『トカゲ』の儀式⑥

 冷たい空気がアキラの耳朶を撫でる。ごうごうと石室に鳴り響く嫌な風は、中央に置かれた墓石を軸に渦巻いていた。


 そして、そのすぐ側には白鷺の体が横たわっている。


「アキラちゃん。君の言うとおり邪霊が生贄の体の中に入るとしても、僕のやることは変わらない。このまま白鷺を生贄に儀式を続行する。回収した後ゆっくり白鷺から引き剥がすとしよう」


 スーツの裾をはためかせた若菜が白鷺の体を足で小突いた。


「やめて! そんな事させない!」


 行く手を阻む結界を必死に叩くがびくともしない。それどころかその見えない壁はジリジリと移動し、アキラの体を扉へと押しやっていった。


「くっ……!」


 部屋から押し出されないようアキラは足を踏ん張って耐える。その姿に若菜は「強情だね」と呟き、呆れたように天井を見上げた。


「別に君に乱暴するつもりはないのに。ごらん、この天井の呪縛画じゅばくがももうボロボロだ。遅かれ早かれここの邪霊は放たれる。そうなる前に回収するというのが何故分からない?」


「呪縛、画?」


 若菜の視線の先には、石室の天井いっぱいに描かれた『トカゲ』の絵が広がっていた。


 所々がひび割れ掠れているそれは、邪霊を封印しているとされるものだ。


「アキラちゃんはこれが何か知っている?」


「初めのっ『転校生』が封印のために描いたって!」


「そう。自身の血でね」


「きゃ!?」


 一陣の風と共に若菜が目にも留まらぬ速さでアキラの背後をとる。そしてそのままアキラの顎に手を回し、無理やりに天井を見上げさせた。


「うっ! 放、して……」


 若菜の手から逃れようと暴れるが、抗うほどに気道が狭まってしまう。


「この石室に施された封印術は、『呪縛柱じゅばくちゅう』と呼ばれる柱を中心に五つの『呪縛画』を用いた特別製だ。邪霊を封印するためと言えば聞こえはいいが、元々は日本の生贄文化の中で練り上げられた、生贄を逃さないための邪悪な封印術だったんだよ」


 アキラの顎を捕らえたまま、その耳元で内緒話をするように語り出す若菜。


 呪縛画、生贄文化、邪悪な封印術。


 怨み屋の口から出る不穏な言葉に、アキラは胸を騒つかせた。


「なに、どういうことーー」


「これだけ巨大な絵を血液を使って五つも描いて、無事で済むはずがない。これを描いた術者はまさに命がけでこの地下に邪霊を縛り付けたのさ。分かるかい。この封印自体も強力ななんだ」



「そしてそんな呪いを施した初代の『転校生』とは一体何者なのだろうね?」


「初……代?」



 アキラは言葉に詰まる。


 オカルトに詳しい初代の『転校生』が五体の霊を封印した。


 アキラが知っていたのはたったそれだけ。しかし目の前の男はどうか? 怨み屋という職業柄、何か知っているのではないか。


「まさか、初代の『転校生』のこと……知ってるの?」


 恐る恐るといったアキラの様子に若菜はにこりと笑ってみせる。


「大体想像はつく。まあ、いずれにせよ君が継ぐべきものではない事は確かだ。だから大人しくーー」


 若菜は最後まで言い切らず、この部屋唯一の出入り口である扉にふと目を向けた。

 

「来たな」


 そう言うや否やアキラを片腕で抱えて忙しなく結界の内部に引っ込んだ。


「あっちょっと、触らないでよ!」


 あれだけアキラを拒んでいた見えない壁はあっけなくアキラの体を飲み込み、再び慄然とその場に構えている。


 抱えられたままの状態で、アキラはようやく壁に阻まれることなく白鷺に向けて声を上げた。


「理事長! お願い起きて理事長!」


「こらこら暴れないで。面倒なのが近づいて来ているから。こうなると君はこっち側にいた方が都合がいい」


 途端、石室に渦巻く空気が変わる。温度がどんどん下がり、凍りつくような冷気が波のようにアキラの足元を覆い始めた。


 この感覚をアキラは知っていた。慌てて視線を白鷺から扉に移す。期待と不安が入り混じり、アキラは唇を引き結んだ。


 一拍後、バンッと大きな音を立てて石の扉が開かれた。同時に大量の霧が勢いよく石室内に流れ込む。


 無形の霧は数多の手に形を変え、まっすぐにアキラに伸ばされる。しかしそれを見越したように張られた結界に阻まれ、白い腕は文字通り次々と霧散していった。


「これは……なんて酷い邪気を纏った霧だ。アキラちゃん、あまり吸わない方がいい」


 若菜の忠告も耳に入らない様子で、アキラは霧の向こうにじっと目を凝らす。


 そして霧で覆われた視界の端に現れた人物に、アキラは思わず声を詰まらせた。


「タツミくん! 『クジラ』……!」


 アキラの連絡を受け、駆けつけてくれた。霧の中から悠然と近づいてくるのは、大きな眼鏡で顔を隠したタツミの姿。


 しかし、器用に霧の流れを操る様は常人ではない事を示している。


 彼ーータツミの体を借りたクジラは素早く視線を走らせ、その冷たい眼光をさらに厳しいものにした。


『そこのお前、直ちにそいつを放せ』


「嫌だと言ったら?」


 邪霊であるクジラを前にしても、若菜は毅然と言葉を返した。しかもわざわざクジラの勘に触るような言い方を選ぶ。


 若菜はわざと挑発しているのだ。


 アキラは激昂したクジラの恐ろしさを知っている。


 なんとか若菜を止めようと自由の利かない体を捻るが、呆気なく口を塞がれてしまう。


「むぐっ」


「なるほどねえ。アキラちゃんの言う、邪霊が生贄に憑依するってこういう事か。君は第二の邪霊『クジラ』で、その体は生贄にされた子の体ってことだ。で? その邪霊が一体何故僕の邪魔をするのかな」


『お前の抱えているそいつは俺が見守るべき人間だ。さっさと放せ賊め』


「おいおい賊って! 全く人聞きの悪い。少し話をしているだけだろう? 僕らはアキラちゃんが転校してきた日から仲良しなんだから」


「ぷはっ仲良くなんかない! クジラ、理事長を助けて! 『トカゲ』の生贄にされちゃう!」


 アキラが必死に倒れた白鷺の方を指すと、クジラはふんと鼻を鳴らして言い放った。


『そいつは生贄にはならん』


「え?」


「ーーどういう事だ?」



 若菜の目がスッと細まる。アキラを人質のように背後から抱え直し、その首に腕を回す。


「答えろ」


「くっ……」


 本気で締めればアキラの細い首ではひとたまりもない。クジラは行く手を阻む結界越しに若菜を忌々しげに睨み、口を開いた。


『憑依して初めて分かることもある。依代は生前の肉体に近いものでなければいけない』


「生前の肉体?」


『例えば俺はアキラに入れない。生前の肉体と性別が違うからだ。同様に、『トカゲ』の霊も老いぼれの体には入れない』


「年齢が違いすぎるから……?」


 邪霊と呼ばれる彼らの生前は、学舎に通っていた若者だ。彼らに近い肉体の持ち主でなければならないと言うのならば。


「じゃあまさか、生贄は同じ性別の学生じゃないといけないってこと?」


「馬鹿げた条件だ。無理矢理にでも儀式は行う!」


『無理なものは無理だ。理屈じゃない。。ここには生贄に足る人間は存在しない。分かったらその手を放せ』


 ピンと糸が張り詰めるような緊張感が場に漂う。身動きの取れないアキラ、意識のない白鷺。


 対峙する若菜とクジラはお互いに見えない何かをぶつけ合うかのように睨み合う。


 そんな中、ドタバタとした足音が石室に響き渡るとはその場の誰もが想定していなかった。

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