第2話 プロローグ(2)

 今日も相も変わらず、異常は無い。

 薬は想定通りの効果を発揮し、動物たちの欠損部位は少しずつだが回復してきている。いまのところ、副作用が強く出ている個体もない。


「じゃあ、僕はこの辺で失礼するよ」


 ヨシュビアは同僚たちに声をかけて、帰る支度を始める。

 その時、ウサギケージの方から普段は聞かないような大きな音が聞こえてきた。


「何だい? 足でも滑らせたのかな?」


 ヨシュビアは子供でもあやすように言いながらケージへと向かう。

 彼はケージを端から順番に確認し、ウサギが一羽倒れているのを見つけた。


「どういうことだ……? おい、みんなちょっと来てくれ!」


 ヨシュビアの口から疑問が漏れる。


「どうした?」


 ゼスカが心配そうにやってくる。


「53841番のウサギが死んだ」


 ヨシュビアは、ケージに付けられたモニターを指で示して言う。

 この研究室のケージには、中の動物の健康状態を自動的に計測してモニターに表示させる設備が導入されている。一々動物を押さえ付けて計らなくても、センサーやカメラからの情報を解析すれば分かることは色々あるのだ。運動量や呼吸数、心拍、血圧すらもかなりの精度で測定できる。さらに、欠損部位の再生状況も一目瞭然にしてくれる。


『死亡』


 そう、モニターに大きく表示されている。


「何があった?」

「最後に見てから、一時間も経っていない! 何も無かった! みんな元気だった!」


 ゼスカの問いに、ヨシュビアは興奮気味に言う。


「落ち着け。誰も君を責めてなどいないよ。ただ、最近は死んでしまうウサギは少なくなってきているからね。原因をハッキリさせなくちゃならない」


 そう言ってゼスカはヨシュビアの肩を、ぽんぽんと叩く。

 オフィスルームからぞろぞろと出てきたミケイロンたちも、ウサギのケージを覗きこんでいる。


「長期投薬の副作用の調査はまだまだこれからだ。一匹や二匹が死んでしまうのは想定の範囲内さ。ま、死ぬほどの副作用ってなら、他の奴も含めて、今までの記録も洗い直さなきゃな」


 ミケイロンがケージの番号を確認し、モバイル端末で情報に目を通していく。

 だが、いま優先すべきは過去のデータの洗い直しではない。電子記録は数日で腐ってしまうことはないが、ウサギの死体はそうはいかない。数時間放置するだけでもかなり劣化が進んでしまう。

 ゼスカは諭すようにヨシュビアに残業しての死因調査を依頼する。


 彼女には特に役職は無いのだが、ケンドリス博士と一緒に研究チームを立ち上げた初期メンバーの一人で、現場の中心的な人物だ。

 そのゼスカに言われ、ヨシュビアは一度深呼吸をすると、マスクにゴーグル、そして、手袋とエプロンを着用してウサギの死体を検査室へと運ぶ。


 超音波検査にX線検査を手早く済ませ、結果をまとめてコンピュータに解析させる。

 非破壊性の検査で状態の把握や、原因箇所を絞り込みをしておかなければ、解剖確認に膨大な時間を取られてしまう。


 検査の結果は意外なものだった。

 体内の幾つもの臓器が破裂したことによるショック死。

 外傷を全く残さずに、体内だけが激しく損傷しているのだ。


「バカな……」


 信じられないといった表情で検査結果を眺め、ヨシュビアはメスを取る。

 ウサギの腹部を切開すると、血と腸の中身が止め処なく溢れ出てくる。


 ヨシュビアは顔を顰めながら、出てくるものを分類していく。

 幸い、ウサギは草食動物だ。ラットやマウスとは違い、肉は食べない。出てきた肉片は全てウサギのものだ。


「どうした? 大丈夫か?」


 スピーカーからゼスカの声がする。

 ヨシュビアの心拍や血圧はモニタリングされ、異常があれば警告音アラームが鳴る。検査や実験中の事故対策の一つである。

「ああ、大丈夫だ。思っていたよりも酷い状態で驚いただけだ」

 左手を挙げて、問題ない、とアピールする。


 臓物の惨状に顔を顰めながら、ヨシュビアは各臓器の損傷状況を確認していく。

 胃や腸、肝臓に腎臓、肺、心臓……

 体内組織、内臓類は文字通り潰滅状態だ。

 一つひとつ、確認したことや所見を丁寧にカルテに書いていく。


 だが、これは不可解過ぎる。

 どんなことがあれば、内臓だけを破壊されるのか。

 皮膚にも骨にも、これといった異常はない。

 頭部左側面に、ぶつけた痕があるが、それで内臓が破壊されることもあるまい。


 子供向けのフィクションでは、触れるだけで相手を体内から破壊する超能力者が登場することもあるが、そんな不審者が出入りした形跡など無い。

 この研究室は厳重なセキュリティに守られているのだ。


 内臓の一部が病変として潰れたり破裂したりすることはある。

 だが、全ての内臓が同時に破裂するような病気など聞いたこともない。


 大きめのハンマーで腹をブン殴れば恐らく似たようなことになるだろう。

 だが、そんなことをすれば、皮膚や骨に確実に痕跡が残る。

 誰も、内臓だけを殴ることなんてできないのだ。


 ヨシュビアは念のためにと、胸部や背部を押してみるが、肋骨や脊椎に損傷があるようには感じられないようだ。

 そして、頭部を開けてみるが、脳にも目に見えるような損傷は無さそうである。

 やはり、ダメージは内臓だけにあるようだ。


 一通りの解剖しての確認が終わり、ヨシュビアは検査台を片付けていく。

 ウサギの肉片は薬品に漬けたり、冷凍して保存する。台に付着した血は、専用のダスターで拭き取り、専用のダストボックスに廃棄する。

 検査室を出るとエプロンに手袋、マスクも廃棄して、ゴーグルは洗浄機に放り込む。

 さらに、入口横のパネルを操作して、検査室内も消毒洗浄する。


「どうだった?」


 ヨシュビアが検査室から出てきたのを見て、ドミネアが声を掛ける。


「脳以外の内臓が全て潰れていたよ。まるで何者かに握り潰されたかのように」

「何者かって何だよ?」


 ドミネアは眉を顰め、首を振る。


「内臓が滅茶苦茶なのに、外傷が無いんだ。いや、厳密には、左側頭部に何かにぶつけた様な痕はあったが、そんな傷で内臓を損傷するはずがない」


 ヨシュビアの眉間の皺は深くなる一方だ。


「頭部の傷は壁にぶつけたものだろう。映像にも残っている」


 そう言って、ミケイロンが資料を映し出す。


「他に、内臓を損傷する様な動きは?」

「私には全くそんな様子があったようには見えないな。ドミネアは何か気付いたことあるか?」

「いや。突然、壁に向かって走って、ぶつかって倒れてそれきり、としか……」



「いつだ?」


 訪れた沈黙を破ったのはゼスカだ。


「いつって、何がだ?」

「内臓が潰されたのがだ」

「ふむ。走り出す前か、後なのか。この最期の四秒の行動を詳しく分析する必要があるな」

「それと、同時期から、あるいは同程度の投与している個体のリストアップを。全て健康状態を詳細に調べ直すよ」

「同じことが、起きると思いますか?」


 ヨシュビアは不安そうに言う。


「分からないね。分からないから調べるんだ」


 だが、ゼスカは研究者の基本に忠実な女性だ。余計な偏見を持たずに事態に臨もうとする。


「このウサギはK-26グループ、投薬を開始して二百六十五日目ですね。53830番から53843番まで、今残っているのは九羽ですか、それが同じ日です。その前後グループは十四日前と二十八日後です」

「じゃあ、まずは同じ日から開始した九羽から診ていくよ」


 研究員全員で、ウサギを一羽ずつ入念に検査していく。


「あの、夕食のデリバリー頼みますか?」

「そうだね。長丁場になりそうだ」


 コズエットはみんなのリクエストを聞くと、外線端末のパネルを開く。


 この研究所内で用いられているネットワークは、外界と物理的に切り離されている。

 雑務で、外線、いわゆるインターネットに接続する必要がある場合は、専用の端末を使う必要がある。


 機密事項の漏洩には細心の注意が払われているのだ。

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