第三部 ぐるめぐる探訪録〜オーエンズ領編〜

1 迷える少女

 



 少女は、焦っていた。


 仕事柄、国内各地を歩き回ることが常だが、どうにも地図を読むのが苦手だ。所謂いわゆる、方向音痴というやつである。

 彼女は昨日、海辺の街を目指し歩いていたはずだった。しかしその途中で激しい雷雨に見舞われ、どこか雨宿りできる場所はと無我夢中で歩いていたら……

 いつの間にか、この山の中にいた。


 ……何を言っているかわからないかもしれないが、とにかく彼女は、真性の方向音痴なのだ。



 嗚呼。ほんと、私ってどうしてこうなのだろう。



 と、三つ編みおさげにした長い黒髪までもが、しゅんとうなだれる。丸い眼鏡の奥の眉は、困ったように八の字を描いていた。



 ほんと最悪。

 道に迷って、山で野宿した挙句、こんな……


 ………いかにもな山賊に、絡まれるなんて。




「ヒャッハァ! 女だぁ! しかも巨乳!! こりゃあおかしらも喜ぶぞ〜?」



 少女は、目の前でいやらしい笑みを浮かべる男を見上げる。

 酒樽のような体型。寄せ集めで作ったようないびつな鎧。所々錆びついている長剣を抜き、チラチラとこちらに見せつけている。


 ……山賊だ。セリフも見た目も、絵に描いたようにテンプレな、ザ・山賊。

 正直、この程度の相手になら勝てる自信があった。剣にも魔法にも、多少の覚えがある。一対一なら、負けないだろう。

 ……だが、



「おお、女か。昨日は散々だったからな、代わりに慰めてもらうとするか。へっへっへ…」



 木々の間からもう一人、ズシンズシンと足音を立てながら、さらに大柄な男が現れた。ツルツルのスキンヘッドが、朝日を浴びてピカーッと輝いている。

 それに、元いた山賊が嬉しそうに笑い、



「お頭! やりましたね! 俺たちようやく、山賊らしいことができますぜ!!」

「ああ。金、酒、女……欲しいものは力ずくで奪い取るのが山賊というもの。それが……あの男に出会ってからというもの、何一つ上手くいかねぇ!! トレードマークのモヒカンも失っちまったし、俺ぁもう……山賊としてやっていける自信が持てなくてよぉ……」

「お頭ぁ、泣かないでくだせぇ! ほら、山賊らしく女捕まえましたから。しかも見てください、なかなかの巨乳ですよ! これ揉んで元気出しましょ。ね?」



 などと、下っぱらしき男に慰められる山賊頭。


 ……ていうか、さっきから人の胸のこと好き勝手言ってくれちゃって

  これはもう国家従事者の権限の元、牢屋にぶち込んじゃってもいいのでは?!


 と、少女は無言のまま息を巻く。大男二人を相手するのは少々骨が折れるが……こんなところで足止めを喰らうわけにもいかないし、致し方ない。


 少女は、腰にさした剣のつかを握る。

 魔法を使ってもいいが、今は雨上がり。教科書の教えに則るならば、水の精霊・ヘラが多く漂っているはずだ。……が、水の魔法を操るのは、あまり得意ではない。

 だったら、まずは……


 スラッ、と鞘から剣を抜く。剣で戦うと見せかけて、いきなり魔法を使って意表を突いてやろう。

 少女が抜き放った銀色の剣身を見るなり……山賊頭の目の色が変わる。



「ほぅ……お嬢ちゃん、俺たちとやり合おうってのか。へへっ、気に入った。俺は気の強い女が好きなんだ。その方が……なぶり甲斐があるからな」



 と、自身も剣を抜きながら、ニタリと笑う。仮にも山賊を束ねるトップだ、得物を手にした途端、人が変わったかのような気迫が放たれる。その後ろで、下っぱも剣を構え少女を睨みつけた。


 ピンと張り詰めたような緊張感が、両者の間を漂う……先に動き出すのは、果たしてどちらか。

 少女がゴクリと唾を飲み込んだ…………その時!!




「──水の精霊・ヘラ! 進路妨害しているやからをまとめてぶっ飛ばしちゃって!!」




 そんな声が、静かな早朝の山に響き渡った。直後。



 ──ゴポゴポゴポゴポ……ざばーーんっ!!



 どこからともなく現れた大量の水が、うねりながら少女と山賊を直撃する!!



「なっ、なんだコレ……がぼぼっ!」

「かっ、頭ぁ〜! 助けごぼべぼ」



 山賊頭と下っぱが、がぼがぼ泡を吹きながら濁流に攫われ退場していく。

 少女も水中で必死にもがくが、あまりの水量にどんどん流されてゆく。


 一体何が起こっているのだ? 昨日の大雨で、川が氾濫した?

 いや、直前に聞こえたあの声……あれは確かに、精霊への呼びかけだった。

 つまり、誰かが……こんな強力な水の魔法を使って……?



「……たっ……助け……っ!!」



 くそ、なんて日だ。海に行くつもりがいつの間にか山にいて、それも突然川になってしまった。

 ほんと私って、とことんついてない……

 少女は、天に向かって伸ばした手を、諦めたように水に沈めかけた……その時。


 その手が、ぐんっ、と何者かに引っ張られる。

 そのまま少女の身体は、濁流から引きずり出され……誰かに抱きかかえられるようにして、ちゃんと足のつく山の地面に着地した。

 た、助かった……誰かがあの水の中から引っ張り出してくれたのだ。



「あっ、ありがとうございます! 助かりまし…た……」



 少女は眼鏡の位置を直しながら、自分を抱きとめている相手の顔を見上げ……驚く。

 青年だった。それも、かなりの美形。格好からして、旅の剣士だろうか? 背の高い身体で少女を見下ろし、茶色い髪がさらりと揺れる。



「よかった。お怪我はありませんか? すみません。うちのエリスが手荒な真似を……」



 と、人当たりのよい紳士的な口調でそう言うので、少女は少し顔を赤らめて、



「い、いえ。山賊たちに絡まれて、困っていたところだったので……むしろ助かりました」

「山賊? ……さては、ワルシェ団の方たちですね。また性懲りも無くそんなことを…」



 心当たりがあるのか、青年がなにやら呟く。それを不思議そうに見つめていると、



「ああ、すみません。とりあえず連れを追わなければならないので、私はこの辺で。全身水浸しにしてしまって、申し訳ありませんでした」

「あっ、待ってください!」



 きびすを返し、去って行こうとする青年を、少女が呼び止める。



「あの……私、道に迷ってしまって。カナールという街は、どちらの方角ですか?」

「カナールであれば、今ちょうど我々も向っているところです。ご一緒しましょうか?」

「は、はいっ! ぜひ!! ……で、どっちに行けばいいのでしょうか?」

「さぁ。実は私も、よくわかっていません」



 軽い口調で返す青年に、少女は思わず「は?」と口を開ける。

 青年はにこりと笑って、



「お腹を空かせたエリスが、食料のにおいを頼りにひたすら突き進んで行くので、それについて来ただけなのです。昨日の昼からまともな食事を摂っていないですからね。限界なのでしょう。だから、彼女についていけば自ずと、カナールに着けると思いますよ」



 そう、返答されるが……

 少女には、その言葉の意味がひとっつも理解できず。



「は、はぁ……そのエリスさんという方は、今どちらに……?」



 首を傾げながら、少女が尋ねた……その直後。少し離れた場所で、水柱がズバァアアン!! と上がる。



「ああ、いましたね。あそこです。追いかけましょう」



 青年が水柱を見上げて、嬉しそうに駆け出すので、少女は。


「(……なんか、ヘンな人たちと関わってしまったかもしれない)」


 と、一抹の不安を抱えながらも、青年に続いて走り出した。





 エリスという人物の背中に追いついたのは、ツカベック山を降りてすぐのことだった。

 山道を抜け、レンガ畳の街道を少し進むと、すぐに街の入り口に差し掛かった。山と海に囲まれた地、カナールである。


 エリスはものすごいスピードを保ったまま、迷うことなく街中を右へ左へ進み。

 そして唐突に、とある建物の前でその足を止めた。

 魚のマークが描かれた看板……どうやら、食事処か何かのようだ。

 エリスが後ろを振り向かないまま店内へと足を踏み入れるので、少女は青年と共にその後に続いた。


 五組ほどしかないテーブルの窓側の席に、エリスはどかっと座る。

 そして、ビシッ! と姿勢良く右手を上げて、



「白身魚のタルタルフライ定食! と、ブリの甘辛照り焼き定食!! …で、いいわよね?クレア」



 そう、元気よく注文した後に青年に視線を向けた、エリスという人物は……

 瞳の大きな、可愛らしい少女だった。桃色がかった茶色いミディアムヘアーを、耳の横だけ三つ編みにしている。ローブを羽織った魔導士風の装いをしているが……先ほどの水は、やはり彼女の生み出した魔法なのだろうか。


 クレアと呼ばれた青年は「仰せのままに」とにこやかに答えながら、エリスの正面に座る。その隣の席を「どうぞ」と促され、少女は戸惑いながらもそこへ座った。

 斜め前でエリスが、店員に提供された水をごくっごくっごくっ、と一気に飲み干し、



「……ぷはぁああっ! いやーこれでようやく美味しいご飯にありつけ…………………って、誰。このびしょ濡れ娘」



 そこでようやく少女の存在に気がついたのか、エリスが訝しげな表情でクレアに尋ねる。



「貴女が先ほど水で吹っ飛ばそうとした方ですよ。道に迷っているというので、一緒に来ていただきました」

「あ、そうだったの。それは悪いことをしたわね。ああ、なんか適当に注文して?」



 なんて、一ミリも悪いと思っていなさそうな口調で、エリスがさらりと言う。

 少女はなんだか色々と衝撃的すぎて、前髪からぽたぽたと雫を垂らしたまま、言葉を失った。

 それを見かねたクレアが、口を開く。



「流れで店の中まで連れてきてしまってすみません。私は、クレアルド・ラーヴァンス。こちらは……」

「エリシア・エヴァンシスカ。エリスでいいわ。で、あなたは?」



 エリスが、少女を見据えて、真っ直ぐに尋ねる。

 少女は思わず姿勢を正してから……一つ、咳払いをして。




「──私の名前は、シルフィー・ヴェルマリニ・アインシュバイン。国から派遣された、"治安調査員"です」




 凛とした声音で。

 そう、答えた。


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