことをしない。

「わたし、ばかだなあ」

 普通じゃない人間が、普通のひとを恋人にして、結婚までしようとした。

 その結果。

 その結果が。

「でもわたし、しんじゃったしなあ」

 映像。まだ、夜景を映している。

 私の顔。

「うっ」

 ほっぺたが赤くなってる。

 じぶんでじぶんの顔をみると、はずかしい。

「うそ」

 手。

 手を握ってる。

「そんなはずは」

 あれ。

 どうだったっけ。

 思い出せない。

「そうだ、あのときは」

 夜景がきれいなのもあって、舞い上がっちゃってよく覚えてないんだ。

 自分。

 顔を、彼の方に向けて。

「きゃああ大胆」

 はずかしすぎる。

 自分からキスしにいったのか。

「最期の走馬燈にしては、えぐいものをみてしまったなあ」

 映像。

 披露宴。

 準備をしている私。

 たのしそうに談笑している、私の両親と彼の両親。

 こころが、いたんだ。

「ごめんなさい」

 このあと、私は披露宴を抜けだして、講演会場の市民ホールへ行く。

「あっ」

 私が抜けだした。

 映像が、切れた。

「ここで終わりかな」

 そうかもしれない。

 以降の私は、ふわふわしてて、あんまりよく覚えてない。

 映像。

「えっ」

 映像が戻った。

 バスに揺られる私。

 市民ホールに入っていく私の背中。

 マネージャが導線と格闘しているのを、ぼうっと見てる私。

 映写機の不具合を見つけて、そこまで歩いていく私。

 映写機を台から引きずりおろし、分解を始める私の背中。

 直して、マネージャと一緒に台に乗っける私の背中。

 マネージャが走り去っていく。

 私。

 近くの席に座る。

 泣き出す私。

「うわぁ」

 しゃくりあげてる。大号泣してる。

「こんなに泣いてたら」

 さすがに。

「誰かが」

 気付く。

 気付いた。

 自分の頬。

 触れる。

 なみだのあと。

 身体。

 私。

「これ」

 しんでない。

「なにこれ」

 目の前の映像。

 眠り込んだ私。

 それを確認するように、マネージャが近づく。

 画面外の誰かに、オーケーサインを出しているのか。

 映像が、動く。

 何かに、置かれた。

「あっ」

 なみだが、また、あふれてきた。

 映像を録っていたのは、恋人だった。

『ごめんなさい』

 映像の中の彼が、私に語り掛ける。

『私は、あなたに謝らなければならないことがあります』

 外野の声。なにかはやし立てている。

『じつは、はじめてあなたに出会って、映写機を直してから、ずっと、あなたが映っていた映像を保存してました』

 外野の声。キャー盗撮とか、犯罪者とか、てきとうに声を上げている。

『いつか、あなたと一緒になって、この映像を使うときが来るんじゃないかと思って、ええっと、その』

 どうしたぁ、もう隠し立てするなぁという声。

『ごめんなさい。海のときとか、夜景のときとか、隠れてあなたをさつえいしていました』

 あらためて、外野の声。

『どうしても、こうやって、使いたくて』

 外野の声が大きくなった。彼を押しのけて、誰かが出てくる。

『なに号泣してひとりで寝てんですか』

 マネージャ。

 眠りこけている私を指差して、笑ってる。

『いいですか、あなたは人を物のように扱いますけどね、人は物じゃないんですよ。導線と格闘してるときに映写機がどうこうって言われてもね、導線と格闘させてほしんですよ』

 マネージャ。

 まくしたてている。

『それにね、あなたが普通じゃないのに普通でいたがってることなんてね、ここにいる仲間たち全員、全員しってますからね』

 マネージャ。

 涙目。

『みんな、あなたを気遣ってあなたが自分を普通だと思っていられるように色々と配慮してたの。わかる?』

 マネージャ。

 これだけ大声なのに、映像の後ろのほうでは、私が眠りこけている。

『あなたが何を思おうと勝手ですけどね、披露宴の日時ぐらいはね、教えてくださいよ。彼氏さんに連絡貰って、そのとき、そのときはじめて』

 マネージャ。

 少し、どもる。

 そして、泣き出す。

『みんなあなたの味方だから。普通でいたいあなたを応援してるから。だから、ねぇ、ちゃんと幸せに』

 仲間たちの声。

『みんなもほら、これまでやってきたように、これからも、あなたの仲間たちでいるから、だからその』

 自分。

 もう、涙で映像が滲んでいる。

『わたしたちにも頼りなさい』

 誰かが、割って入ってきた。

 両親。

『あなたが普通じゃないのは私たちの責任なんだから、そこらへんは、なんかこう、てきとうに親のせいにしてあなたは人生をたのしみなさい』

『そうだぞ。彼氏さんにここまで気遣いさせると、彼氏さんはげちゃうぞ』

「はげって」

『その点は気にしなくていいですぞ』

 恋人の両親が割って入ってきた。

 恋人の父親。はげている。

『はげはこの家系の宿命ですからな。それよりその、こんな普通の上にさらに普通が乗っかったようなうちの息子を貰ってもらって、ええと、なんというか、うああああん』

 恋人の父親。大号泣しだした。

 恋人の母親に引き摺って行かれる。去り際。一度戻ってくる。

『ごめんなさいね。うちの主人泣き上戸で。あ、息子は家事一般ちゃんと出来ますから、家事はぜんぶ息子にやらせて、あなたはあなたのやりたいことを存分になさってください』

 それだけ言い残して、また父親を画面外にフェードアウトさせた。

 またマネージャが戻ってくる。仲間たちも画面に映る。

『あなたが普通じゃないのは私たちがいちばんよくわかってるんだから、まあ、これまで通りとはいかないだろうけど、これからもよろしく』

『せーのっ』

『結婚、おめでとう』

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