9 ミイラ取りがミイラになりかけます
──チェロの住まいは、王都の繁華街から外れた比較的静かな区画にあった。
学院との距離は、歩いて十五分ほどか。
三階建ての、石造りのアパートメントだ。年季が入っているが、この辺りでは比較的ランクの高い、ゆったりとした間取りの部屋である。
その三階の角部屋に、彼女の部屋はあった。
すっかり日が沈み、空に星が輝く頃。
「ふんふんふーん♪」
チェロは、鼻歌交じりに帰路に着く。
その手には、帰りがけに酒屋で買ったワインの瓶が一本、細長い紙袋に入れられてぶら下がっている。
ガチャガチャと鍵を開け、自室に入る。
一人暮らしにしては広すぎるくらいの空間。そこに、クイーンサイズのベッドと革で誂えたソファ、丸い絨毯の上にローテーブルが置かれていた。
どれも高級そうな、きちんとした造りのものである。デザインも女性らしく、且つ上品な雰囲気が漂っている。
……が。
その上品な雰囲気をぶち壊しにしているのが……
部屋の至るところに散乱する、酒瓶、酒瓶、酒瓶……である。
チェロはそれを踏まないように跨ぎ、あるいは蹴飛ばすなどして突き進み。
着ていたスーツを勢いよく脱ぎ捨て、バスルームへと消える。
シャワーを浴びる水音に紛れて、鼻歌の続きが聞こえ……
程なくしてバスルームから出ると、均整の取れた美しい裸体にキャミソールとパンティーだけを身につけて。
そのまま、ローテーブルに生ハムのサラダとクラッカー、キャビアの瓶詰めを手早く並べる。
さらに、先ほど買ったばかりのワインのコルクをきゅぽんっ、と開け放ち、グラスに注いだら、
「いっただっきまーす♡」
夜のお楽しみタイムの始まりである。
まずはワインを一口。銘柄は、いつも同じ。だからこの部屋には、同じラベルの貼られた空き瓶ばかりが転がっている。
極力時間と手間をかけずに作れてワインに合うことを考えた結果、行き着いたこのおつまみメニューも、かれこれ二年近く変えていない。
美味いに越したことはない。
が、彼女にとって一番重要なのは『いかに安く・手軽に・気持ちよく酔えるか』である。
キャビアを乗せたクラッカーを数枚頬張り、グラス一杯分を飲み終えたところで、
「さて、と。続き続き♡」
彼女は、書類やら本やらが乱雑に置かれた床の上を漁り、一冊のノートとペンを手に取る。
テーブルに広げると、そこにはびっしりと文字が記されていた。
「ここ、いいのが浮かんだのよね〜。はぁ……あの声でこのセリフ言われたら、ぜったいに死んじゃう……♡」
などと呟きながら、黙々とノートに何かを書き連ねる。
時々、つまみをワインで流し込みながら、書いて、書いて、書いて……
やがて、酔いなのか別の理由からなのかはわからないが、はぁはぁと息を荒らげ始めて、
「……駄目だわ。今日はここまで」
真っ赤に染まった顔でそう言って、ペンを置いた。
そのまま部屋の灯りを消し、ベッドに潜り込み……
しばらくもぞもぞと動いてから、眠りに就いた。
……その、一時間後。
チェロが寝息を立てるその部屋のバルコニーに、黒い人影が現れる。
息を殺し、窓に耳を当て、中の様子を伺うその影の正体は……
全身を黒い服に包んだ、クレアである。
早速チェロの人となりを調査すべく、家まで尾行してきたのだ。
敵の内情を知らねば対策も練られぬ。これはエリシアを護るために必要なこと……
と言い訳のようなことを胸の内で呟くが、もう完全に職業病である。一から十まで、自分の目で調べなければ気が済まないのだ。
部屋の灯りが消えてからだいぶ時間が経った。
さすがにもう眠りに就いたであろうと、壁をよじ登ってきたのだ。このまま、バルコニーからの侵入を試みる。
部屋の中の気配を探るが、動いている様子はない。それどころか、いびきのようなものが聞こえてくる。どうやら熟睡中らしい。
問題は、窓の鍵をどう開けるか、である。
クレアはガラス窓の上を見上げる。
すると、部屋を換気するための通気口があるのを見つけた。
彼はポケットから銀色に光るワイヤーを取り出す。端には、小さなフックのようなものを結び付けられている。
そのフックの部分を振り子のようにして何度か回し、勢いをつけてから通気口へと放り投げる。
放物線を描き、フックは見事その狭い隙間をくぐり抜け、部屋の内側へと入り込んだ。
あとはそれを窓の鍵のある位置まで垂らし、金具にフックを引っ掛けて、ゆっくりとワイヤーを引けば……
狙い通り。窓の内鍵が、カチリと音を立てて開いた。
ワイヤーを慎重に回収してから、彼はそっと窓に手をかけ……
気配を最大限に殺し、部屋の中へと侵入した。
が、足を踏み入れようとして、文字通り二の足を踏む。
……なんだ、これは。
ワインのボトル……?
と面食らっていると、「ふごっ」といういびきが聞こえてきた。
バルコニーから入って右手の壁際、クイーンサイズのベッドの上に目を向けると……
キャミソールとパンティーだけを身につけ、大の字になって眠る、チェロの姿があった。
「……………」
なるほど。品行方正な美人エリート教師は仮の姿。その正体は……
品性下劣な、アルコール依存のオッサン女子、というわけか。
ここへ来る前、クレアはアカデミーの職員室を漁って彼女の経歴を調べていた。
それによると、出身は王都から遠く離れたアルピエゴという領地。アカデミー進学と共に上京し、以来ずっと一人暮らしのようだ。
この部屋の散らかり具合を見るに……おそらく来客も滅多にないのだろう。服も下着も、あちこちに散乱しっぱなしだ。
典型的な、
普段人前で"完璧な自分"を取り繕っている分、酒でストレスを発散しているのだろう。
私生活も隙がない人間は実に厄介だが……このタイプであれば、いくらでも足元を掬える。
エリシアに危害を加える前に対処する術は、いくらでもありそうである。
なんてことを、ぐうぐうといびきを立てるチェロを眺めながら考えて。
さて、人となりもわかったし退散するか。
と、クレアはバルコニーの方を向きかけるが……
「……………」
ふと、テーブルの上に開きっぱなしになっているノートが目に入る。
綴じ目にペンが挟まっており、つい先ほどまで使われていたことが伺える。
それが、なんとなく気になり。
彼はそうっと、瓶を踏まないようにテーブルへ近付き……
開かれたページを、覗いてみた。
すると。
そこには、走り書きではあるがそれなりに綺麗な字で、こんなことが書かれていた。
===================
私は堪えきれず、エリスの手を引き、唇を重ねた。
赤い瞳が驚いたように大きく開かれる。
初めて触れたその感触は、この世のどんなものよりも柔らかくて、甘くて、繊細だった。
しかし、その感触に浸る前に、彼女に突き飛ばされてしまう。
「な、なにするのっ? チェロさんダメだよ、こんなこと……」
顔を真っ赤にしながら、エリスは困惑した様子でそう訴える。
その表情に、私はもう気持ちを抑えることができなくなってしまった。
「どうして? 私は、エリスのことが好き。もうただの仲間だなんて思えない。一人の女の子として、あなたに触れたいの」
「でも……でも、あたしたち"魔法少女"なんだよ? これ以上オトナなことしたら……"少女"じゃいられなくなっちゃう」
確かに、大妖精キラリア様との契約の中には『魔法少女は"清い身体"でいなければならない』という決まりごとがある。
これを破れば、私たちは……王都の平和を護る魔法少女ではいられなくなってしまう。
だけど…
「大丈夫よ」
私は、ドキドキと高鳴る鼓動を悟られないように、エリスに微笑みながら近づく。
「だって、私たち……女の子同士じゃない。いくら触れ合ったって、清いままよ。エリスは……」
そっと。
エリスの柔らかな胸に優しく手を触れると、その身体がピクンと跳ねる。
「私のこと……嫌い?」
そう尋ねる。すると、エリスは、
「…………ズルイよ、チェロさん」
涙で濡れた瞳を、こちらに向けた。
その上目遣いに、たまらなくなって。
そのままもう一度、私たちは口づけをし……
魔法少女のみに許された聖なる衣を、お互いに脱がし合うと……
===================
……そこで。
ノートに記された文章は、途切れていた。
その、予想の遥か斜め上をいく内容に、
「……………」
クレアは、ただただ絶句していた。
………なんだ。なんなんだ、これは。
エリシアとチェロを題材にした物語……いや、官能小説か?
魔法少女、というと……幼い女の子が好む、絵本や紙芝居に出てくるアレか。
可愛らしい衣装に変身し、魔法の力で悪を討つ正義の味方。
それに、エリシアとチェロがなっていて。
あろうことか、百合百合おっぱじめようとしている。
そんな内容。
……見てはいけないものを覗いてしまった気分だ。
チェロの脳内の、それもセクシャルな部分を、ダイレクトに知ってしまった。
彼女は本気で、エリシアに対してこんな感情を抱いているらしい。
つまり。
……肉体的に、どうこうなりたいという願望がある、ということ。
こんなシチュエーションは、ありえない。
完全にフィクションだ。
だが。
「……………………」
今後、この妄想百合小説がどういう方向に進むかによって、チェロの危険度合いが変わってくるのではないか……?
より乱暴な内容になったら、その時は……
エリシアを、この女の魔の手から本気で護らなければならない。
……と、いうことで。
これからも定期的に、このノートをチェックしに来よう。
いや、アレだから。続きが気になるとかじゃないから。魔法少女エリシア最高じゃんとか、思っていないから。チェロ先生の次回作にご期待しているわけじゃないから。
……などと、誰に対するものかわからない言い訳を胸の内で並べて。
未だいびきをかいて熟睡するチェロを一瞥し。
「………………」
クレアは再び、夜の闇に紛れるように、部屋を後にした。
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