4-2 ピネーディアの攻防




 ──翌朝。九時前。



 クレアが自室から宿の一階に降りると、エリシアは仁王立ちで待ち構えていた。

 そして、グッと腰に手を当て、



「よーし! 全員揃ったな! では、突撃―!!」



 まるで戦場を指揮する部隊長のようなテンションで、高らかにそう言ったかと思うと……

 クレアの返答を待たない内に、宿を飛び出して行ってしまった。


 ……キャラが変わるくらいに行きたいのなら、自分を待っていなくてもよかったのに。


 と思いつつ、嬉しさを隠しきれないまま、クレアはその後を追った。




 『レヴェロマーニ』の店舗は、宿を出て角を二つ曲がった先にある。走って向かえば、三分もかからない距離だ。

 エリスと共に一つ目の角を曲がり、二つ目の角を曲がり………店舗がある通りに出た、その時、



「さぁ! 今日こそシュークリームパーティーを…………って、え?」



 エリスが、急に足を止めた。

 後ろからやや遅れて到着したクレアは、エリスの反応を不思議に思いつつ、店舗の方に目を向ける。

 と………すぐにその理由がわかった。



「これは………すごい行列ですね」



 そう。『レヴェロマーニ』の開店を待つおびただしい数の女性が、既に長蛇の列を成していたのだ。

 その数、ざっと五十……いや、七十は超えているかもしれない。


 昨日のマダムの話によれば、シュークリームは一日百個限定である。

 並んでいる全員が一個ずつ購入すれば、エリスの分も残るかもしれないが……その可能性は低いだろう。これほどの有名店なのだ、一人二個以上は購入するに決まっている。



「そ、そんな……」



 目の前の光景に、思わずへたり込むエリス。クレアが「大丈夫ですか?」と肩を支えるが、エリスは呆然と列を眺めるのみである。


 やがて開店時間となり、店の扉が開いた。

 列が少しずつ前へ動き出し、その度に『レヴェロマーニ』のロゴ入りの紙袋を抱えた客がほくほく笑顔で店を出て行く。紙袋の膨らみ方から察するに……やはり皆、五個前後は買っているようだ。


 程なくして、「本日分、完売でーす!」という店員の声が聞こえてきた。

 列の半分にも満たない位置で、売り切れとなってしまったようだ。


 購入することができなかった女性たちが不満げな声を上げながら解散してゆく中、最後に店から出てきたのは……

 紙袋から溢れんばかりのシュークリーム(二十個近くは入っているだろうか)を抱え、満面の笑みを浮かべた……


 昨日の、ピンクのワンピースを着たマダムだった。


 マダムは、へたり込んだままのエリスに気がつくと、こちらを一瞥して……


 ──ニタリ。


 と、口の端を吊り上げ、意地悪な笑みを残し。

 何も言わずに、去って行ってしまった。



 それを見て、クレアは理解した。

 昨日、あのマダムに教えてもらった『開店時間に来れば買える』という情報……

 あれは、嘘だったのだ。

 実際には、開店時間よりも前に並ばなければ、店に入ることすらできない。

 では、何故そのような嘘をついたのか。答えは簡単である。


 自分が一つでも多くのシュークリームを手に入れるため。

 無知な新参者を蹴落とすため。


 クレアは悟った。

 これは、戦争なのだ。

 至高のシュークリームを手に入れるための、女たちによる戦争……



 そして、そのことに気がついたのはクレアだけではなく。



「…………上等じゃない」



 呟いてから、エリスはすくっ、と立ち上がり、



「明日は、開店の二時間前から並んでやる!! 絶品シュークリームをお腹いっぱい食べるまでは、この街から一歩たりとも出ないんだからね!!」



 マダムが去って行った方向に、力強くえた。


 嗚呼、悔し涙を浮かべるエリスもそそる……


 ……などと、クレアは思いつつも。

 任務のことを考えると、この街であまり足止めを食らうわけにもいかないな……と。

 ほんの少しの焦りを、感じるのであった。






 ──次の日。


 『レヴェロマーニ』の開店二時間前……つまり、朝の七時に宿を出たエリスとクレアは、昨日同様、走って店に向かった。

 「悔しすぎてあまり眠れなかった」とこぼすエリスだったが、その目は寝不足を感じさせないほどにギラギラと燃えていた。『今日こそは』という強い気迫が感じられる。


 店のある通りに辿り着くと……昨日ほどではないが、既に人が並んでいた。恐らく十名ほど。

 これにはクレアも心底驚いた。早朝からシュークリームを求め、二時間も前から開店待ちをする女性がいるとは……

 ……まぁ隣に既に一人、いるのだが。



「よし。これなら回ってきそうね」



 エリスは頷きながら、列の最後尾に並ぶ。するとそのすぐ後ろにまた、次から次へと開店待ちの女性が増えていった。

 クレアはそれを横目で見ながら、



「本当に、すごい人気ですね。どんどん後ろに並んでいきますよ」

「それだけ美味しいってことよ。ああっ! 二日間もおあずけくらったから、もう限界! お店に入って甘〜い匂いを嗅いだら、本当に『全部ください!』って言っちゃうかも。朝ご飯も食べていないし、お腹空いちゃった」

「ここから二時間は、ひたすら開店待ちですからね。何か軽食を持参してもよかったですね」

「まぁいいわ。絶品シュークリームのために、お腹を空かせておきましょ♡」



 エリスはすっかり安心した様子で、昨夜食べたクリームシチューや、デザートに出たアイスクリームについて嬉しそうに話し始め。

 かと思えば、突然「『食べ物しりとり』しましょ。はい、クレアから」と無茶ぶりするなどし、なるべく退屈しないよう開店時間を待った。


 そんな穏やかな時間が、クレアは「一生続けばいいのに」と噛み締めていたのだが……





 ──約一時間後。

 エリスたちの後ろに、終わりが見えないほどの人が並ぶ中。



「あのぅ……すみません」



 ふと、エリスたちの真後ろに並んでいた若い女性の二人組が、遠慮がちに声をかけてきた。

 友だち同士であろうか。ロングヘアの女性と、ショートカットの女性である。

 エリスが振り返り、「何か?」と聞き返す。と、



「失礼ですが……あなたたち、"整理券"はお持ちですか?」

「せいりけん?」



 首を傾げるエリスに、ロングヘアの女性がおずおずと一枚の紙切れを差し出す。



「これです。開店待ちをする人は、まずは店舗の裏口で配られている整理券を貰わないと、商品を購入できないんですよ」

「お二人とも、ここのお店初めてですよね? もしかして整理券のこと、ご存知ないんじゃないかな、と思って……」



 そう言って、ショートカットの女性も小さな紙を取り出す。

 それを見たエリスは、



「…………………………………は?」



 文字通り目を点にして、気の抜けた声を上げた。

 そんな彼女に代わり、クレアが尋ねる。



「つまり……その整理券を持たない我々は、このままここに並んでいても、シュークリームを買うことができない、ということですか?」

「まぁ……そうなりますね」



 ──パリーン!!


 エリスの心が粉々に砕け散ったのが、クレアには聞こえたような気がした。

 よろよろと崩れ落ちそうになる彼女の肩を、クレアは支える。



「エリス、しっかり」

「………あわ……あわわわ……」



 ショックのあまり、パニックを起こしているらしい。目を回し、人語もままならない様子だ。

 とりあえず列を抜けるしかないと判断し、クレアは二人組の女性に軽く礼を述べ、エリスを支えながらその場を離れる。



「エリス。聞こえていますか? 一旦、店の裏口に行ってみましょう。そこで貰える整理番号を見れば、何番目に順番が回ってくるかがわかります。まだ開店まで一時間ありますから、今できることをやってみましょう」



 と、珍しく真剣な表情で励ますクレアを見て、エリスは、



「…………うん、ありがと」



 青白い顔を上げ、そう返事をした。





 二人は来た道を戻り、店舗の真裏にある通りへと向かう。

 が……そこは表の通りと違い、狭くて薄暗い、路地裏のような場所だった。

 その時点で、クレアの脳裏に嫌な予感がよぎる。


 ……こんな人気店の整理券を配るのなら、裏口にも人が大勢いるはず。なのに今、この裏通りには人っ子一人いない。

 これは……もしかして………



「エリス、これって……」



 クレアは一度足を止め、彼女を引き止めようとする。しかしエリスは、もう店の裏口をノックしてしまっていた。

 しばらくすると扉が開き、頭に三角巾を被ったポニーテールの女性が「はーい」と顔を出した。どうやら店員のようだ。

 エリスが、普段からは考えられないくらいに自信なさげな、初めておつかいを頼まれた子どものようにか細い声で、



「あ、あの……整理券を、いただけませんか……?」



 そう、尋ねた。

 やっとの思いで絞り出したようなその声に、店員の女性は、



「整理券? そんなものはお配りしていないですよ。お店の入り口は反対側なので、そちらに順番に並んでお待ちください!」



 ハキハキとした、大きな声で答え。

 バタン! と、すぐに扉を閉めてしまった。



 やっぱり……と、クレアは思った。また、してやられたのだ。


 『整理券がないと買えない』というのは嘘。あの二人組の女性に、まんまと騙された。

 恐らくエリスが「『全部ください!』って言っちゃうかも」などと話していたのを聞いて、排除することを決めたのだろう。


 迂闊だった……自分が側にいながら、二度までもエリスに悔しい思いをさせてしまうとは……


 既にあれだけ人が並んでいたのだ。今から並び直したところで、順番は回ってこないだろう。

 恐らくエリスも、それは理解しているはず。


 さて……何と言って励ませばいいのやら。



 クレアは、裏口の前で立ち尽くしたままのエリスに目を向ける。

 小さな背中が、さらにしゅんと小さくなったように見えた。

 その背中に、とりあえず何か声をかけねばと、口を開きかけた……その時。



「……………………あした」



 エリスが、呟く。

 クレアが「え?」と聞き返すと、彼女は彼の方を向いて、



「……明日で……すべてを、終わらせる………」



 そう、感情のない虚ろな目で、淡々と言い。

 そのままスタスタと、宿の方へ戻って行ってしまった。



 ……今、彼女を支配している感情は、怒りなのか、悔しさなのか、悲しみなのか……表情からは読み取れなかったが。

 とにかく、これではあまりにも可哀想だ。彼女の純粋な食欲が、女たちの悪意によって二度までも踏みにじられてしまったのだから。


 明日こそは、なんとしてでも彼女に、絶品シュークリームを食べさせてやりたい。

 そのためには………


 クレアは静かに、『レヴェロマーニ』の店舗を見上げ。



「………主人あるじをこれ以上悲しませることは、この番犬が許しません」



 誰にも聞こえないよう、小さく呟いたのだった。


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