5-5 ツカベック山の衝動
「ん〜っ、美味しかったぁーっ♡」
焼き魚の最後の一匹を食べ終え、エリスは舌舐めずりをした。
思った通り、焼き立ての川魚は絶品であった。皮はパリパリ、身はふっくら。新鮮だから臭みもない上、塩でその旨味が最大限に引き出されていて、あっという間に平らげてしまった。
料理屋で提供される食事ももちろん美味しいが、こうして素材そのものの味をシンプルに味わうことも最高の贅沢であると、エリスはあらためて思う。
先に食べ終えていたクレアも、同意するように頷く。
「野宿にしては十分すぎるくらいに美味しい夕食でしたね」
「うん。正直、量としては全然足りないけど、味は最っ高だったわ」
「やはり、エリスの持っていた塩が効きました」
「ふふーん、でしょ? あんたも調味料携帯したら? おすすめよ」
と、得意げに胸を張るエリスに、クレアは笑顔で「前向きに検討します」と返す。
「ところで……調味料といえば、先ほどチェロさんから何か奪っていませんでしたか?」
「あ、そうそう。なんかの花の蜜だって。すっごく稀少なものだって言ってた。ホントかどうか知らないけど」
クレアに指摘され、エリスは自身の胸元から小さな瓶を取り出す。
ほんのり黄味がかった、半透明でとろみのある液体。見た目は、確かにシロップのようである。
コルクを開け、匂いを嗅いでみる……と、ふんわり甘い香りが漂ってきた。
「ん、いい匂い。ちょっと舐めてみる」
……その瞬間、洞穴の奥に追いやられた氷の中で、チェロが「ダメダメ! ダメぇっ!!」と声にならない叫びを上げているとも知らずに。
エリスは、人差し指に蜜を垂らし……
ぺろりと、舐めた。
瞬間、
「あっっま! のどが熱いくらいに甘い! ……あ、でも美味しい。ほんのり花の香りがする。蜂蜜やメープルシロップとはちょっと違うみたい」
などと、クレアにも伝わるように食レポをしつつ、もう一口舐める。
「ん〜……このまま味わうようなモンじゃないわね。紅茶とかに溶かしたら、香りも楽しめて美味しそう」
「なるほど。フレーバーティー、というやつですね」
「そんなかんじ。ということで、これはまた今度使うことにするわ」
そう言ってコルクを閉めると、エリスはそれを自分の荷物の中にしまった。
ああ………終わった。
と、チェロは絶望しながらそれを見つめる。
舐めたのがクレアだけなら、まだ望みはあった。クレアが欲望のままエリスに襲いかかったとしても、エリスがそれを拒否して攻撃魔法でもぶちかませば事なきを得ることができたはずだ。
しかし、エリスだけが口にした場合。
……こんな可愛らしい少女が、抗えない欲求に身体を火照らせ、「慰めてくれ」と懇願してきたら……?
それを拒否できる男などこの世にいるだろうか?(いや、いない)
しかも相手は、よりによってエリスのストーカーを名乗る男である。据え膳を食わない理由がない。
媚薬の力によって、強制的に発情させられたエリスが、一体どんな風になるのか……
見てみたいと願ってはいたが、まさかこんな形で見せられることになろうとは。
「(………もういっそ、殺して……っ)」
そんなチェロの想いは届くはずもなく。
エリスの身体は、徐々に熱に侵されてゆく……
「──夜が深まるにつれ、だいぶ気温も下がってきましたね。火は点けたまま、交代で寝ましょうか。エリス、先におやすみください」
しとしとと降り続く雨。
小枝の燃える、パチパチという音。
炎に揺らめく、二人の影。
焚き火を挟んだ向こう側に座るエリスに、クレアは何気なくそう言った。
しかしエリスは、自分の肩をぎゅっと抱いて、
「……いい。あんた先寝て」
そう、短く答えた。
クレアはふっと笑って、
「心配せずとも、貴女の眠りを妨げるようなことは何も致しませんよ」
「……その言い方だと、『起きないようにならナニかする』みたいに聞こえるけど」
「あはは。考えすぎですよ」
などと、いつものように軽口を言い合うが。
普段なら凜と張りのあるエリスの声が微かに震えているのを、クレアは聞き逃さなかった。
「……エリス、少し寒いですか?」
「…………別に」
「頬が赤いですよ。まさか、熱があるんじゃ……」
「は……はぁ? 火が反射してるだけじゃない?」
「目も潤んでいるじゃないですか。雨に濡れて、身体を冷やしてしまいましたからね。風邪を引いたのかもしれません。ほら、これ。もう一枚羽織って、早く寝てください」
そう言ってクレアは自分が着ている服を脱ぎ、エリスに渡そうと近付く。
エリスは身を引きながら「平気だってば!」と拒絶するが……クレアはお構いなしに、彼女の額に手を当てた。
「……すごい熱。いつからこんな状態だったのですか?」
いつになく真剣な声音でクレアが尋ねると、エリスは嘘を咎められた子どものようにバツの悪そうな顔をして、
「………ご飯食べ終わってから」
俯きながら、ぼそっと答えた。
それを聞き、クレアの脳裏にはある懸念が浮かぶ。
ただの風邪ならまだいいが……食べたものが原因だった場合、容態が急激に悪化する可能性がある。食中毒や、アレルギー反応といった類のものだ。
しかし、川魚は内臓を取り除いたし、しっかりと火を通して食べた。何より同じものを食べたクレアに異変がないのだから、魚が原因の食中毒とは考えにくい。
また、これまでエリスは散々魚料理も口にしてきたのだから、今さらアレルギーという線もないだろう。
ならば、残る可能性は……
「………………」
クレアは断りを入れる間も無く、洞穴の隅に置かれたエリスの鞄を漁る。
彼女だけが口にした、得体の知れない液体。
チェロ曰く、"稀少な花の蜜"らしいが……
『のどが熱いくらいに甘い!』
鞄の中からその瓶を探り当てたクレアは、エリスが発した言葉を思い出す。
……ただの花の蜜が、そんなに刺激的な甘みを持っているだろうか…?
クレアはコルクを開け、ほんの少しだけ、自身の小指にそれを垂らし。
口に含み、静かに味わってみた。すると、
「………これは……」
この味と香りには、心当たりがあった。
今は亡きジェフリーの元で訓練を受けていた頃。その味を見極められるよう、また耐性をつけるため、あらゆる毒物を口にしてきた。
その中に、これと近いものがあったのだ。
ぼうっと頭が痺れ、思考力を奪われ。
甘い熱に身体が火照り、欲望に全てを支配される。
猛烈な催淫作用を持つ……
「…………媚薬……?」
そう、呟いた直後。
クレアは後ろからぎゅっと、抱き着かれていた。
背中に、熱くて柔らかい感触。
顔を見ずとも、相手は決まっている。
「え、エリス……?」
クレアは、伺うように恐る恐る振り返る。
と、そこには……
「………クレア……あたし、なんかヘンなの………」
上気した頬。潤んだ瞳。
だらしなく開いた唇からは、荒い吐息が漏れている。
そんな、熱に浮かされた表情のエリスが抱き着いたまま、縋るようにクレアを見つめていて。
「だ……大丈夫ですか? って、大丈夫じゃないですよね。とりあえず、熱を冷ますためにも水分を……」
と、再びエリスの鞄を漁り水筒を探そうとするが……
それを見つける前に、
「………うわっ」
──ドサッ。
クレアの身体は、エリスにより強引に地面へ押し倒された。
仰向けになった彼の上に、エリスが四つん這いになって跨る。
そして、
「……どうしよう。あたし…………
………あんたのこと、食べたい」
それは、聞いたこともないくらいに切なげな声で。
見たこともないくらいに、艶かしい表情で。
クレアは、何も言えないまま。
徐々に顔を近付けてくるエリスを、静かに受け入れた──
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