第55話 藍田の告白

 ──それが真意からくる言葉なのだという確信があった。

 確証など何処にもない。論理的な思考に基づいて導き出した確信などではなく、積み上げてきた時間から推測できるただの感覚だ。

 だがそれでも、その言葉が嘘だとは思えない。

 いつもの様に冗談だと言い出す素振りを見せず、ただじっと俺を見つめる藍田の表情が、俺の確信を肯定していた。


「好きよ、桐生くん」


 藍田は再度告げてくる。

 重ねられた掌が少し震えているのは気のせいだろうか。


「ねえ、返事は」


 促され、俺は目を逸らした。

 返事。

 俺も好きだと返すのが普通の彼氏なのだろう。普通の恋人同士なら、ここで抱き締めることも厭わないのだろう。

 だが俺たちは普通の恋人関係ではない。

 半ば強制的に付き合い、そこから擬似的な関係が続き、関係を徐々に深めてきただけだ。

 だからこそ藍田は返事を促す。

 ここでの答えこそが、俺たちが本物になる垣根を越えるために必要なものだから。


「桐生くん」


 大丈夫よ、と言う様に重ねられた手が撫でられる。

 今までにも藍田に好きだと言われたことは何度かあった。

 だがそのどれとも雰囲気が違う。

 藍田は本気だ。

 本当に俺と付き合おうとしているのだ。

 かつての体育館裏での告白とは全く異なる、本当の告白。

 それを感じ取ってしまったからこそ、俺は返事をすることができない。

 藍田との関係を本物の恋人関係へと進展させる勇気が出ない訳ではない。俺の返事を阻む壁は、それ以前の道にそびえ立っている。

 自分の気持ちが判らない。

 単純かつ難解な想いが、返事を口から出すことを許さない。


「……そう」


 藍田は俯いて、手を離した。

 重ねられていた部分が急激に冷えていく錯覚に陥る。

 無言。

 それが俺の答えと捉えた様だった。

 無言を答えとすることが良くないこと分かっているが、それに代わる言葉を未だ見つけることができない。

 それでも俺は何か言おうと口を開くと、藍田は首を振った。


「いいよ。無理しないで」

「でも──」

「やっぱり今の忘れて、とは言わないよ。しっかり考えて、その後の答えがほしい」


 はっきりと告げる藍田には、強い意思が感じられる。

 大きな瞳が、俺を迷いなく見つめている。


「一ついいか」

「なに?」

「なんでこのタイミングだったんだ」


 告白をするにしても、タイミングはあまりに唐突だった。

 何の前触れもないように思えたし、ましてや風邪も引いている。

 何故今なんだと思わざるを得なかった。

 もっとも、そんなことは今優先してすべき質問ではない。

 その質問が藍田の告白から逃げているように思えて、俺は発言を撤回しようと首を振る。

 だが藍田は俺が質問を撤回する旨を伝える前に言葉を発した。


「この前のデートで言ってくれたことでね。私嬉しかった言葉があったんだ」

「……何の言葉だ?」

「私のこと、もっと解りたいって。……だからかな。最近急にね、知ってほしいって思うようになったの。私のこと、全部」


 周りには知られていない、藍田のさまざまな一面。

 判りたい。解りたい。あの時言った言葉に偽りはない。


「風邪で弱ってたから、とかじゃないよ。確かに言葉を塞きとめる堤防は……多少崩れやすくなってたかもしれないけど。これ、私の本音だから。返事は、どっちでもいい。それでも一つだけお願いがあるの」


 藍田は俺に視線を向けて、ハッキリと言った。


「私を信じて」

「え?」


 キョトンとすると、藍田は恥ずかしそうにそっぽを向く。


「私、何回もからかっちゃったりしてたからさ。冗談だと思われるのが嫌なの、せっかく勇気出したんだから。私の告白、そんなに安くないの」


 その心配は杞憂だった。

 先ほどからの藍田から出る言葉の節々は、今回の告白が本気だったことを感じさせてくる。

 一緒に過ごした時間が、曲りなりにも築き上げてきた信頼関係がそう思わせてくれる。


「大丈夫。信じてるよ、言われなくても」

「ほんと?」

「笑われるかもしれないけどさ、これでも最近は結構藍田のこと解ってるつもりなんだぜ」


 俺は口角を上げてみせる。


「そりゃ全部を把握するなんてのは夢物語だから、それはないけど。それでも他の奴らよりは何倍も知ってるよ、お前のこと」


 中学三年の秋に振られた時とは違う。

 一方的な理想を押し付けることはなく、等身大の関係を築いたと自負する今、俺は自信を持ってそう言うことができた。


「……そっか」


 藍田は小さな声でぽつりと呟く。

 その呟きを最後に、再び部屋に静寂が訪れた。

 ──今日を引き金に、俺と藍田の関係が変わることは間違いない。

 その変化が良いものなのか、悪いものなのかは未だ推し量ることしかできない。どちらに転んでも良いかもしれないし、悪いかもしれない。

 だが、変わる。

 偽物だが、徐々に本物へ近付いていた俺たちの関係。

 何もなければこのままずるずると続いていったかもしれないこの関係に、藍田は終止符を打ったのだ。


「ねえ、私もズルしていい?」


 藍田はソファから腰を上げて足を進め、やがて俺の膝を跨いで乗った。目と鼻の先には藍田の整った顔があり、睫毛の本数まで数えることさえできそうだ。


「なっ──」


 一瞬の戸惑いで硬直した瞬間、既に後頭部へ腕を回されていた。

 艶のある唇が、俺の唇と重なる。

 しっとりと濡れた、柔らかい唇。

 目を閉じているのに、何故狙いが定まっているのだろう。

 不意に襲ってきた艶麗な刺激の中、俺は最後に考えた。

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