第69話 そして、また日常が始まる

 二学期初日。

 体育館で行われる始業式には、全校生徒がずらりと並ぶ。

 普段バスケの練習に使っているこの場所も、こうした行事では全く別の場所のように思える。

 だが、独特の匂いは変わらない。

 体育館は、今日の放課後も俺たちがバスケの練習に来るのを待っているのだ。

 校長先生の長ったらしい話を聞き流していると、隣の列から腕が伸びた。

 驚いて振り返ったのと、俺の肘がギュッと抓られたのは同時だった。


「いっでぇ……!」

「集中して聞きなさいよ」


 理奈が悪戯っぽい笑みを浮かべて、こちらを見上げている。

 俺たちの苗字が桐生と香坂なので、クラスは別でも隣り合っている。

 ギリギリ聞こえるくらいの小声で、ちょっかいをかけてきたのだ。

 俺はやり返そうと腕を伸ばそうとしたが、担任の先生の目が光ったような気がして、瞬時に引っ込める。


「覚えてろよ……」

「ひひっ」


 俺が呟くと、理奈は噛み殺したような笑いを溢す。

 そしてまた目が合った。


 ──俺たちは、両想いになった。


 だがそれは、今すぐに恋人として付き合うというわけではない。

 学校生活への影響を鑑みて、しばらくは今までの関係を維持しようという結論に至ったのだ。

 藍田奏と別れたという事実は、まだ殆どの人に知られていない。

 だがこの始業式が終わり、クラスの誰かにその事実を伝えると、噂はすぐに広がるだろう。

 "桐生と藍田が別れた"というよりは、"高嶺の花がフリーになった"という広まり方だと思うが。

 兎にも角にも、みんなに別れたという事実が周知され、暫く経つまでは大人しくしよう。


 そんなことを考えていると、理奈が赤くなって顔を逸らした。

 ずっと真顔で見つめていたからか。

 理奈の反応に思わず口元が緩んでしまいそうになるが、何とか堪えて体育館のステージに視線を戻す。

 校長先生の話は佳境に入っており、長い始業式ももうすぐ終わる。


 後ろからタツが背中を小突いてきた。

 小声で「やっぱりな!」と茶化してくる。この数ヶ月間、クラスでも部活でもずっと一緒にいたのだ。

 先程の理奈とのやり取りで察せられても、何ら不思議なことではない。

 俺は人差し指を口元に当てると、タツは面白そうに頷いた。

 辺りが騒めき出す。

 校長先生の話が締め括られ、始業式が終わったようだ。

 クラス毎に順番で体育館から退場していく。

 一年生から呼ばれていくので、すぐに俺のクラスの番になった。

 クラス全員が足並みを揃えて出口へ向かう。

 これから、また新しい日常が始まるのだ。


 ──この高校に入学してから、色々なことがあった。


 理奈と再会した。

 藍田と再会した。

 バスケ部に入り、仲間に恵まれた。

 目まぐるしく変移していく日々の中で、俺は何者かになれただろうか。

 まだまだ成長途中の年齢で、こんなことを考えるのは気が早いのかもしれない。

 だが大人になったら、時間の流れはやたらと早くなるらしい。

 それならば、今のうちから沢山考えておきたい。

 これから自分がどうなりたいか。

 これから好きな人と、どう過ごしたいか。

 もしかしたら、思い描いた自分には到底なれないのかもしれない。

 挫折して、進みたかった道から大きく外れることだってあるかもしれない。


 だが、確信がある。

 理奈と一緒にいれば、俺は幸せになれる。

 将来、この北高で知り合った奴らと過ごす時間をたまに思い出すだけで、幸せになれる。


 長い人生において高校生である時間なんて、瞬きにも等しい時間だ。

 だが、確かにここにある。

 忘れようもないほど、記憶に深く刻まれていく。

 だから大人は若き日々を想起した際、この限られた時間を特殊な言葉で形容したのだ。

 輝かしい、青春の一ページと。

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