二通の手紙

前花しずく

一通目

拝啓、親愛なる我が相棒


 やあ、元気にしているかい。しばらく連絡をとっていなかったからね、君が干からびて死んでいるとしても驚かないくらいだよ。もう少し早くコンタクトをとるつもりだったのだが、如何せん私も忙しくてね。かと言って君が自発的に文を寄越すわけもない。まるで他人に興味ないからな、君は。風俗の店員かバーの店主なんかが天職だろうね。おっと、気を悪くしないでくれ。私とて理由なくこのように不躾に手紙を寄越しているわけではない。その理由というものであるが、何せ随分と気になったことがあったものでね。その事物が頭の中を百足のように這い回っていて夜も寝るに寝付けない有様なのだ。何、夜酒の肴にでも読んでくれればそれでいい。

 それで、その気になることの内容なんだがね、一言で表せるほど単純ではないものだから少しばかり説明に時間を要する。もし何か急ぎの仕事があるならば――例えば花に水をやるとか。君はガーデニングが好きだっただろう――それらを済ませてから読む方がいい。久しぶりだからといって気を使われたのでは私も居心地が悪いからね。

 気になること、というのは、言ってしまえば五年前の事件についてなんだ。君にとっては人生を狂わせる大災難だった。再婚して久しいとはいえ、その節は本当にお悔やみを申し上げる。

 その事件の何が気になるのか。まあそう早まらないでくれ。それを説明する前に、軽く事件の概要を記しておこう。君はもちろんそんなものをわざわざ確認せずとも鮮明に覚えているだろうが、万に一つ抜け落ちていると説明が噛み合わなくなるだろう。そう焦らず、全部に目を通してくれよ。

 あの事件の被害者は、言うまでもなく君の妻、イザベラだ。現場は君の自宅の書斎。本棚に囲まれた20平米の部屋のおよそ中央、乱雑に床に積まれた本の中にイザベラは前から胸をナイフで一突きにされ、仰向けに倒れていた。死因は失血死。凶器はご遺体の側に落ちており、指紋はついていなかった。書斎の窓は開かない構造になっている。廊下に血痕などは一切なし。第一発見者は使用人長のシャリーンで、ランチタイムになったので呼びに入ったところで発見、既に硬直が始まっていたため、医者を呼ばずにそのまま警察を呼んだと証言している。警察はすぐにシャリーン含む使用人五人から話を聞いた。ほとんどの質問に全員が分からないと答えたが、

・悲鳴が聞こえたか

・怪しい人物を見かけたか

 これについては全員ノーと答えている。また、君に関しては昨夜から捜査のためにお出掛けになられている、と口を揃えて供述した。警察は内部での犯行と見て捜査をした結果、血のついた手袋を屋敷内のゴミ箱から発見、そこについていた頭髪から使用人の一人、ウルスラを容疑者とした。ウルスラは最初は否定していたが最後には罪を認め、逮捕に至る。だが、その二ヶ月余り後に、狂ったように叫び散らしたかと思うと興奮のあまり舌を噛みちぎって死んでしまった。

 ざっとこんなところか。もちろん君はこんな事件の話を思い出したくはなかっただろうが、私の気になったものを説明するためには、話さざるを得なかったのだ。許してほしい。

 あまりに勿体ぶるような語りをして申し訳ないが、いよいよ本題に入りたい。この事件の気になることだな。一つではなくいくつかあるのだ。そう急かさないでくれよ。順番に話すからね。その浮いた腰を椅子に下ろしたまえ。

 私は手袋が見つかった段階で、既にどこか引っかかりを覚えていたんだ。いやね君、よく考えてみたまえ。手袋をして人を刺し、返り血で手袋が汚れるのは当たり前だ。そして、身内での犯行ならば、変に出掛けては怪しまれるから、一時的にでも屋敷の中に捨てざるを得ないのも理解はできる。しかしだね、返り血がつくのは手袋だけであろうか。部屋の血痕を見る限り、血は2m以上飛び散っている。天井にさえ小さな赤いしみがついていたんだ。つまり、そんな状態で自らの服に血を被らないわけがないんだ。それなのに、屋敷のどこからも血のついた衣服は出てこなかった。どこからもだ。どこかまだ捜査の手の及ばない隠し場所がある可能性も否めないが、それならば何故手袋だけ誰でも見られるような場所に捨てられていたのか、その説明がつかない。

 そこで私は外部犯の可能性を視野に入れた。使用人たちが見ていないだけでたちの悪いコソ泥や一方的に恨みを抱いていたゴロツキでも潜んでいた可能性は大いにある。ただし、この考えも適当とは言えない。何故ならば、使用人たちは悲鳴を聞いていないからだ。泥棒にせよ強盗にせよ、見知らぬ人が室内にいたのを見たならば少しばかりであれ声を上げてもいいはずだ。しかしそれがまったくない。そしてこの仮説のもう一つの穴は、廊下に血痕がないことだ。君も知っている通り、あそこの窓は開閉式になっておらず、出入りのための不可思議な細工も特にされていなかった。だとするならば、犯人は犯行前後に一旦廊下に出ていることになる。だが、まともに血を被った人間がそのまま血痕一つ残さずに廊下を歩くなどできるわけがない。無理に考えれば殺害後に部屋の中で着替えてしまって汚れた衣服を丸めて出てしまえばやれないことはないが、それは着替え用の服を持ち込んでいなければ不可能な芸当であって、相当綿密な計画を練っていなければ成り立たなくなる。もっと言えばイザベラがあの時間、あの部屋にいなければこの犯行は成り立たないわけだ。言い換えればあの館の構造とイザベラのあの日を完璧に理解していた人物でなければ不可能なほど綿密な計画なのだよ。これらを鑑みて、私は外部犯の犯行の可能性を打ち消した。

 と、そこまで考えたところで思いもよらぬことが起きた。そう、ウルスラが容疑者に挙げられ、さらには自供したのだ。私はどうにも腑に落ちない点があったのだが、周りが安心しきっていたのを見てそれに流されてしまったのだろう、私は決定的な過ちを見逃してしまったのだ。ああ、なんということだ。

 それに気が付いたのは本当に今朝のことなんだ。こんなに月日が経ってから思い出すとは思わなかったよ。なんでそんなことを思い出したのか、それはだね、今朝日課の散歩をしていた時のことだ。ふと目をやると、小さな女の子とその母親が公園で遊んでいたんだ。追いかけっこやらおままごとやらをしていてね。するとじゃれあいの一環なのか、女の子が手を上に伸ばして母親の胸を叩いたんだ。それはそれは微笑ましい光景さ。だが事件のことを頭に置いているとどうだろう、例の事件のことがまるで映画のフイルムが飛んで真っ白になった時のように強烈に浮かんできたのだ。その母親の背格好は、奇しくもイザベラとほとんど同じであった。君も当然鮮明に覚えているだろうが、イザベラの胸の刺し傷は左の肋骨の間、少々中央寄りの位置だった。しかしそれは、ちょうど小さい女の子が上に手を伸ばしたくらいの高さなのだよ。ウルスラの身長を考えると、小脇にナイフを構えたとすれば勿論低すぎるし、上から振り下ろしたとするとそれは逆に高すぎる。不可能とは言わないが、ウルスラにとっては非常に刺しづらい位置なのだよ。そして、悲鳴が聞こえなかったということは瞬時に、的確に刺し殺したことに他ならない。咄嗟に、そのような刺しにくい場所にナイフをわざわざ刺すなどあり得るだろうか。

 そう思い立って私は今更ながら事件の資料をひっくり返してイザベラの解剖資料を注視した。予想通りだったよ。傷は身体に対して垂直に入っていたのだ。つまり、ナイフは上から振り下ろされたのではなく、小脇に抱えながら刺されたということになるのだよ。もちろん、わざとそう偽装するために刺し方を変えた場合も考えられるが、先も言ったように悲鳴も上げられないうちに刺さなければならない状況でそんな工作をしている余裕はないだろう。

 ここまでの推論を元に思考すると、犯人は少なくとも180cm以上の人間でなければならない。そして、外部犯の可能性もない。考えてもみたまえ、使用人は女と年老いた執事ばかり。すると容疑者に相当する人物は一人しかいないんだ。

 ――そう、君だよ。

 しかしそうなってくると自白したウルスラが問題だが、これに関してはさほど難しいことではない。君とウルスラは恋仲にあったのだろう。あるいは、君がウルスラを懐柔してさえいれば構わない。これを念頭に置くならば、君のアリバイさえ崩れ去る。まず君は彼女に、君が捜査に出掛けているという嘘をつくように命じた。彼女だって恋敵がいなくなってくれるとあらば、喜んで協力したであろう。使用人たちが揃って君が出掛けているという証言をしたのは、ウルスラがしっかり言いつけを守ったからだ。健気じゃないか。しかし、君はそんなウルスラを嵌め、犯人に仕立て上げた。当然ウルスラも約束が違うと思っただろう。当初否認していたのはそのためだ。自白したのは、恐らく君がウルスラに何かを囁いたのだろう。出所したら必ず一緒になろう、だとか、俺の金でなんとか刑務所から出してやる、だとか。それにすっかり騙されたウルスラは、君を庇うために自白をした。そんなような筋書きに違いない。しかし、勿論獄中でも君が再婚したという話はすぐに届く。彼女は君に裏切られたことを悟り、悲しみと怒りで気を狂わせたのだ。恐らく、その時に叫んでいたのはこんなような言葉だったに相違ない。


よくも騙したな! 裏切り者! 私はこんなに愛しているのに! 呪ってやる! 裏切り者!!……


 ……ここまで偉そうに推理を展開させたが、残念ながら物的証拠は何もない。だが、私はこれが真実であると確信している。無論、私の推理に間違いがあれば反論をしてほしい。馬鹿だと笑い飛ばされても構わない。もしも我慢ならぬなら私を名誉棄損か何かの罪で訴えてくれても構わない。ただ私は、自分が辿り着いた真実が正しいかどうか、それが知りたかったのだ。

 失礼千万であることは自覚している。だが、気が向いたら、気が向いたらでいい。返答の手紙を投げて寄越してはくれないか。私は君の良心を信じているよ。

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