『トカゲ』の儀式⑤
脳内に響く声に導かれ、タツミは御桜神社に辿り着いた。既に境内に人はおらず、薄ぼんやりとした最小限の灯りを頼りに鳥居をくぐると、ひやりと澄んだ空気がタツミの肺を満たしていく。
「着いたぞ、御桜神社だ。本当にここから地下に入った方が近いんだろうね? ……ちょっと、聞いてる?」
タツミの呼びかけは虚しく宙に浮いた。それどころかタツミの意識の中で緩々と動いていたクジラの気配がどんどん奥へと引きこもっていく。
一体何事だとその端正な顔が歪んだ時、突然境内を勢い良く駆ける音が鳴り響いた。
「こおおーーーらああーーー! タツミィ!! この嫌ーーな気配、やっぱりお前か!」
「リョウ!」
怒鳴り声を発し、肩を震わせながら大股でタツミににじり寄るのは部屋着姿のリョウだった。風呂上がりなのか濡れた髪に黒いタオルを巻き付け、ジャージの足元は適当なサンダルだ。
正に慌てて駆けつけましたと言っているような出で立ちに、タツミはほんの少しだけ申し訳なさそうに肩を上げた。
「そっか、そういえばここはお前の実家なんだっけ。悪かったよ。俺みたいな憑いてる人間が勝手に入って」
「全くだ! 丁度いい、今からお祓いをーー」
「悪いけど急いでるんだ。地下道への入り口知らない?」
リョウはその言葉を聞きあからさまに眉根を寄せる。それは「知っています」と表情で語っているようなもので、タツミも今だけはその素直さに手を合わせたい気分になった。
「案内して」
「なんでだ。理由を言え」
「言えないけど案内して」
「無茶苦茶言いやがって!」
「リョウ、」
タツミは俯き、何やら喚いているリョウの肩に手を乗せる。
そして、僅かに身長が勝るリョウの目を覗き込んだ。
「急いでるんだ。頼むよ」
そう言うタツミの目は暗鬱としていた。友人に向けるには余りにも研がれた視線に、リョウはぐっと押し黙る。
タツミの内部では、その意思に呼応するように何かが再び蠢き始めていた。リョウにも伝わってくる異質な気配が、タツミの体に纏わりつく。
宮司が不在の今、それは最早リョウの手には負えなかった。
「『早く』」
「ーーっ! こっち、だ」
お前、混ざってるぞ。とはとても言い出せず、リョウはかろうじて友人の意識を保つ誰かを先導する。
リョウにとってタツミは数少ない友人である。少しくらい強く当たられても構わない相手ではあった。
しかし、タツミを取り巻く影は更に深まるばかり。人ならざるものを映すリョウの目を通して見ると、明らかに普通ではない。気配だけでは最早本当にタツミかどうか分からないのだ。
そしてリョウにできることは、今のタツミを刺激しないことだった。
「この岩の下に、穴がある」
恐る恐るといったように指差すのは、学園の倉庫裏にあるものと酷似した岩だ。
タツミは「ありがとう」とだけ呟き、迷うことなく岩の位置をずらし始めた。
「まさかお前、ここに入ろうってんじゃないだろうなぁ」
「入るよ。あ、俺が入ったらここ軽く閉めといて。多分出る時は別の所から出るから」
「こんな得体の知れない穴に入って何するんだよ!? やめとけって!」
リョウの必死の制止も虚しく、タツミはひらりと暗い穴へと降りてしまう。
何の抵抗もなく地下へと消えてしまった友人に、リョウは頭を抱えて穴の側に座り込んだ。
「あーー! 何なんだよ!? 馬鹿タツミ!」
その怒声に驚くように桜の木からバサバサと鳥が飛び立っていく。
タツミを取り巻く嫌な気配が遠のいていくことから、彼はどんどん地下を進んでいるようだ。
ーー今ならまだ追える。
気配が完全に消える前ならば、リョウはそれを辿ることができる。
何も持たず身一つで地下道に消えた友人は果たして無事でいられるのか? まともな明かりもなく、連絡手段も恐らくないような場所で。
がばりとリョウは立ち上がり、ドタバタと拝殿への一本道を走り抜ける。
そうしてしばらくしてから戻ったリョウの手には、一組の弓矢ーー御桜神社に古くから伝わる
家のしきたりで鍛えられ、リョウは幼い頃から弓を使える。
なんとかタツミを正気に戻せないものか。考えた結果がこの神具だった。勝手に持ち出したとあらば宮司である父の雷が落ちることは目に見えている。しかしリョウにはこれしか思いつかなかった。
話によるとこの破魔矢は遥か昔から御桜の地に突き刺さっていたもので、桜中央学園建設時に引き抜かれ、その後ずっと御桜神社で保管しているらしい。
友人を撃つつもりはない。けれど何もないよりは遥かにマシだった。
「タツミィ! 待ちやがれ! 頭のてっぺんから塩漬けにしてやるよ!」
その有り難く貴重な魔除けを握りしめ、リョウは地下へと飛び込んでいった。
(簡単な語句説明)
拝殿……神社の参拝するところ。
弽……ゆがけ。弓道のグローブみたいなやつ。かけとも言う。
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