第22話 想起 〜理奈side2〜

 その言葉の意図は分からない。

 でも、私の頭を沸騰させるには十分すぎる一言だった。

 私の行動で結果的に陽介あいつが困ることになるかもしれないなんて考えが及ばなくなりそうなくらい、私は冷静さを失いそうになっていた。


 今すぐドアを開けて、ぶん殴ってやりたい。

 あいつの気持ちを受け取って、そんな言葉を吐き捨てるなんて。許せない。

 ……でも。

 わずかに残った理性がブレーキをかける。

 ここで私が出て行って、藍田さんを殴ったとしても。私の気持ちが多少晴れるだけで、あいつにはマイナスにしかならない。

 あいつにとって藍田さんの存在が大きいのは事実で、私が聞いていたこと、それに私が怒った原因を話したとして。本当に傷付くのはあいつだけ。


 私は唇を血が滲むくらい噛んで耐えた。

 藍田さんがロッカーの目の前を通った時、勢いよくドアを開いて当ててやりたいという衝動に苛まれたが、それも耐えた。

 あいつのため。

 あいつのため。

 ……あいつの、ため。


 ズキズキと痛む唇で、ようやく冷静を取り戻した頃。私はふと思った。

 藍田さんは『高嶺の花』なんて呼ばれてるけど。

 ただ顔が綺麗なだけの、最低なやつなんだって。




 陽介あいつが振られた翌日。

 私が教室に入ると、藍田さんのグループが私のクラスに来ていた。

 思わず拳を握りしめる。


「おはよう!」


 私はいつものようにみんなへ挨拶したけれど。

 その日ばかりは、うまく笑えていたか分からない。

 藍田さんはこちらを見上げると、「おはよう、香坂さん」と言った。

 清流のようなその声は、私の耳に入った途端汚水のような、厭らしい声に変化する。

 挨拶なんて、無視してやりたい。

 だけど私のグループと藍田さんのグループは、学年の中ではかなり大きいグループで。

 ここで喧嘩したら、関係ない友達を巻き込みかねない。あいつのことが一番だけど、それでもやっぱり皆んなも大事。

 時々愚痴を言うのだって、多分お互いの結束を固める儀式みたいなものなのだ。

 そんな結束で生まれたグループなんて捨てた方がマシだ、なんて言う人もいるだろうけど。

 私はそこまで割り切れるほど、強くない。

 一人になるのは、どうしても怖い。

 だから私は、無理やり笑顔を作る。


「おはよう、藍田さん」


 こんな作り笑い、あいつの前ではしたことない。

 藍田さんの大きな瞳が、うっすら細まった気がした。何かを見透かしたような、澄んだ瞳。


 ……気に入らない。


「ねえ、奏昨日他校の男子から告られてたらしいじゃん。ここまでいくとやばいよね?」


 藍田さんのグループで1番声の大きい女が、そう言いだした。

 私は思わず肩から降ろしかけて鞄を持って静止した。


「うん、まあね」

「まじー! どうだった、どうだった? やっぱ断った? いい男だった?」

「うーん、それなり? 断ったけどね」


 それなり。

 私も振った相手のことを、友達に聞かれたらそう答えたことがあった。

 ──でも、ああ。そうだったんだ。

 身内からしたら、何となくの言葉でもこんなに傷付くものなんだ。

 私はそれまで振った男子全員に、心の中で懺悔した。

 友達がいる手前、それなりという曖昧な言葉を使ってしまうことは自然なことなのかもしれない。

 それでも私は、今までの気持ちを無下にしてきた気がして嫌だった。

 もっと嫌なのは、多分身内が傷つかない台詞なんてないんだと思ってしまうこと。

 嫌だ嫌だと思うくせに、仕方ないという気持ちも拭い切れない。

 藍田さんとの共通点なんて一つだって持ちたくないのに、どこかそれを諦めている自分がいた。

 こういう気持ちを割り切っていくのが、大人になるということなのだろうか。

 藍田さんのグループと話しながら、私の頭には「それなり」という言葉が反芻していた。



 その日は、家に帰ると落ち込んだ。

 あれだけ軽蔑した藍田さんと自分に共通点があったことが、堪らなかった。


 携帯を開く。

 もう三ヶ月、あいつとメールしていない。


『あんた大丈夫? 振られたからって、気に病んじゃダメよ!』


 文面では、いつも通りの私。短い文を何度も打ち直して、やっと送信する。

 あいつのことを心配しているのは本当だ。

 だけど、それよりも私は。


『ちょっと、生きてるの?』


 ただあいつと、話したかった。


『おいコラ! 家まで突撃されたくなかったら返事しなさい!』


 こんな理由で、こんな時期にメールするなんてやっぱり私は最低だ。

 でも、それでもあいつと話したい。

 ……嘘。

 本当は会いたい。

 会って慰めてあげて、慰めてほしい。

 あいつにそんな器用さはないだろうけど、私は会えるだけでいい。


 それでも部屋の外を覗くと、あいつの家に明かりは灯っていない。

 中学に入ってから、あいつは聡美さんと一緒におばあちゃんの家で暮らしているから。

 あいつが近くにいないことを、初めて骨身にしみて実感した。

 涙が出た。

 全中で負けた時にだって流さなかった涙が。

 一度溢れると、そこからは止まらなかった。

 あいつが一番辛いのに、なんで私はこんなに泣いているんだろう。泣きながら、どこか冷静な私がそう問いかけた。

 もう一人の私は答えた。

 あいつのことが、大切なんだ。友達とか、恋人だとか、そんな垣根は越えている。

 そんな私の大切な人を、どうしようもなく大切なあいつを藍田さんはいい加減な思いで切り捨てて。

「身の程を知ってよね」なんて言葉を吐き捨てて。

 それだけでも腑が煮えくり返るほど最悪だったのに。私も、無意識に藍田さんと同じような事をしてたことに気付いて。

 この感情をどこにぶつければいいかも分からなくて、咽び泣いてるんだって。



 そのまま夜が更けていって、私は泣き腫らした目で最後にメールを送信した。


『次会ったら覚えときなさい』


 さすがに涙は枯れていた。

 ほんとにもう、次会った時はとっちめてやるんだから。

 あいつの立場からしたら私が勝手に泣いただけだけど、それでも私にとっては大変なことだ。

 ……あいつと同じ高校に行きたいな。

 私、自分で思っていたよりあいつのことが大切みたいだ。

 今度、志望校聞いておかなきゃ。

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