4-3 続いて、恩師の娘の一日に密着します

 



 その後、最高級ヒレステーキ肉をペロリと完食したエリシアは。

 店を出て、斜め向かいにあったケーキ屋でいちごのショートケーキを二つ購入すると、再び街はずれの方へと歩き出した。



 まだ他に目的地があるのだろうか。

 彼女の足取りは、ついに舗装されたレンガ畳を抜け、街の外へと出た。土を踏み固めただけの道の周りには、店はおろか人の気配すらない。背の高い木々が、ただ生い茂るのみだ。


 隠れる場所が増えたようにも見えるが、これだけ静かな場所に出てしまうとかえって尾行が困難になる。騒がしい街中の方が、簡単に気配を溶け込ませることができるのだ。

 仕方ない。距離を取りながら、木々の間を縫って追跡を続けよう。

 クレアは物音を立てぬよう、ゆっくりと彼女の後を追った。





 ──十分ほど歩いただろうか。

 進むほどに木々が鬱蒼とし、森の中特有の暗さと湿った空気が濃くなってゆく。


 こんな人気のない場所へ、彼女一人で来て大丈夫だろうか……と、クレアが思い始めた頃。


 突然、その視界が開けた。森が途切れたのだ。

 日の光が射し込む道の先に、明らかに人工物である何かが見えてくる。あれは……


 小さな、共同墓地だ。

 白い墓石が十数基、規則的に並んでいる。


 エリシアはその内の、一番端にある墓へと真っ直ぐに向かっていく。

 恐らく、彼女の母親が眠っている墓だろう。「墓参りに行きたい」という言葉は、本当だったのだ。


 クレアは森の中を移動し、木々の間に身を潜めながらその様子を伺う。

 彼女は墓石の前にしゃがみ込むと、先ほど購入したケーキの箱を開け、



「やっほー、母さん。ケーキ買ってきたから、一緒に食べよー」



 と、まるで生身の人間がそこにいるかのような明るい声音でそう言った。

 そして箱からケーキを取り出すと、一つを墓石の前の石段に、一つを自分の手のひらに置き、



「いただきます」



 目を閉じ、きちんと挨拶をしてから、フォークで掬って食べ始めた。

 一口頬張ると、うっとりと目を閉じて恍惚の表情を浮かべる。



「ん~美味しい♡ ひと月かけてこの街のケーキ屋さんぜーんぶ回って食べ比べたけど、やっぱりここのが一番♡ クリームが軽くて、スポンジもしっとりで、バニラの風味がちょうどいいかんじなのよね。いちごも大きいし、いくらでも食べたーい♡」



 などと味の感想を零しながら、彼女はあっという間にケーキをひと切れ平らげてしまった。

 そして、「あーおいしかったー!」と舌なめずりをしてから、



「ていうか母さん。あたしの誕生日に毎年届いていた花、あれやっぱり母さんがやっていたんでしょ? 『父さんが持って来ているんだ』なんて言っていたけど……今年は届かなかったもん」



 それを耳にしたクレアは……どきりとする。

 ……ジェフリーさん、こっそり届けていたと言っていましたが……ばっちり元嫁にバレていたみたいですよ。



「あ、あれか。父さんこっちに越してきたこと知らないからかな? まぁ父さんなんて、子どもの頃に離れて以来、一度も会っていないから顔すら覚えていないし……どっちでもいいんだけど」



 なんて、ジェフリーが聞いたら涙目になりそうなことを言ってのけるが……

 そう言わしめる程に、ジェフリーは彼女たちとの距離を取り、危害が及ばぬよう護っていたということでもあるのだろう。



「あーあ。まさか独りきりで誕生日を迎えることになるなんて。平気って思っていたけど、誰からも『おめでとう』を言われないのは……さすがにちょっと寂しいかも。かと言って、自分から『誕生日でーす!』って宣言してまでお祝いしてほしいかと言うと、そうでもないんだけどね」



 言葉とは裏腹に、彼女は軽い口調で天を仰ぎながら言う。

 それから。

 母の名が刻まれているであろう墓石を、じっと見つめ、




「…………誕生日ケーキ、作ってくれるって言っていたのに。母さんの、嘘つき」




 そう、ぽつりと。

 今までの彼女からは考えられないくらいの、小さくて寂しい声音で、呟いた。

 その姿に。

 クレアは少しだけ、胸の辺りが締め付けられるような感覚をおぼえる。



「……おばさんにね、売り物にするためのジャムを作ってもらっているの。あたし、自分で料理ができないから、母さんのレシピを参考に考えて、お願いして。でも、どうしてだろう。同じ作り方のはずなのに……なんとなく、味が違うんだ」



 しゃがみ込んだまま、彼女は自身の膝をぎゅっと抱え。



「母さんのあの味は……もう、二度と味わうことができないんだね」



 その、消え入りそうな声を。

 何処かへとさらうように、風がさわさわと吹き抜けた。



「……あたしね、思ったの。

 人間て、思っている以上に簡単に死んでしまう。

 いつ、それがやってくるのかもわからない。

 今日かもしれないし、何十年も後かもしれない。

 そして、人間は、死んだらそれでおしまい。

 牛や豚や、野に生きる動物みたいに、別の生き物に食べられて糧になるわけでもなく、ただただ消えてゆく。

 天国もない。地獄もない。

 何にも繋がらずに、真っ白な灰になるだけ。

 それが、人間のせい

 だからあたしは、やり残しや後悔がないように、毎日を生きたいの。

 美味しいものをうんと食べて、「今日もお腹いっぱい、幸せだった」って、毎日眠りに就きたいの。

 そのために、"今日"を妥協しない。

 できることはなんでもする。

 使えるものはなんでも使う。

 たった一度、替えの利かない……あたしの、人生だから」



 墓石を見つめ。

 彼女は真っ直ぐに、そう言った。


 その横顔に、クレアは恩師の面影を感じていた。

 豪快で、貪欲で、目的のためなら手段を選ばない。

 だけど、どこまでも真っ直ぐで、情に厚くて、人に好かれる愛嬌がある。


 顔の造りは似ていない。

 しかし、ジェフリーとエリシアは、間違いなく親子であると……

 クレアは、そう思わずにはいられなかった。



 エリシアは、表情を少しだけ明るくして、続ける。



「母さん。あたし、魔法を学ぼうと思う。母さんは「気のせいだ」って言っていたけど……やっぱり、空気中に見えないナニカの味を感じるのよ。昔から他人ひとよりも味覚と嗅覚が鋭い自覚はあった。だから、普通の人には感知できないなにかが、あたしにはわかるのかもしれない」



 なるほど、それで……

 と、クレアは納得した。


 昨夜の彼女の奇行……見えないキャンディーを舐めるような仕草には、そんな理由があったのか。


 エリシアは、自分の手のひらを見つめながら、



「この味の正体を解明できたら……さらには具現化できたら……魔法で、無尽蔵に食べ物が生み出せるようになるかもしれない。そうしたら、こんなセコセコと金稼ぎしなくとも、美味しいものが自分で生み出せる……! 料理の腕が絶望的なら、もう魔法の力に頼るしかない! そう。あたしが目指すのは、錬金術ならぬ錬糧術れんりょうじゅつよ!!」



 ザッ! と立ち上がり、拳にぎゅっと力を込め。

 高らかに、そう宣言した。



 ……そんな滅茶苦茶な動機で魔法を志す者など、前代未聞だ。


 そう、呆れる一方で。


 彼女の希望に満ちた表情を見ていると、本当に実現できてしまうんじゃないかという気にさえなってきて。

 クレアは自然と、口元が緩むのを感じた。



 エリシアは、石段に供えていたケーキをパッと手に取り、



「そういうことだから。これはあたしがいただくわ。

 "死人に口なし"。本当に、その通りね。

 いくら話しかけても返事はなし。

 ケーキを供えても減る様子はなし。

 喋ることも出来なければ、食べることも出来ない。

 "死"って、そういうことだわ。

 だからこれは、生きてるあたしが食べる。

 食べて、明日を生きる糧にする。

 それでいいわよね、母さん」



 ニッ、と。

 丈夫そうな歯を見せながら、不敵に笑う。



「ではでは。ありがたーく頂戴して。いっただっきまーす♡」



 彼女はフォークも使わずに、包み紙を持ったまま手掴みでケーキを食べ始める。

 そして、一つ目の時と同じように、「ん~♡」と唸りながら。

 幸せそうに、目を閉じた。


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