1-2 まず、恩師が死にます
◇◇◇
「今日からジェフリー・ウォルクス教官の元で剣術を学ばせていただくことになりました、クレアルド・ラーヴァンスです。よろしくお願いします!」
ツルツルのスキンヘッドに、茶色い口髭、筋骨隆々の大きな身体。
初めて対面したジェフリーの姿は、『鬼教官』の名に相応しい迫力をクレア少年に感じさせた。
しかし、十歳の少年が懸命に背筋を伸ばし、足を揃えて敬礼しているにもかかわらず、その男は返事をする代わりに品定めするかのようにジロジロと全身を眺め、
「……いいな、
などと、意味不明なことを呟いたかと思えば。
ずいっ、とりんごがゴロゴロ入った籠を押し付け、
「坊主。今からこれを持って、あの店の入り口にいる大人に声かけてこい。『りんごはいかがですか?』ってな。その可愛い顔を最大限に活かした、愛想のいいニコニコ笑顔で、だぞ」
そう言って、自分の口の端を指でニッと持ち上げてみせた。
クレアがぽかんとして、"あの店"とやらに目を向けると……
そこは、キャバレー──
普段は露出度の高い服を着た女性たちが客引きに出ているのだが、今は店の周りをいかつい男たちがうろついている。
……見るからに、物々しい雰囲気。
きっと店の中に大層な上客がいて、そのボディーガードがああして外を見張っているのだろう。
「こ、これが最初の訓練ですか?」
「まぁ、そんなところだ。細けーこたぁいいから、張り切ってゴー」
ビシッと前方を指さされ、クレア少年は戸惑いながらも「はい!」と返事をし。
そのまま、ゆっくりと店に近付いてゆく。
そして、店の入り口に立っていた男……腰に長剣を携えた、いかにも傭兵っぽい
「あ、あの。りんごはいかがですか?」
自分が出来得る中での、一番の笑顔を振りまいて、そう尋ねた。
が。
「あぁん? ガキがこんなトコうろついてんじゃねぇ!!」
彼の渾身の微笑みは、強面男の巻き舌に一蹴されてしまった。
まぁ、そうなるだろう。これのどこが『訓練』だというのだろうか。
そう思いつつ、クレア少年が鬼教官の方を振り返ろうとすると、
「やだーっ、なにそのコかわいい〜っ!」
「りんご売ってるの? ほら、こっちおいで♡」
店の中からそんな甘ったるい声が聞こえる。
見ればホステスのおねーさま方がフリフリと腰を揺らして、こちらへ近付いて来るではないか。
「キミ、すっごく可愛いカオしてるね。おねーさん食べちゃいたい♡」
「りんごじゃなくて、キミは売っていないの?」
「えっ? いや、あの……」
ツンとする香水の匂いに囲まれ、クレアは眩暈を起こしそうになる。
その横で、先ほどの強面男が舌打ちをし、
「チッ。きゃいきゃいうるせーんだ娼婦どもが。中へ戻ってろ」
言いながら、手をシッシッと払った……直後。
──パンッ!!
「へ?」
手元からしたそんな音に、クレアは目を丸くする。
そしてその目に……涙が滲む。
籠の中のりんごが、音を立てながら次々に破裂し、白い煙をもくもくと上げ始めたのだ。
しかも、ただの煙じゃない。
目を、喉を、鼻を強烈に刺激する……
これは……
「……
クレアを囲んでいた女性たちと、店の入り口を張っていた傭兵たちが一斉に咳き込み始める。
クレアも涙をぽろぽろ零しながらも服の裾を口に当て、りんご型催涙玉の入った籠を咄嗟に店の中へと放り投げた。
それを見計らったように、
「でかした、坊主!!」
ジェフリーとその部下たちが、マスクを顔に付けた状態でキャバレーの中へ続々と雪崩れ込む。
そこからは、もうめちゃくちゃだった。
丁々発止の阿鼻叫喚。切った張ったの大乱闘だ。
ジェフリー率いる隠密部隊が、店内にいた男たちをばっさばっさと切り捨て、縄で捕らえ、ホステスのおねーさま方の甲高い悲鳴が響き渡る様を。
「…………」
口元を押さえたまま、クレアは呆然と眺めていた。
と……その、背後から。
「てンめ……このクソガキがぁあ!!」
最初に声をかけた強面男が、涙目のまま剣を振りかざし向かって来た。
クレアははっとして振り返り、迫り来る刃をその瞳に映し……
──あ、だめだ。これ斬られる。
純粋に、その事実だけを認識した。
諦めでも恐怖でもない、ただ、この
それに、クレアが立ちすくんだ………刹那。
「坊主!!」
そんな声と共に、クレアの足元に一振りの剣が転がって来る。
ジェフリーが、敵から奪った剣をこちらへ投げて寄越したのだ。
キラリと光る銀色の刀身。
それを目にした瞬間……
意識するより速く、彼は動き始めていた。
剣を振り下ろしてきた強面男の股の間を、くるりと前転してくぐり抜ける。
そのまま、まるでコマのように回って足を払ってやると、思いがけない動きに対応しきれず強面男が尻もちをついた。
クレアはさらに横に転がりながら、ジェフリーに投げられた剣を手に取ると、
「すみません。ちょっとだけ痛いかもです」
そう、無感情な声音で断りを入れてから。
驚き目を見開く強面男の胸に、深々と、無遠慮にそれを突き立てた。
真っ赤な鮮血を噴き出し、くぐもった断末魔を上げ……
男は、絶命する。
子どもとは思えない、しかし子どもであることを最大限利用した立ち回りだった。
"こんな子どもにやられるわけがない"という相手の驕りと、自身の身体の小ささをよく理解した動き……しかも剣を握ることにも、敵を殺すことにも一切の迷いがない。
当たり前か。そういう風に育てられたのだから。
抜いた剣を振るい、血を飛ばすクレアの後ろで、マスクを外したジェフリーが「ひゅー」と口笛を鳴らす。
そして、
「こいつぁ……本当に、使えるかもな」
そう言って、ニヤリとした笑みを浮かべたのだった。
◇◇◇
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