第20話 デート
約束の当日、俺は待ち合わせ時間の十分前に現地に到着した。十二時に北駅前の時計台。
藍田はまだ着いていない様子だったが、落ち着かない。
中学三年以来の、二人きりの外出だ。
一応身だしなみも整えて、髪もそこそこワックスでイジった。
気合いを入れていると言われても否定できない格好だ。でもそれは、気の抜けた格好を見せたくないから。
戦いはまず服装からなのだ。しかし。
「……来ないんですけど」
俺は思わずげんなりして、一人で呟いた。
藍田が来ない。
それは俺に少しの喜びをもたらしつつ、同時にここで帰っても後で何をされるかも分からないという大きな悲壮感を与えた。
いくら気を許さない藍田とのデートだからといって、こっちは朝早く起きて準備をしたのだ。
率直に言ってあの時間を返して欲しい。
慣れないなりに、鏡とにらめっこしてワックスまで付けたのだ。
どうせ来ないなら、一目見てから帰ってくれ。
何とも矛盾している感情が渦巻いているのは自覚しているのだが。
「まったく……」
本当に来ないな。
一応連絡をしてみたが、返信はない。
少し迷ったあげく通話ボタンまで押したが、色のない呼び出し音が鳴り響くだけ。
ここまでしたのだから、さすがに帰っても文句は言われないだろうか。
そう思い始めた頃、ふと通りかかった女子大生らしきグループの会話が耳に入った。
「ねぇ、さっきの女の子大丈夫かな?」
「男の人に囲まれて、結構強引なナンパだった気がするんだけど」
「綺麗な子だったけど、その分街に出ると苦労しそうだね」
……いや、帰ろう。
一瞬だけその女の子の特徴を聞こうか迷ったが、やっぱりいい。
もし特徴が一致したら、その場に行かなきゃいけなくなる。
義務ではないのだろうが、さすがに罪悪感が出てきてしまう。
でも今も、女の子を見捨てることには変わりないわけで。
「彼氏さんとの待ち合わせ、十二時に北駅って言ってたわよね。もう随分遅れてるけど、何とか助けてあげられないかなあ」
おい、と心の中で思わずつっこんだ。
体育館裏であれだけ怜悧に思える裏を見せたくせに、たかだかナンパに引っかかるなんて。
こんな会話が聞こえてしまったら、さすがに無視することはできない。
一度盛大に息を吐いて、仕方なく女子大生に道を聞きに行った。
◇◆
「聞いてないぞ……」
五分後、俺は電柱の影から人だかりを凝視していた。
その中心には、見間違うはずもない藍田の姿。
周りには七人前後の大学生たちが囲んでいる。いくらなんでも多すぎる。
さりげなく「あっこいつ俺の彼女なんで」を使って逃げようかと思っていたが、まず藍田の元まで辿り着けるかどうか。
大学生たちも強面の人ばかりで、思わず帰りたくなる。
「とりあえず携帯鳴らしてみるか……」
これで出られる状況じゃなかったら、腹を決めよう。
見ただけで出られる状況じゃないのは分かるのだが、何かきっかけを作らないとこの場から動く勇気が出ない。
連絡先に登録されている藍田の名前を見つけると、電話をかける。
「勘違いしないでよぉ、俺たち誰にでも声かけるわけじゃないんだぜ。君があまりにも可愛いから思わず声かけちゃったのよ」
「お兄さん、私はお兄さんがタイプじゃないから断ってるの。何度言ったらわかってくれるんですか?」
あ、ダメそうだ。
携帯に反応すらせず、明らかに疲弊した様子の藍田を見て、さすがに決心がついた。
電柱の影から飛び出すと、縫うように走って人だかりの中へ侵入する。
その際「何だこいつ」と身体で遮られそうになるも、何とか藍田の元まで辿り着いた。
「あ、こいつ俺の彼女なんで」
よし、後はここから一目散に走って──。
「いや、違いますけど」
「はぁああ!?」
仰天して藍田を見ると、素知らぬ顔で見つめ返してきた。
「……おい、お前が彼氏か?」
ドスを効かせたその声に、思わず眉が釣り上がる。
「そうだって、さっきから──」
「違いますよ。他人です、他人」
「ちょっ」
何のつもりだよ、せっかく俺が──
出そうとした声は、ピーッ! という笛の音に掻き消された。
「君たち、何してる!」
「げ、パトロールかよ。とっとと行こうぜ」
どうやら、運良く警察の巡回と鉢合わせたらしい。
「ちっ、もう少しだったのに」
そう言うと、男たちは退散して行った。
何がもう少しなのかはよく分からないが、今はタイミングがぴったりのパトロールに感謝するしかない。
警察は俺たちに視線を投げて無事を確認すると、今しがたの男たちの方向へ向かっていった。
「はぁ、疲れた」
本当に疲弊している様子の藍田に、思わず気を使う。
「……お疲れ。災難だったな」
「えぇ、ほんとに。おかげで遅刻しちゃったし。ごめんね?」
「いいよ、仕方ないだろこれは」
「ありがとう。そう言ってくれると助かる」
弱々しく笑う藍田は、体育館裏で妖麗な笑みを浮かべていた時とはまるで別人みたいだ。
「なんで、今さ」
彼氏ってこと否定したんだ?
そう訊こうとして、やめた。
これではまるで本当に付き合っているみたいじゃないか。
それについ今しがたまで大学生に迫られて疲れている藍田に、その質問をするのは少し気がひける。
しかし途中で切った言葉で、俺が何を言おうとしたか大体察しはついたらしい。
藍田はため息を吐くと、
「別に。疲れてて頭が回らなかったし、よく覚えてないわ」
と言った。
「……そうか」
改めて藍田を見ると、声をかけられる理由も分かる。
上はデニムのアウターに、リボン付きのプルオーバーを重ねている。
下は裾に向かって緩やかに広がったガウチョパンツから、僅かに覗く足首にリボンを付けている。
ナンパされるのも無理はないほど、藍田は綺麗だった。
「なに、見惚れた?」
俺が眺めているのに気付き、藍田は上目遣いで聞いてくる。
そのあざとい視線をなるべく見ないようにして、先ほどの疑問を投げかける。
「藍田、さっきの嘘だろ。疲れてたから頭回らなかったってやつ」
「え?」
「助けてくれたんだな?」
俺が乱入したことに刺激された男たちが、危害を加えることを防いだ。
それくらいしか、今の藍田が俺との関係を否定する理由が見当たらない。
外したら、俺が恥ずかしい思いをするだけだ。
藍田は俺の問いに一瞬驚いた顔をして、上目遣いをやめた。
「うーん……別に。わざわざ助けに来てくれたのに、目の前で殴られちゃうのは申し訳ないから」
……それは助けるのと同じことだろう。
俺の顔を真っ直ぐ見ずに、それ認めようとしない藍田は心なしか照れているような気がした。
「そっか。まあ、パトロールも来てたしあんまり意味なかったけどな」
「ううん、私嬉しかったよ。桐生くんのことますます好きになっちゃった」
「ブッ」
藍田は俺の反応を見て、可笑そうにクスクス笑う。
その表情があまりにも純粋な笑顔に見えて、心の中で思わず首を捻った。
「藍田、今日なんかいつも通りだな」
怒られるかなと思ったが、藍田は澄ました顔を見せるだけだった。
「今までの性格が嘘っていうわけじゃないもの。思っていたことを隠してただけ」
「へぇ、ややこしい」
「なによ、不満そうな目しちゃって。一応彼女なんだけどな」
「バカ言え、あんな強引に言われて
自分に言い聞かせるような俺の言葉に、藍田は眉を顰める。
「……ふーん、ちょっとしくじったかなぁ」
髪をくるくると弄る藍田は、物憂げな表情でそう言った。
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