2-1 セイレーンの街
王都を出発して半日。
エリスとクレアは、一つ隣の領地・エステルアへと足を踏み入れていた。
その中の最西端の街・セイレーンで一泊することにし、二人は適当な宿に入り今宵の部屋を押さえた。
間もなく日没である。
白い石造りの建物が並ぶセイレーンの街は美しい夕焼けに照らされ、一面オレンジ色に染まっていた。
宿の部屋にそれぞれ荷物を置き、エリスとクレアは再び街中へと繰り出す。
夕食を食べに向かうのだ。
「あたし、アカデミーに入る前までは同じ領内のタブレスって街に住んでいたんだけど、その時からセイレーンにある美味しいお店の噂を聞いててね。ずっと行ってみたかったんだ」
「なるほど。それで今から、その店へ行ってみようというわけですね」
「そう!
「ほう。スパゲッティ屋なのに、それ以外が一番人気とは……して、それはどんな料理なのですか?」
「ふっふーん。それは、着いてからのお楽しみ♪」
様々な店が立ち並ぶメイン通りを、帰路につく人や夕飯の買い物する人たちが行き交う中、エリスは今にもスキップしそうな足取りでどんどん進んでゆく。
肩から鞄のように下げた分厚い本が、軽い歩調に合わせてゆらゆらと揺れた。
「……エリス。ずっと気になっていたのですが、肩からかけているその辞典のようなものは、一体何ですか?」
「あ、これ? これはメモ帳よ。訪れたお店と、そこで食べたものを記録しているの」
一度足を止め、エリスはそれをパラパラと開いてみせる。するとその中身は……
元々印字されている本のページに正方形の付箋をたくさん貼り付けた、『メモ帳』と呼べるのか怪しい
「……それ、元は普通の本なのではないですか?」
「そ。『魔導大全』っていう本。精霊に関する知識や、それに干渉するための呪文や魔法陣が全て記されている。アカデミーにいた時にチェロから借りてたものなんだけど、返すタイミング逃しちゃって。中身はもう全部頭に入っているし、こうして持ち運べる上にページ数も多いから、付箋貼ってメモ帳にしたら便利かな、って」
などと、借りパクの罪を悪びれる様子もなく暴露する。
この本、恐らくは教授クラスでないと手にすることのできない重要文献なのだろうが……それを付箋を貼る台紙として使用するとは、なんとも罰当たりである。
エリスは開いていたそれをパタンと閉じると、ニシシッと嬉しそうに笑って、
「もう四分の一は付箋で埋まったかな。全国の美味しいお店を巡って、このページをぜーんぶ付箋で埋め尽くすのが、今のあたしの目標なの。そんでそれが達成できたら、自分のお店を出すんだ」
「自分の店?」
「そう! 様々な地域の様々な味を知って、あたしが本当に美味しいと思ったものだけを出す、究極の料理店! でもあたし、レシピは考えられても料理はまったくできないから……腕のいいシェフがいたらスカウトしていくってことも、この旅の目的の一つね」
再び歩き出しながら、明るい声でそう言った。
それを聞いて、クレアは納得する。ただ美味いもの巡りをするだけでなく、将来自分の店を持つことを見据えて、彼女はこの仕事を選んだのだ。
そして、わかりきっていたことではあるが……やはり真面目に治安調査をするつもりは、毛ほどもないらしい。
彼女を危険に巻き込みたくはないが、クレアにはクレアの仕事がある。
何より、
彼女の精霊認識能力を上手く利用しつつ、なるべく自分一人で任務を遂行していこう。
クレアは胸の内で、そう決意を新たにしながら、
「素敵な夢ですね。お店がオープンしたあかつきには、ぜひお邪魔させてください」
本心から出たその言葉を、微笑みながら伝えたのだった。
エリスの目的とする店は、メイン通りから少し外れた路地裏を進んだ場所にあった。
石造りのこぢんまりとした建物だが、店先に花の鉢植えが置かれていたり、窓がステンドグラスになっていたりと、小洒落た雰囲気のある店である。
エリスがドアを開け入ると、ベルがカランコロンと小気味よく鳴った。
見回した店内は、外観通り広くはない。チェック柄のクロスが敷かれたテーブル席が四つ、カウンター席が五つあるだけ。
しかし、夕食にはまだ早いこの時間でも、既に席の半分が客で埋まっていた。どうやら、なかなかの人気店らしい。
「いらっしゃい。お、旅の方だね。お好きな席にどうぞ」
カウンターの向こうから、店主と思しきふくよかな女性が声をかけてくる。エリスは「こんばんは」と返し、クレアと共に一番奥のテーブル席に座った。
「さて。スパゲッティはどれにしようかしら」
テーブルに置かれていたメニューを、エリスはわくわくしながら開く。正面に座ったクレアも同じようにメニューを眺めながら、
「その一番人気の品だけでなく、スパゲッティはスパゲッティで頼むのですね」
「もちろん。例の品はメインディッシュじゃないから、それだけじゃお腹いっぱいにはならないの」
一番人気の料理は、メインディッシュじゃない?だとすれば、デザートか何かなのだろうか?
クレアが疑問に思っていると、目の前のエリスの表情がみるみる内に険しくなる。
「むぅ……サーモンクリームにするかトマトソースにするか、超絶迷うぅぅ……」
眉間にしわを寄せ、苦悶の声を上げている。どうやらスパゲッティの種類で迷っているらしい。クレアは思わず笑いながら、
「そんなに迷うなら、どちらも頼めばいいじゃないですか」
「二つ頼んだって食べきれないもん。あたし、食べることは好きだけど大食いではないんだから。残すことになるくらいなら死んだ方がマシよ。もったいないし、なにより作ってくれた人に申し訳が立たない。だからこういう時、毎回すっごく悩むのよね」
「だったら、私が片方頼みましょう。半分ずつ分け合って食べれば、量としては一人前になります。それなら問題ないでしょう?」
そのクレアの言葉に、エリスは瞬きを二回して、
「…………あんた、頭いいわね」
目から鱗が落ちたと言わんばかりに、そう言った。
クレアの提案通り、エリスは迷っていたスパゲッティを二つとも注文した。最後に「一番人気のやつもちょうだい」と付け加えると、店主の女性は「はいよ」と答え、再びカウンターの奥へと戻っていった。
サービスで出された水を一口飲むエリスに、クレアが話を切り出す。
「先ほど、このエステルア領内のタブレスという街に住んでいたとおっしゃっていましたが、ご実家なのですか?」
と、彼女がタブレスで暮らすに至った経緯は全て知っているが、いちおう『本人の口から聞いた』という事実を作るため、料理を待つまでの話題として振ってみる。
エリスは「ああ」と言って、水の入ったグラスを置きながら、
「元はあたし、オーエンズ領の出身なんだけど……二人暮らしだった母が亡くなって、タブレスにいる親戚の家に引き取られたの。だから"実家"っていうのとは、ちょっと違うかな」
「そうでしたか。申し訳ありません、辛いお話をさせてしまって」
「いいのいいの。二年以上前の話だし、もうあたしの中では当たり前のことだから。クレアは、"
「私は、物心付いた時からずっと"
「………そう。この国にそんな施設があるだなんて知らなかった。じゃあクレアは、生まれてからずっと、国のために戦う戦士として生きてきたってこと?」
「はい。『この命は、国に尽くすためにある』。それが、私にとっての当たり前でした」
その言葉に一度、エリスは考え込むように口を閉ざしてから……
しかしすぐに、ニッと吊り上げて、
「じゃあ、今日からあなたの命はあなたのものね。"国の犬"から"あたしの番犬"にジョブチェンジしたんだから、いつまでも前の飼い主の思想に支配されているようじゃ困るもの。これからは、自分の好きなもののために生きましょ。あたしは、たった一度の自分の人生を全力で謳歌することをモットーにしているの。そのために、使えるものはなんでも使う。国の金も、自分の才能も、ね。あたしの犬になったからには……あなたも同類になってもらうわよ。いいわね」
そう、にっこりと笑いながら言われ。
クレアの心が……温かいもので満たされていく。
嗚呼。やっぱり、どうしようもなく彼女に惹かれている。
その真っ直ぐな瞳と正面から向き合う度に、ますます夢中になってゆく。
『自分の好きなもののために生きる』。
いつの間にか自分も、そんな生き方をしていますよ。
貴女のせいで。貴女のおかげで。
………なんて、さすがに言えないけれど。
……ただ。
自分が『好きなもののために生きる』ということは、すなわちエリスに変態的発言や行動を取る、ということになるわけで……
……致し方ない。
そんなことを考えながら、クレアも微笑み返し、
「ありがとうございます。『自分の好きなもののために、全力で生きる』。私もそんな生き方をしてみようと思います」
「うんうん。お互い、この旅を自由に楽しみましょ」
「はい。これからは今まで以上に全力で……私も、使えるものはなんでも使っていきますので、覚悟していてくださいね?」
「え、かくご? なんの?」
「ふふ、なんでもありません」
エリスが首を傾げたところで、二人のテーブルに再び店主が近付いてきた。
そして「はい、お待たせ」と、テーブルに料理の皿を置く。
それは、スパゲッティではなく………
山盛りの、ポテトサラダだった。
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