4-3 ピネーディアの攻防




 さすがのエリスも、この傷心の状態では朝食も喉を通らないのでは……?

 などとクレアは考えていたのだが、その心配は徒労に終わった。


 宿の近くの小料理屋に入るなり、エリスは、



「若鶏の甘酢あんかけ定食。ご飯大盛りで」



 と、メニューノールックの決め打ちオーダーをかましたのだった。

 クレアは感心すると同時に、少し安心した。


 そのまま二人で遅めの朝食を済ませると、エリスは「ちょっと寝てくる」と言って静かに宿の自室へと戻っていった。

 その背中を見つめながら、クレアは思う。



 昨夜、悔しさからあまり眠れなかったと言っていたし、精神的な疲労もあるのだろう。見も知らぬ赤の他人から、あからさまな悪意を二度も向けられたのだから。

 しかしエリスは、あの嘘つきなマダムや二人組の女性を、悪く言うことはしなかった。

 普通なら愚痴の一つもこぼしたくなるだろうに、何故不満を口にしないのだろうか……

 クレアは一瞬疑問に思ったが、しかしすぐに理由がわかった。



 何故ならエリスも、必要があれば同じことをする人間だからだ。

 目的のためなら、使えるものはなんでも使う。

 人を欺くことも、利用することもいとわない。



 ………まったく。そんなところばかり父親似なのだから。



「…………だからこそ」



 だからこそ、父親ジェフリー直伝の諜報スキルを駆使して。

 "使えるもの"として……使われてやろうじゃないか。



 クレアは、エリスが宿部屋の扉を閉めるのを見送ってから。

 宿を出て、再びピネーディアの街へと繰り出した。






 ──さて。どこから始めようか。

 大まかではあるが、クレアには計画があった。


 時刻はまもなく正午を迎える。ぽかぽか陽気の、穏やかな日だ。

 酪農以外は何もない田舎街だが、昼食時だからかそれなりに人の往来が見られる。聞き込みをするなら、今の時間が好ましいだろう。


 クレアは足先を街の入り口の方へと向け、歩き出す。その背には、この街へ来た時と同じように旅荷を背負っている。

 もちろん宿の自室に置いておける荷物だが、聞き込みをする際には『この街に来たばかりの、右も左も分からない旅人』を装った方が、みな親切にあれこれ教えてくれるものなのだ。



 クレアは街の入り口付近に辿り着くと、まだ歩いたことのない通りを選び、折り返すようにして歩き出した。

 この街に滞在して早三日。宿の近くでは何度も食事をしているし、住民に顔を知られている可能性がある。

 そうなると、さすがに"今来たばかり"装うことは難しい。だから、初めて通る道を選んだのだ。



 出店が立ち並ぶ、比較的賑やかな通りを、クレアはきょろきょろと見回しながら進んでゆく。

 すると狙い通り、出店の店員たちが「旅の人!ピネーディアへようこそ!」「よかったら見てってー」と声をかけてくる。

 完全に"たった今街にやってきた人間"だと思われているようだ。


 クレアは人の良さそうな微笑みを返しつつ、さぁ、誰に話しかけようかと品定めを始める……と、ワゴンでアイスクリームを売っているおばちゃまを発見した。よし、彼女にしよう。



「こんにちは。美味しそうなアイスクリームですね」

「いらっしゃい、旅人さん! 今日は天気もいいし、のど渇いたでしょう? お一ついかが? お兄さんハンサムだから、ちょっとおまけしてあげるよ」

「ありがとうございます。ぜひ、お願いします」



 エプロンをかけたアイス屋のおばちゃまは「あいよ!」と答えると、慣れた手つきでワゴンの中のバニラアイスを掬い、コーンに乗せる。

 ピネーディア産の新鮮な牛乳で作られたものなのだろう、白というよりは黄色に近い、濃厚さが伺える色味だ。

 ひと玉分乗せた上に、「はい、おまけ」と追加で小さな玉を乗せ、まるで雪だるまのようになったアイスを差し出してくれる。クレアは礼を述べ受け取ると、引き換えに金貨を渡した。


 さっそくひと舐めしてみると……クレアは思わず「ん」と声を上げてしまう。美味い。とろけるような甘みが口内に冷たく広がり、濃厚な牛乳の風味が鼻に抜けるようだ。

 その様子を見ていたおばちゃまは、受け取った金貨をしまいながらにんまり笑って、



「美味いだろう? お兄さん、男の一人旅でアイスを買い食いするなんて珍しいね。甘いもの、好きなのかい?」

「ええ、甘いものには目がなくて。酪農が盛んなこの街では美味しいスイーツが堪能できると聞いて、楽しみにして来ました」

「だったら今はあそこが大人気だよ。『レヴェロマーニ』のシュークリーム」



 きた。

 まさかおばちゃまの方から話を持ち出してくれるとは。



「シュークリーム、ですか?」



 と、クレアはさも『初耳です』といった表情で聞き返す。

 おばちゃまは頷き、



「あたしも一回しか食べたことがないんだが、そりゃあもう大人気! 連日、朝から長蛇の列で、あたしら地元民でもなかなか買えない代物なんだよ」

「へぇ、そんなに人気なのですか。今から行ってみようかな」

「ああ、ムリムリ。この時間なら、もうとっくに売り切れちゃってるよ」

「えっ、そんなにすぐに売れてしまうのですか?」

「人気な上、数に限りがあるんだ。亡くなった先代の店主の娘さんが一人で作っているらしくてね、一日百個作るのが限界なんだって。先代の時は普通に美味しい街の焼き菓子屋さんだったんだけど……娘さんがあのシュークリームを開発してから、一躍有名店になっちゃって。今や街の外からも客が来るくらいなんだよ」

「なるほど。それほど美味しいシュークリームを、たった一人で作っているだなんて……大変そうですね」

「そうなんだよね〜。確かに菓子職人としての腕はいいんだろうけどさ、店の回し方がね……毎朝毎朝シュークリームを求める客で長蛇の列ができちゃって、近隣住民から苦情が出ているんだって。それに『一人何個まで』って決めてないから、一気に何十個と買い占めちゃう客もいて……まさに早い者勝ち状態。あそこのシュークリームに魅入られた連中はみんな、ピリピリしている。なんだか嫌な雰囲気でさ」

「それは……もったいないお話ですね」

「ね。だからあたしなんかは、もう買わなくてもいいかな、ってかんじなのさ。もっとこう、みんなが気持ちよく買えるような仕組みを考えりゃあいいのにねぇ。その点、ウチはいつでも並ばずにアイスが買えるよ。よかったらまたおいで」



 そう元気に笑うおばちゃまにクレアも微笑み返して。

 美味しいアイスのお礼を伝え、その場を後にした。




 残ったアイスを手早く口に放り込むと、クレアは少し進んだ先でチーズを売っていた別のおばちゃまに話しかける。

 それとなく『レヴェロマーニ』の話題を振ると、ここでも同じような話が聞けた。




 そうして。



「……………なるほど」



 クレアはチーズ屋のおばちゃまにもらったキャンディチーズを頬張りながら、商店街をゆっくりと歩く。

 手に入れた情報は三つだ。


 一。

 『レヴェロマーニ』は、売り子を雇ってはいるが、基本的には先代店主の娘が一人で切り盛りしている。娘の名は、マロンというらしい。


 二。

 シュークリームの購入方法は、あくまでも"早い者勝ち"。一気に買い占めてしまう客もいて、それが客の不満にも繋がっている。


 三。

 シュークリームの材料は毎朝農場から直輸入で運ばれてくる。卵は隣街のリリーベルグからわざわざ仕入れているらしい。



「……………あとは……」



 これに、ちょっとしたスパイスを加えれば。



 クレアは頬張っていたチーズを嚥下すると、人気のない路地裏へと身を隠す。

 人がいないことを確認すると、おもむろに服を脱ぎ始め……黒を基調とした、カッチリめの服装へと早替わりする。

 そして、何事もなかったかのように再び商店街へと繰り出すと……

 露店で商売をする人々に、今度はこちらから近付いてゆく。

 クレアは、パッと目に付いた八百屋のおじさんにニコリと微笑みかけると、



「こんにちは。治安調査員の者です。国から派遣されて参りました。何かお困り事はありませんか?」



 アルアビスの国章が入った手帳を掲げ、そう言った。


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