星と霧の小夜曲⑩
白い霧、古井戸から伸びる腕、枯れた痛々しい声。それらが夢ではなかったことを証明するかのようにアキラの手には掴まれた跡がくっきりと残っていた。
「包帯、取れたばっかりだろう。良くないな」
「…………」
星野に貼ってもらった湿布を黙って見つめながら、アキラは先程の出来事を振り返る。
花の香りと共に我に帰るのは初めてではなかった。ガムランボールに導かれた時、校門で初めて『ハチドリ』を見た時、そして今回。
学校でおかしな事に遭遇する度に、その香りはあった。
「星野先生はどうして『転校生』について知りたいんですか」
保険医不在の静かな室内にアキラの声が響く。
二人は試験前に揉めてから話をする機会がなかった。むしろ星野はアキラと距離を置いているようにも見えた。
それは恐らくタツミの疑いを深めないためだろうが、アキラにはその沈黙が嵐の前の静けさのように思えてならなかった。
『転校生』について何かを知っている星野は、これ以上白鷺と関わるなと言った。その事が気がかりで白鷺に星野の件を相談出来なかったというのもある。
共にボロボロになりながらトーマを救った白鷺の事を信じているのに、星野の言葉にほんの僅か絡め取られている。アキラはそんな自分が後ろめたかった。
それに『転校生』のことを知っているということは、佐倉の不審死についても何かしら気づいているかもしれない。
星野との対話は避けて通れない道だった。
「俺がそれを調べているから」
「どうして……」
「それを調べるためにこの学園に派遣された」
星野の言葉を上手く飲み込めなかったアキラは数回目を瞬かせながら『派遣』という単語を脳内で繰り返した。
「俺は霊障調査を専門としていて、この学園に伝わる邪霊の調査と白鷺家の監視をしている」
「……え? ど、どういうことですか」
「簡単に言うと、霊が原因で起こる事件を調査している機関の調査員」
つまり星野はアキラ達が調べている件を、同じくその道のプロとして追っているということだ。目を白黒させるアキラを宥めるように星野は穏やかに話を続ける。
「君が何らかの怪異に巻き込まれていることは気づいていた。これで何度か祓ったんだが、一時的な効果しかなかったな」
そう言って星野は懐の携帯灰皿をちらつかせた。アキラは漂う花の香りにあっと口を開ける。恐らくこの煙草には理事室のコーヒーのような特別な効果があるのだ。例えば霊の力を遠ざけるような。
「これまでも我々は白鷺家が隠匿するこの学園に伝わる邪霊を、危険度の高い案件としてマークしてきたんだ。しかし、ある日良くない噂が流れてきた。各地の邪霊の力を狙う輩が現れたと」
邪霊の力。アキラはハチドリの放つ強烈な熱風と焼き払われるような炎の渦を思い出す。あの力を手に入れようとする者がいる。どうして? どうやって? 様々な疑問が頭を駆け巡り、アキラは人間の欲深さに思わず身震いした。
「そいつらの次の標的がこの桜中央学園に封じられた邪霊だと分かった。そこで俺が教師としてここに潜り込んだ。目的は、」
「霊の力を奪われないため……?」
星野はアキラの目を見てゆっくりと頷く。
「そう。そのためには邪霊の復活を阻止すべきだったんだが……間に合わなかった。それどころか情報すらまともに得られていない。だから君の話を聞きたいんだ。邪霊が復活した今、それを封じられるのは『転校生』と呼ばれる特別な存在だけと聞いている。それは本野さんのことで間違いないか?」
星野の強い視線に射抜かれながら、アキラはただ困惑するしかなかった。
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