5-3 ツカベック山の衝動
「ふ…ふ……フォアグラ」
「ら……ラタトゥイユ」
「ゆ? ゆー………湯豆腐」
「フォンダンショコラ」
「わ、食べたい」
湿ったにおいの満ちる、洞穴の中。
エリスは炎の精霊・フロルが周囲にいないか探るが……やはりその気配はなく。
せっかく釣った魚を、焼いて食べることができないでいた。
洞穴の奥の方、突き当たり部分が吹き溜まりになっているのか、木の葉や小枝が落ちているのは見つけたが、肝心な火種がないのだからどうしようもない。
洞穴の外は、相変わらずひどい雷雨である。
しばらく止みそうにないので、今はとにかくここで雨を凌ぐしかないと、二人は床に腰を下ろした。
で。
暇を持て余したエリスの提案で『料理名しりとり』をしている最中なわけだが。
「はい、エリスの負けですね。約束通り、罰ゲームとして最新のスリーサイズを測らせてもらいま……」
「そんな約束した覚えはない! ていうか、まだ負けてないから! フォンダンショコ『ラ』でしょ? ら、ら………あっ! ラムレー……………」
「………え、なんですか? 最後までちゃんと言ってください?」
隣で意地悪く尋ねるクレアに、エリスは顔を真っ赤にして唇を噛み締めながら、
「…………………らむれーずん」
「はい負け。さ、立ってください。頭のてっぺんからつま先まで、あらゆる箇所を測定してさしあげましょう」
「だぁから、なんでそうなる!? さっき下心吹っ飛んだとか言ってなかった?!」
「いえ、これは決して下心ではなく、職業病で……」
「そう言えば何しても許されると思ったら大間違いなんだからね! あんたがどんな人間か、もうわかってるんだから!!」
身を守るように自分の腕を抱きながら、エリスが叫ぶ。
洞穴内に少しだけ反響したその言葉に、クレアは。
自身の
「………ありがとうございます」
「はぁ?! なんでこの流れで感謝?! こわっ」
微笑むクレアに、エリスはますます引きながら、ため息をつく。
「まったく……相変わらずフロルの気配はないし、クレアは変態だし、なによりお腹空いたしっ。さいあくっ」
「完全に昼食を食べ損なってしまいましたね。もう夕方と言える時間帯でしょうか」
言いながら、クレアは外の様子を伺う。
分厚い雨雲に覆われているため、太陽の位置から時刻を予測することは難しいが……ただでさえ暗い空が、さらに暗くなってきているように感じられる。恐らく、日が沈み始めているのだろう。
仮に濡れるのを覚悟で今から山道を進もうにも、豪雨のおかげで足下がかなり悪い。そうでなくとも不慣れな山を日が暮れてから進むなど、命取りである。
………ということは、今日はこのままここで、野宿か?
つまり、この狭い洞穴の中で……
エリスと二人きりで、一夜を共に………
……などと、クレアが考えていると、
「もう……あんまりストックないから使いたくなかったけど……」
ため息まじりにぼやきながら、エリスがスカートのポケットから何かを取り出す。
「……はい、ハッカ飴」
自分の分を口の中に放り込みながら、紙に包まれたそれをクレアにも差し出した。
それは……以前もらったのと同じ、エリスのお気に入りの飴だ。
あの時もらったものは、今も食べずに大事にとっておいてあるが、
「……いいのですか? 今、残り少ないって……」
「……さすがにあんただってお腹空いてるでしょ? 釣りの仕方教えてくれたし……しりとり負けたし。そういうアレよ。あんま腹の足しにはならないでしょーけど」
なんて、目を逸らしながらぶっきらぼうに言ってくる。
その、尖らせた唇と、ほんのり染まった頬に。
……クレアはどうにも、弱いらしく。
「………ありがとうございます。では、せっかくなので……昨日みたいに『あーん』して食べさせてくれませんか?」
「なっ……!」
目を細め、試すように言うクレアに、エリスはますます顔を赤くする。
「あ、飴くらい自分で食べなさいよ!」
「えー、昨日はシュークリーム食べさせてくれたじゃないですか」
「昨日の件があったから言ってんの! あんた、あたしの指についたクリームまでほんとに舐めるんだもん! あんなこと、もう二度としないんだからね!」
「そう言うエリスだって、私の指の隅から隅まで舐め尽くしていたじゃないですか」
「うっ……そ、それは………」
「それは?」
ジリジリと
「………指を舐められるのが、あんなヘンな感覚だなんて……されるまで、知らなかったんだもん」
蚊の鳴くような声で、弱々しく言うエリス。
その言葉に、表情に。
クレアは、自身の中に湧き上がる加虐心を、いよいよ抑えられなくなる。
「ヘンな感覚、って……一体どんな感覚だったんですか?」
「……くすぐったい、みたいな……背中が、ぞわぞわってするみたいな………とにかく、ヘンだったのっ。だからもうしないっ」
「確かに、舐められる度にピクピクしていましたもんね。指は神経が集中している箇所ですから……エリス、そういう感覚、なんて言うか知っていますか?」
首を傾げ、「わからない」という顔をするエリスに、クレアは微笑みかけると。
内緒話をするように、彼女の耳にそっと手を添え、
「………"感じる"、って言うんですよ」
囁くように、そう言った。
瞬間、
「………な……な………ンなワケあるかぁああああっ!!」
エリスは、肩から提げていた『
しかしクレアは、くるりと後転してそれを
「あらら。さすがにその言葉の意味は知っていましたか。で、実際どうだったんです? 指を丁寧に舐められて、感じちゃいました?」
「うるっさい、このヘンタイ!!」
「否定しないってことは、図星なんですか?」
「……~~っ! そんなん、わかるワケないでしょ! あ、あんなことされたの、初めてなんだから!!」
「それは嬉しい限りです。他の箇所の初めても、全部私に奪わせてくださいね」
「黙れぇっ! あんたなんかこの山に埋葬して、土に還してやる!!」
近くに落ちている石を次々にクレアに投げつけながら叫ぶエリス。
すると、突然……
「──エリス! 今の言葉、本当?!」
洞穴の外、未だ雨が降りしきるその場所に、一人の人影。
雨用のローブを身に纏い、フードを被っているため、人相までははっきりと見えないが……
フードに収まり切らず溢れている金髪と、その声から、エリスとクレアにはそれが誰なのかすぐにわかった。
エリスの、もう一人のストーカー。
チェルロッタ・ストゥルルソン、である。
彼女は、嬉しそうな笑顔を浮かべながら、
「その男を葬るっていうのなら、全力で加勢するわ!!」
高らかに、そう言った──
* * * *
──遡ること、五日前。
リリーベルグの街で、押し込み強盗・器物破損の罪に問われたチェロは、役人の元でみっちりと取り調べを受け。
どうにかこうにか、自分が国から認められた魔導士であり、魔法学院の特別栄誉教授であることを信じてもらい。
そうは言っても、宿屋の窓ガラスや(こちらは主にエリスのせいだが)部屋の内装を破壊したことは事実なので、その修理代を宿屋の主人に納めるよう要求され。
なんやかんやで、リリーベルグの街に四日も拘束されてしまったのだった。
チェロは、焦った。
二人の目的地は把握している。オーエンズ領のイリオンである。
そこに辿り着けば、間違いなくエリスに会える。だけど……
……それまでの間に、エリスが危険な目に合っていたら。
さらに言えば、あの"ストーカー"を名乗る男の毒牙にかかっていたら………
考えただけで、泣きそうになる。
一刻も早く、エリスたちに追いつかなければ。
役人に解放されたのは昨日の夜中のこと。そこからチェロは、ほぼ休みなく歩き通し……
そして、今日の昼。
彼女はようやく、このツカベック山に足を踏み入れたのだった。
山へ入るなり、ぽつぽつと雨が降り始めた。
だが、それはチェロにとって
雷鳴轟く山道を、疲れを感じさせない足取りでずんずん進んでゆくと、
「ヒャッハァ! お
山賊が現れた。言わずもがな、ワルシェ団の下っぱその一である。
そして、やはり言わずもがな、その呼びかけに答えるように木々の間からモヒカン……を刈り取られ、スキンヘッドになってしまった山賊頭が現れた。
「おお。俺好みのいい女じゃねぇか。へへ、さっきはとんだ目にあったが……お前さんの身体で、それもチャラにしてもら……」
「
チェロは淡々と精霊封じの小瓶を開ける。
直後、顕現した魔法の雷が「バリバリバリ!」と音を立てて山賊頭の脳天に降り注ぐ!
「あががががが!」としばらく痙攣した後、ぷすぷす煙を上げながらバタン! と倒れ込む山賊頭。
残された下っぱその一は「ひぃいっ!」と恐怖に顔を歪めながら、
「な……なんなんだよ、どいつもこいつも! クレアさんといい、あの連れの女といい……今日は最悪だ! 厄日だ!!」
などと嘆くので。
「…………今、『クレア』と『女』、って言った?」
チェロは下っぱその一に詰め寄る。
エリスのストーカーを名乗るあの男……確かエリスに、『クレア』と呼ばれていた。
もしかすると……
「……その『クレア』ってやつは、男?」
「へぇ?! は、はい。べらぼうに強くて、無駄に顔がいい剣士でさぁ」
「一緒にいた『女』っていうのは、肩ぐらいの髪の毛の、超絶可愛い娘よね?!」
「え、えぇ……確かに、可愛かったっスよ?ただ、俺たちが持っている中で一番高い釣り竿を遠慮なくぶん取っていく、血も涙もない女でして……」
「その二人が、今日、この山を登ったのね?!」
「は、はい。つい数時間前、ここを登ってきやした。で、釣りがしたいってんで、俺たちから釣り竿を奪ってこの先にある川の方へ向かったんです」
チェロの勢いに怯えながら、下っぱその一は涙目になりながら答える。
………間違いない。エリスたちだ。
どうやら予想よりもずっと遅いペースで進んでいたらしい。
これは……追いつける!
「あんた」
「はっ、はいっ?!」
チェロは、下っぱその一の肩をガッと掴むと、
「その川まで案内しなさい。それから、雨除けのローブを一着、用意して」
目を血走らせながら、そう命じたのだった。
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