第60話 赤とんぼ〜藍田side3〜

 正直に告白すると、私が桐生くんに話しかけたのは、必ずしも好意によるものだけではなかった。

 香坂さんの幼馴染。

 彼女の態度から、桐生くんが彼女にとってどれだけ大きな存在であるかを察するのは容易だった。

 だから、私は桐生くんと付き合ってみてもいいかもしれないと考えていた。

 その時はそこに深い意味を見出していなかったけど、後から振り返れば、低俗な嫌がらせにしか思えない。

 勿論、どんな理由があってもどうでもいい人と恋仲になるのはごめん。相手が桐生くんだからこそ、浮かんでしまった考えだった。

 でも、そんな考えで近付いていたのは最初の頃だけだった。


「藍田ってさー、学校ではどんな感じなの?」


 出会ってから数ヶ月後、桐生くんが質問してくる。

 私は答えようか迷った末、「普通だよ。みんなと、特に変わらない」と言った。

 桐生くんは何か言いたげな表情を浮かべたが、やがて「そうなんだ」と頷いた。

 否定するだけの材料がなかったのだろう。


 桐生くんとの関係は、思ったよりも随分と心地いいものだった。共通の知り合いがほとんどいないというのは、話題を取捨選択する必要も特段必要ないということ。

 嫌われようが、自分にとって特段支障が生じるわけでもない。

 香坂さんが私と顔見知りだということを桐生くんは知らない様子だったから、余計自由に振る舞えた。

 私が一番言いたいことを言える、そんな存在。

 完全に素を出すことさえないが、それでも私は生き返った気分になっていた。


 だから、私が周りから『高嶺の花』と呼ばれていることを知られた時はショックだった。

 桐生くんには、私を色眼鏡を通して見て欲しくなかったから。私が、仮面を付け直すことをしたくなかったから。

 でも桐生くんの態度は、出会った当初から変わることはなかった。

 それがとても嬉しくて、私は中学三年時の春、遂に本当の自分を曝け出すために桐生くんへ話すことを決めた。

 本当は、皆んなから思われているほど性格が良くないということ。

 本当は、『高嶺の花』という呼び名に相応しい立ち振る舞いをすることに疲れてきているということ。

 本当は、桐生くんと本当の意味で仲良くなりたいということ。


 ──桐生くんと、香坂さんのように。


 二人の絆は、会話の節々でも十二分に感じ取ることができたから。

 私も、桐生くんとそうなりたいと思った。


「ね、桐生くんってどんな女の子が好きなの?」


 初めて二人で遊んだ日、私は軽い気持ちで訊いた。

 他意はない、ただの雑談のつもり。その後、言いたいことを全部話すつもりだった。


「え、なんで?」


 桐生くんは何かを期待したような瞳で、私を見てきた。

 そうした視線は、いつもなら軽く受け流す。今まで何度もそうしてきた。

 でも、相手が桐生くんだったから。


「うーん。興味あったから」


 素直な気持ちで、そう言った。


「そっか。……んー。俺、性格良い女の子好きかな。悪い人は嫌だ」

 

 色鮮やかだった景色が、モノクロになった。

 これから話そうとしていたこと。これから、向き合おうとしていたこと。

 それが全部、一瞬でご破算になった気がして。

「ふーん」と短く返事だけして、私は考えた。

 なんで私はこんなに侘しい気持ちになっているんだろう、と。


「だって、普通性格悪い人なんて好きになれないだろ?」

「そうなんだ。桐生くんの思う性格の悪さってなに?」

「それは……」


 質問に答えあぐねる桐生くんを見て、私は「例えば」と指を自身の唇に当てた。

 そこからは、自虐のようなものだった。


「人の悪口を言ったり?」

「それもそうだな」


 やめて。


「人を陥れようとしたり」

「ああ、うん」

 

 いやだ。


「ちょっと、裏があったり?」

「それもだな」


 ……ダメだ。


 張り付いたように口角を上げていると、桐生くんは笑って私に向き直った。


「とりあえず藍田はすごい性格いいだろ。ていうか、案外女子ってみんな性格良いよな」

 

 ……香坂さんは、そうかもね。

 きっと桐生くんは自分にとって都合の良い世界にしか身を浸していないお陰で、人を疑うことを知らないんだ。

 それはある意味、幸福なことではあるけれど。


「夢、見てるなあ」


 そう呟かずにはいられなかった。

 もう少し、不幸な経験を桐生くんがしていれば。

 私はどうにでもなったのに。

 

「そういえば、色々話したいことってなに?」


 桐生くんの問いかけに、私は小首を傾げて答えた。


「そんなこと言ったっけ?」


 まだ、早い。

 そんな言葉が脳裏に浮かぶ。

 何が早いというのか。

 それを考えた時、私は漸く自覚した。


 ──私、桐生くんが好きなんだ。


 本当に好きだからこそ、全て見せたい。私の、全て。

 でも今の桐生くんに曝け出したら、きっと嫌われてしまうから。

 桐生くんが何か失敗するまで、桐生くんが夢から覚めるまで。

 私は、それまで──。


 ◇◆


 中学三年の秋。赤とんぼが舞う屋上。

 桐生くんは自信に溢れた表情で、私に告げた。


「好きです」


 ──振られることなんて、桐生くんは想像だにしていない。

 その表情を浮かべている内は、駄目。

 私が本当の自分を見せたら、桐生くんはきっと私のことを嫌ってしまう。

 ……それなら、待とう。


「ごめんなさい。友達としか見れません」


 答えは決まっていたから、すぐに返事は出た。

 桐生くんは信じられないという表情を浮かべる。

 何か言おうと、口をパクパクさせたけど、言葉は出ないみたいだった。

 いつもより小さな背中で、桐生くんは屋上から出て行く。

 そんな背中を引き止めたくなった。

 追いかけて、「やっぱり付き合いたい」と言いたかった。

 でもそれで私の気持ちが成就するとは、思えなかったから。

 私は自分の気持ちが揺らぐことを防ぐために、声に出して呟いた。


「付き合うとか、ありえない」


 少なくとも、今はまだ。

 きっともう少し月日が経ってから付き合う方が、私たちは上手くいく。


 ……ふと、思った。

 自分の都合で相手を振り回す。相手を、傷付ける。

 私が仮面を被った理由。

 私が親戚にされて嫌だったこと。

 きっと今、私は彼らと同じことを、桐生くんにしてしまった。


 ──最低。


 私が本当の自分を曝け出せないのも、私が桐生くんに本当の意味で分かり合いたいのも、全部私の都合なのに。

 一体なんの権利があって、私は桐生くんを傷つけたんだろう。

 高嶺の花。

 そんな呼び名が、きっと私を狂わせた。

 今までも、沢山の男子を振ってきた。

 振ることが悪いとは思わない。自分が一番大切なのだから、そこに罪悪感を覚えても仕方ない。

 でも、好きな男子を自分の都合一つで振って、時間が経ったら付き合おうという、身勝手な計画を無意識に立てるのは、また違う。


 何が高嶺の花だ。

 私なんて、香坂さんと比べたら。

 自分に吐き捨てるように言う。


「──身の程を知ってよね」


 扉を開けると、傍にあったロッカーがカタンと音を立てた気がした。

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