第50話 藍田の嫉妬
デートの数日後は、期末テストまで残り五日を切った日だった。
藍田に『放課後図書館へ』との呼び出しをされたので、顔を出してみると藍田は戸松先輩と談笑している。
「……珍しいな」
藍田が談笑している状況自体は、教室でもよく見受けられる光景だ。
だが俺の目から見るとそれは所謂『高嶺の花』の顔であり、恐らく本当の藍田とは違う。
あいつが普通に話す人なんて、俺と理奈くらいだと思っていたが。
二人の談笑を聞いていると、どうも違うように思える。
「ねえねえ、最近桐生くんとはどうなの?」
「うーん、どうと言われても。あ、数日前はクレープ食べました」
「えー、そういう漠然としたことが聞きたいんじゃなくてさあ」
「キウイ美味しかったですよ」
「キウイ!? クレープにキウイ!?」
「ふふ、私もそう思ったんですけど。意外とイケました」
「ま、まじでか……恐るべし桐生くんのクレープセンス……」
……キウイクレープって、そんなに珍しいだろうか。
記憶違いでなければ、普通にあるはずなのだが。
身を乗り出して藍田と話し込む様子を見ると、更に話が続きそうだ。
これなら帰っても怒られないだろうな、と思案していると肩をトントンと誰かに叩かれた。
振り向くと、そこには理奈の顔があった。
「うおっ」
思わず仰け反ると、理奈は気に障ったような表情を見せる。
「随分なご挨拶ね。図書館であんたを見かけるとは思わなかったけど、何やってんの」
「何って、何だろうな。分かんない」
藍田に呼び出されたとは素直に言えず、かといって上手い言い訳も思い付かず。
俺の口から出た回答は、小学生でもしないような言い訳だった。
「なによそれ、意味わかんない」
案の定、理奈は訝しむような目つきで俺を見上げる。
距離が近い。
香坂家の家を訪れて以来まともに話すのはこれが初めてだったので、ますます緊張してしまう。
理奈相手に異様な気持ちになる自分に喝を入れて、邪気を払うように咳払いをした。
「ご、ごほん!」
「なによ、夏風邪? 移さないでね」
「おい、仮に夏風邪だと思うなら心配しろよ」
「してるわよ、でも移されるのは嫌なの」
「そうだね……」
心配はしているという一応のフォローに感謝しつつ、移されるのが嫌というリアルな返事にげんなりとする。
さすが俺の幼馴染だ。
「ほら、出てけ」
理奈を右向け右に体勢を変えて前進させる。
今は中央の席に藍田がいる。
余計な気を使う状況は前もって片付けておきたい。
「ちょ、ちょっと。私まだ来たばかりなんだけど」
理奈は抵抗するが、今は俺の心の安寧の方が大事だ。
なぜか理奈に緊張してしまうこの状態で、藍田と何かあったら俺の心が保たない。
抵抗を無視してぐいぐいと背中を押していくと、理奈は慌てたように手を振った。
「ね、ねぇ! 今のそんなに気に障った? ごめん、冗談だから!」
「別に障ってねえよ、俺が夏風邪でぶっ倒れてもいい事は十分分かりましたから」
「ちょ、ガッツリ障ってんじゃん! 冗談だって、ちゃんと看病してあげるわよ!」
「はいはいありがとね!」
「この、押すな!」
理奈は左方向に身を翻そうと足首に捻りを加える。
バスケでよくあるその動作に、思わず身体が反応した。
結果俺のディフェンスは成功したのだが、その代償に──
「いってぇ……」
「……陽……あんた味占めてんじゃないでしょうね……」
本棚と本棚の間に、俺と理奈は倒れ込んでいた。
俺が理奈を押し倒す形で。
「……何の話でしょう」
「確信犯なのね、そうなのね?」
「ち、違う! 俺はただ──」
「桐生くん?」
少し距離の離れてるところから藍田の声がした。
理奈もそれに気付いたようで、慌てた様子を見せる。
「なっ、ちょっと陽、早くどいて──」
「わ、やべえなんか力入んないこの体勢、すげえ」
「感動してる場合かこのアホ! ちょ、は!? このっどこ触って──」
そうこうしてる内に、足音は近付いてくる。
ようやく力の入る体勢を見つけ出した俺は、一目散に本棚の陰に身を隠した。
理奈はそれを見届けて、スッと立ち上がる。
藍田が通路に顔を覗かせたタイミングと同時だった。
「あれ、香坂さん?」
「ん。藍田さん」
理奈は歪んだカッターシャツの襟を正しながら、涼しい顔を作って返事をする。
理奈の演技力を垣間見た気がした。
かくいう俺はというと、本棚の間に若干の隙間があったのでそこから二人の様子を眺めている。
傍から見たら完全に不審者だが、この通路に置かれている本たちは分厚い歴史の本だけだ。
よっぽどの歴史好きでないとここまで来ることはないだろう。
「香坂さん、今桐生くんの声しなかった?」
早速核心を突いてくる藍田に身体が震える。
出口に向かうには理奈と藍田がいる通路を渡らなければならず、今はこうして息を潜めるしかない。
別にバレたとしても、今の状況とさほど変わらないと思うが。
こうして理奈と藍田が対面している時点で俺の中ではアウトなのだ。
「え、聞こえたの?」
理奈は髪についた埃をサッと取りながら、俺と話していたことを認めた。
対する藍田は怪訝な表情を作り、ため息をつく。
「聞こえたけど、夏風邪がどうとか。それで、桐生くんは?」
「いないわよ」
「……いないの」
復唱する藍田は、理奈の言うことを明らかに疑っている様子だ。
理奈は「いないよ」と繰り返すと、携帯をポケットから取り出した。
「スピーカーで電話してただけ。でも躓いて転んだ時に切れちゃったみたい」
俺と違って機転の利く理奈の言い訳に思わず感心する。
これなら多少違和感は残るだろうが、嘘だと決め付ける要因にもなり得ない。
だが藍田はそんな言い分より気になったことがあるようで、眉を顰めた。
「……大丈夫?」
「……だ、大丈夫よ。どうも」
純粋な心配かは分からないが、相手を気遣う言葉に理奈が少し動揺する。
だが藍田でなくても、電話が切れるほどの勢いで転げたと言われると心配するかもしれない。
「じゃあ、私もう行くわね。元々息抜きにぶらついてただけだし」
「そう」
理奈は藍田を通り越して、出口に向かう。
「待って」
そのタイミングで静止をかけた藍田に、心臓がどきりと跳ねた。
理奈も緊張した様子で振り返る。
「……なに?」
だが藍田の口から出た言葉は意外なものだった。
「次、負けないからね。期末テスト」
理奈は目をパチクリとさせて、口角を上げた。
「……えぇ、望むところよ。中間も三点差だったみたいだし、油断は微塵もしてないわ」
「うん。それじゃあね」
「ええ、また」
去っていく理奈の足取りは軽やかで、俺は二人の意外なやり取りに安堵する。
かつての体育館裏でのやり取りから考えると感動すら覚える。
最後の雰囲気はあの時の剣呑なものではなく、成績優秀者がお互いを励ますもののようだった。
藍田の変化は、俺に対してのものだけではなかったのかもしれない。
「──いるんでしょ、桐生くん」
「──」
唐突な呼び掛けに、思わず手で口を覆う。
だが藍田の足音は迷いなくこちらに迫ってきて、あっけなく俺と対面した。
「桐生くん」
「はい」
「どうしたの、そんなところで座って」
「床で寝てました」
藍田はその答えを聞くとにっこりと笑って、俺の耳を引っ張り上げた。
「いでででで!」
「うん。それで、なにしてたの?」
「ごめん隠れてた! それだけ!」
俺は必死に弁解したが、藍田は力を緩めることなく耳元に口を近付けた。
「聞いて?」
「はい」
「あなたの彼女は、私なの。あなたが夏風邪を引いたら、看病するのは私。分かった?」
「分かった、分かったから!」
「そう」
引っ張り上げられていた耳を離され、尻餅をつく。
耳が取れるほどの痛さに思わず涙目になる。
「ごめんね、そんなに痛かった?」
藍田は屈んで涙を拭いてくれるが、それが幼稚園児をあやす先生のようで顔を背ける。
男のプライドもあったものじゃない。
「くそ、仮にも俺が彼氏ならもうちょっと立ててくれよ」
思わず出た文句に、藍田は落ち着いた声色で言った。
「彼氏だから怒ったんでしょ?」
それは至極まっとうで、当然の帰結だったのだが。
だがその言葉を発したのが藍田となると話は別だ。
「お前、嫉妬したのか?」
頬を逸らす今の藍田は、演技をしているようにはとても見えない。
俺は彼女に何と声をかけるべきか、言葉を探しあぐねていた。
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