5-2 ツカベック山の衝動




「…………えいっ!」



 ヒュンッ! と音を立て、エリスの振るう釣り竿が空を切る。

 ぽちゃん、と水に落ちた針の先には、魚のエサとなるミミズが一匹、付いていた。



「まさかあんたに山賊の知り合いがいただなんてね。おかげで釣り道具一式、手に入れることができたわ」



 エリスはクレアの方を振り返りながら、満足そうに言った。





 一刻前。

 モヒカンを刈り取られ意気消沈したワルシェ団のかしらに、クレアは「釣り道具を持っていないか」と尋ねた。

 このツカベック山を根城に生活する山賊たちである。クレアの読み通り、釣り竿も餌もバケツも、十分な量を備え持っていた。


 ワルシェ団のねぐらにお邪魔し、ずらりと並べられた釣り道具をエリスは品定めするようにじっくりと眺めてから、「じゃあ、コレ」と一本選び出す。

 それは、山賊たちの持つ釣竿の中で、最も新しく高級な釣り竿であった。

 山賊たちが「それはご勘弁を……」と言いかけるが、クレアの無言の圧を感じ、止めることもできず……泣く泣く手放したのだった。




 そうして手に入れた上等な竿をしならせ、川へ釣り針を投げ込むエリスを、クレアは近くの岩に腰掛け眺める。

 先ほどから上機嫌で竿を振るってはいるが……一向に魚が当たる気配がない。


 しばらく彼女のしたいようにさせていたクレアだったが……

 数分後、



「………………釣れない」



 エリスが縋るような目でそう言ってきたので、苦笑しながら腰を上げた。



「エリス、釣りの経験は?」

「ない」

「……それでよくやってみようと思いましたね」

「だって! 食べたかったんだもん! 川魚の塩焼き!!」



 と、涙目で答えるエリス。

 通りで、エサの付け方も投げ入れる箇所もめちゃくちゃなわけだ。勢いと自信だけはある様子だったので、暫し見守ってはいたが。

 クレアは針にエサを付け直すと、エリスの背後から腕を回し、竿を握る手に自分のを重ね、



「いいですか? 岩肌が見えているような浅い箇所では上手く釣れません。水深が深くて、周囲よりも流れが速い"瀬"を狙うのです」

「せ?」



 と、どさくさに紛れて後ろから抱きしめるような体勢を取りつつ、クレアは至極真面目な口調で手解きをする。



「"瀬"には魚が好む虫が集まりやすいので、腹を空かせた活きのいい魚が狙えますよ。例えば……あの辺り。一緒に投げてみましょう」

「わかった」



 『活きのいい魚』というワードに惹かれたのか、エリスはきらんっと瞳を輝かせ、素直に頷く。

 そしてクレアに握られた手で、彼にコントロールされるままに竿を振るった。

 狙い通り、釣り針は深くて流れの速い場所へと落ちる。


 そのまま、しばらく待っていると……



「…………! きた!!」



 エリスが声を上げる。釣り糸がピンと張り詰め、竿がぐにゃりとしなった。魚がヒットしたらしい。

 クレアはエリスに竿を引くよう指示し、網を用意する。

 冷たい水を跳ね上げ川面かわもから姿を見せたのは、エリスの手のひらほどのサイズの、まずまずな大きさの魚だった。

 クレアが無事、網で捕まえると、エリスが「いぇーい☆」と手を掲げてくるので、クレアはハイタッチで答えた。



「すごい! 釣れたね! クレア、釣り上手いんだね!!」



 バケツに移した魚を眺めながら、エリスは子どものようにはしゃぐ。

 その眩しいくらいの笑顔に、クレアは微笑み返して、



「……昔、ある方に手解きを受けまして。私の、恩師と呼べる方です」



 そう、言った。

 エリスはそれに「恩師?」と首を傾げる。

 クレアは少しだけ間を置いて、再び口を開く。



「………その人からは、本当に色々なことを学びました。仕事における技術はもちろん、魚の釣り方、美味い料理屋、酒の飲み方、星座の見方まで……本当に、息子のように面倒を見ていただきました。豪快で、ぶっきらぼうで、でも深い愛情を持っていて……今の私があるのはその方のお陰なので、心から感謝しています」



 貴女の、お父様のことですよ。と。

 言ってしまいたくなるのを、クレアはぐっと堪える。


 目の前で首を傾げているエリスは、父親ジェフリーがどれほど素晴らしい人間だったのか、そして、何を言い遺しこの世を去ったのかを、知らない。

 その事実に、クレアの胸に少しだけ、忘れたはずの寂しさが押し寄せてきた。



 今はまだ、貴女に全てを語ることはできないけれど……

 この旅の目的を果たした暁には、きっと……



 どこか寂しげな表情を浮かべるクレアを、エリスはきょとんと眺めながら、



「……あんたがそんな風に誰かの話をするなんて、珍しい。よっぽどいい人なんでしょうね、恩師さん。王都に帰ったら、あたしにも紹介してね」



 無邪気な笑みを向け、そう言ったのだった。






 その後、コツを掴んだのか、エリスは魚を次々に釣り上げ……

 六匹目をバケツに移したタイミングで、



「……ところで、この魚、どうやって食べるつもりですか?」



 ふと、クレアがエリスに尋ねた。

 エリスは「何たる愚問」とでも言いたげな表情を浮かべ、



「決まってるじゃない。火にかけて焼くのよ」

「なるほど。では、たきぎを集めなければなりませんね。ちなみに……火種は、お持ちでしょうか?」

「ふっ。あたしを誰だと思ってんの? 神に愛されし舌を持つ天才魔導士よ? 炎の精霊・フロルを呼び出せば、マッチなんかなくったって……」



 と言いながら、エリスはぺろっと舌を出し、目には見えない周囲の精霊を探るが……



「…………………………ん?」



 目を見開いて、固まる。

 そして再び、辺りの匂いを嗅いだり、舌を出してみたりするが……




「…………………フロル、近くにいないっぽい♡」




 コツン☆ と頭を叩いて言ってのけるエリス。

 クレアはそれを、



「……………………」



 笑みを貼り付けたまま、無言で見つめ……



 ……というタイミングで。

 灰色の空からポツポツと、雨が落ち始めた。






 とりあえず濡れるのはまずいと、二人は魚の入ったバケツを手に持ち、雨を凌げる場所を探す。

 雨の勢いはみるみる内に強くなり、山は雨粒が草木を打つ音に包まれた。


 二人は髪の先から雫をぽたぽた垂らしながら山道を登り、やがて川から少し離れた場所に小さな洞穴のようなものを見つけた。ひとまずそこで、雨宿りをすることにする。


 洞穴に入った途端、空がピカッと明滅し、遅れて「ゴロゴロ」という低い音が聞こえてきた。どうやらただの雨雲ではなく、カミナリ様付きだったらしい。



「これは……しばらく動けそうにありませんね」

「うう……お魚食べたかったのにぃ…」



 エリスは残念そうにこぼしながら、びしょ濡れになったローブを脱ぎ始める。

 それを、クレアは……魚入りのバケツを置きながら、じっと眺める。



 水に濡れた、艶やかな髪。

 身体にぴたっと貼り付いた、薄いブラウス。

 そんな彼女と、狭くて暗い洞穴に、二人きり。


 ……うーん。これは、なかなか。



 そんなクレアの視線に気が付き、エリスはスカートの裾を絞りながら「……なに?」と尋ねる。

 クレアはいつになく神妙な面持ちになって、



「……エリス。月並みなことを言っても、よろしいですか?」

「………だいたい想像つくけど、聞いてあげる。なに?」

「濡れた服のままで風邪を引くといけないので、ここはひとつ、裸で身体を温め合いま……」

「却下」



 ばっさり斬り捨てられ、クレアは「ですよね〜」と微笑む。どうにも彼女のこととなると、欲求をストレートに口にしてしまいがちである。


 それから、クレアも身に付けていたアーマーを外し、ずぶ濡れになったシャツを脱いで絞る。染み込んだ雨水がジュワッと溢れ出し、これじゃまるで雑巾だな、と他人事のように思っていると……



「………確かに、このままじゃ風邪引いちゃうわね」



 エリスがその様を見つめながら、ぽつりと呟いた。

 そして、上半身裸になったクレアの腕を掴み、ぐいっと自分の方へ引き寄せると、



「……いいわ。あんたのお望み通り…………一緒に身体を、温めましょ……?」



 腕を絡め、意味ありげな笑みを浮かべて、そんなことを言ってくるので……

 クレアの心臓は、どきりと跳ね上がる。



 ま、まさか、本当に……

 裸になって、肌を温め合おうと……?

 っていうか、意味わかって言ってる?そんなん温め合うだけで終わるはずがないんだからね??


 この一週間で、彼女とはかなり親密になれたと思ってはいたが……

 こんな……こんな、ダイタンな……



 ……と、自分で仕掛けておいたくせに困惑していると。

 ニヤリ。とエリスが笑って。




「──暖気の精霊・ウォルフ! と、ちょっとだけキューレ! 交われフュージア!!」




 宙に指を踊らせ、魔法陣を描いた。直後!




 ──ぶわぁぁあああっ!!




 突然、温かな爆風が正面から吹き付ける!!



「………っ?!!」



 いきなり竜巻の中に放り込まれたかのような風圧に、クレアは驚愕しつつも足を踏ん張る。

 エリスはと言えば、クレアの腕にしがみつきながら「ひゃっほぉう☆」と楽しそうにはしゃいでいた。


 髪と服をバサバサとはためかせ、魔法で生み出された突風はみるみる内に水気を飛ばしてゆき……


 やがて風が止む頃には、二人の全身はすっかり乾いていた。



「………ふう。どう? ぱんつまで乾いたでしょ?」



 歯を見せて笑う、したり顔のエリスに。

 ……嗚呼、このひとには敵わないなぁ、と。



「……ええ。湿っぽい気持ちも下心も、全部吹き飛びました」



 クレアはそう、笑い返すのだった。


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