第四章
第四章
「よし、もうちょっとだからな。待ってろや。ガスじゃないから、すごい時間かかるけどさ、それが、一番の魅力だぞ、七輪の。」
七輪に乗った、焼き芋をひっくり返しながら、杉三がでかい声で言った。確かに、ガスコンロで焼き芋を焼くよりは、何十倍も時間がかかる道具なのであるが、ガスを引いていない場所であっても、調理ができるという利点もあった。
「杉ちゃん悪いね。わざわざ来てくれて、焼き芋まで焼いてくれるなんて。」
水穂は、例の布団から起きて、枕もとにおいてあった羽織を着た。確かに、改めて布団の柄を見ると、苦手なタイプの布団だなと思わないわけではなかった。
「あ、気にすんな。ただ、蘭のお客さんが薩摩芋を持ってきただけだからさ。蘭と僕だけじゃ食べきれなくて、おすそ分けしただけだよ。」
水穂にしても、この前の事件以来、事件前と態度を変えないのは杉三だけであったから、ありがたいことであった。みんな、多かれ少なかれ、態度を変えてしまったから、なんだか申し訳なくて、つらい思いがあった。あれだけ派手にやれば、そうなってしまうのはやむを得ないが、でもそんな気持ちがないわけではない。
「さて、もうちょっとで焼けるからな。そうだな、あと十五分くらい焼ければできるんじゃないかな。もうちょっと待ってくれよ。早く食べたいだろ。子供であれば、今頃、唾液をだらだら出して、小さな目を糸のように細くしてさ、早くしてはやくしてって、親をまくしたてているさ。」
確かに、部屋の中は焼き芋のいい匂いが充満していたが、食欲はまるでなく、あるものはかったるさだけである。早く焼き芋を食べたいなんてアピールする気は、とても涌く気がしない。
でも、杉ちゃんの好意もつぶせなくて、それは言わないでおいた。わざわざ薩摩芋と七輪を持ってきて、ここで焼いてくれたのであるから。
「それより、蘭はどうしてる?今日も仕事してるの?」
代わりに、そう聞いてみた。
「仕事してるよ。誰かの背中に、龍を彫っているよ。なんかやけくそになってるみたい。寂しいのを、刺青の仕事で、紛らわそうとしているんじゃないか。まあ、人間、大変な時は、仕事に助けてもらうこともできるからさ。そのままにしておこう。」
「そうなのね。まあ、教授がしばらくこっちには来るなと言っていたくらいだから。相当騒いでいたんだろうね。大体想像できるよ。」
事実、水穂自身は、あの後、蘭に促されて薬を飲み、眠ってしまったので、まったく気が付かなかったのだが、恵子さんやブッチャーの話によれば、そのあとの蘭をなだめるのにかなり苦労したらしいのだ。確かに、蘭らしいエピソードである。
「まあきっと、僕の前で甲子園で負けた高校生みたいに泣いたり、恵子さんたちに、どうしたら治るんだとか言って、まくしたてたりしたんだろう、蘭は。あれを止めるのは、本当に苦労するよ。とりあえず、ブッチャーさんたちがなだめて、帰ってもらったようだけどね。僕が、目が覚めたあとは、もう帰った後だったからね。」
「そうそう。帰ってきた後、しょぼくれちゃってさ、由紀子さんにも何も言わなかった。とりあえず、由紀子さんには、一人で帰ってもらったが、あとで東京大学から製鉄所に帰ってきた青柳教授が、蘭の家に電話をよこしたそうだ。蘭さん、あなたは約束を破ったから、しばらく製鉄所には来ないでくださいって、すごい剣幕で叱っていたそうだよ。そのあとで蘭は、机に突っ伏して、一晩中泣き続けたって。」
その同時に、蘭は下絵を描きながら、
「へくしょい!」
と、大きなくしゃみをした。鼻水をチリ紙で拭きながら、あーあ、自分も製鉄所に見舞いに行けたらなあ、、、。と思ってしまう。一応、訪問すれば杉三から話を聞くことはできるが、杉三の話は、信ぴょう性が薄いところもある。肝心のところを語らせると、話を反らすときも数多くあるからである。もうちょっと具体的に話を聞いてきてくれて、しっかりと事実を論理的に語ることができる人物がいればなあ、と心から思わずにはいられなかった。思わず筆を落としそうになるが、頭を下絵を描くことに切り替えて、再び取り掛かる。
「おーい、いるかい、具合どうだ?なんだかとってもいい匂いだねえ。焼き芋か?ちょうどいい。俺にも食わしてくれや。」
と、言いながら、華岡が四畳半にやってきた。杉三が、また邪魔な奴が入ってきたなあという顔をした。
「あ、華岡さん。今日は暇なんですか?」
笑いながら、水穂がそういった。
「おう、最近は大掛かりな殺人は、一つも起きてないよ。治安が良くなったのかなあ。警察のおかげで、平和国家だ。」
華岡の右手には、大きな紙袋が握られていた。
「あーあ、警察が暇ってことは、富士は平和だねえ。でも、華岡さん、あまりにも暇すぎて、自ら事件を起こすようなことはしないでね。」
と、杉三が焼き芋をひっくり返しながらまたからかった。
「うるさい。そんなことするわけないじゃないか。それより、具合どうなんだよ。今日は起きてられるんだったら、比較的体のほうはよさそうってことだな。病院に行ってきたそうだが、ちゃんと診察してもらって、薬もらって、少し楽になったんじゃないのか?」
「まあ、薬を飲めば、楽になることは楽になりますよ。それはどんな病気でもそうでしょ。」
とりあえずそれだけ言った。
「そうか。これから、病院に定期的に通うようになれば、いろんな薬をたくさん出してくれるようになるから、もっと楽になってくるぞ。よかったな。病院見つかって。」
自分にとっては、これほど嫌な言葉を、また聞かされる羽目になるのか、もう嫌だな、と水穂は苦笑いをした。でも、一般的な人は、そういうことを言うしかしてくれないだろうし、それを嫌だなんて言ったら、また怒られるにきまっている。それはもう仕方ないことなので聞き流すしかないけれど、やっぱりつらい。
「まあ、病院のことはどうでもいいや。それより、今日は何の用でこっちに来たんだよ。単に顔を見に来ただけか?」
でかい声で杉三が口をはさむ。杉ちゃんありがとう、そういってくれるのは、やっぱり杉ちゃんしかいないよ。本当に。
「あ、それじゃあ、いけなかったか?」
「そうだよ。必要最小限の用事でなければ、面会はダメだって、病院でも言われるでしょ。それと一緒なの。ただ、ちょっと寄ったとか、そういう安易な理由では来ないでくれよ。」
「ちょっと待て。杉ちゃんこそ、それじゃあ同じことなのでは?」
「だから、僕は焼き芋焼きに来ているんだから、用事はちゃんとあるの!」
「もう、二人とも、変なガチンコバトルをここでしないでください。華岡さんも用があるのなら、手っ取り早く言ってくださいよ。」
華岡と杉三がそう話しだすので、水穂は笑いたいのと若干疲れてきたのを、同時に表現するつもりで、そういった。
「あーごめんごめん!今日は、とてもいいものを持ってきたぞ。その新しい布団、ブッチャーが買ってきたそうだな。でも、サイズが小さすぎて、寝にくくないか?」
「そうですね。確かにキャラクターは苦手なんですが、今となっては一日寝ていなければいけないので、仕方なくこれを使っています。」
華岡に言われて水穂は正直に答えた。
「そうじゃなくて、いくら真綿とはいえ、ジュニアサイズでは小さいだろう。身長が低いといっても、幅が足りないとかで、いやなんじゃないか?」
「まあ、確かにそうなんですけど、また買い替えたら、その間に寝るところがなくなりますし。真綿なんて、布団屋さんでもなかなか見当たらなくて、入手しにくいので有名なブラントですよ。基本的に注文生産とかになるから、待たなくちゃならないでしょうし、ぜいたくは言いません。ただ、最近は、真夜中になると寒いので、それで目が覚めることは多いですけどね。」
確かに最近は、深夜になると、10度を下回ることも少なくないので、小さな布団では寒さに対応しきれないかもしれなかった。
「おう、その対策として、いいものを買ってきた。これをかけて寝れば、絶対にあったかいと思ったからさ!どうだ見てみろ。黒豹の毛皮だ!黒豹の毛皮でできた毛布!」
と言って華岡は、紙袋の中から、毛布を一枚取り出した。
「黒豹の毛皮?どこで入手することができたんですか?」
確かに、黒豹の毛皮らしく、真っ黒い中に、うっすらとヒョウ柄の文様が付いている。
「だから、下北沢の通信販売業者。そこで通販で買ってきた。これだったら絶対あったかいぞ!こんな子供の布団を使うよりも、これをかけたほうが絶対にいい。」
「まったく。要らないですよ。こんな、黒豹の毛皮なんて、、、。それだったら、普通に売っている、ウールの毛布とかで十分なんですけどね。」
「何を言っているんだ。ウールって、羊の毛皮だろ。羊の毛皮を使って、ひどいことになったことがあるくせに。だから、こっちのほうがよっぽど安全でいいだろう?」
「黒豹ねえ、、、。若い水商売のお姉ちゃんじゃないんですから、河童のさんぺいよりさらに恥ずかしいような気がするんですが、、、。」
確かに、豹柄を着るのは、若いホステスとか、そういう人であることが多い。使い道に困って水穂は、一つため息をついた。
「よし、焼き芋が焼けたぞ。食べようぜ。」
杉三が、焼けた焼き芋を皿にのせてやってきた。しかし、二人で食べることを設定したので、芋は二つしかなかった。
「ああいいよ。僕は黒豹の毛皮をもらっただけで、それで十分だから、杉ちゃんと華岡さんで食べな。」
華岡がいかにもうまそうだなという顔をしたので、水穂はそういった。
「だめ。水穂さんにあげるつもりで持ってきたんじゃないか。華岡さんはこういうときは部外者というのだ。ほら、食べろ!ご飯なんて、ろくすっぽ食べてないそうじゃないか。ブッチャーが心配してたぞ。それじゃあいけない。」
杉三が、アルミホイルでくるんだ焼き芋を、ほい、と突き出した。華岡が、それをいかにも食べたい!という顔で見つめている。
「華岡さんにあげますよ。食べる気なんて、何もしないですから。」
「おう、ありがとう!お前は優しいな。俺、最近事件の連発でさあ。家に帰っても、ご飯なんて、作ってる暇がなくてな。毎日カップラーメンばかりの生活なんだ。だから、焼き芋が食べられるなんて、幸せの絶頂だ!」
水穂から、芋を受け取って、というかむしりとって、華岡はうまそうにかぶりついた。
「華岡さん。そんなこと言うんだったら、やっぱり富士市も危ない街になりつつあるねえ。大掛かりな殺人は一つもないじゃないでしょう。もう、事件の捜査の合間に、通信販売サイトで、黒豹の毛皮を散々探しまくって、やっと見つけたと正直に言いな!」
「杉ちゃんに言われちゃおしまいだ。あーあ、俺は親友のプレゼントさえもできないのか。」
もう、やけくそになって華岡が焼き芋にかぶりつくと、急に水穂が呻きながらせき込む声がする。
「あ、薬、切れちゃったか。ちょっと待ってな。」
杉三が、枕もとにある、粉薬の袋と水筒を取って、水穂に渡した。
「ご、ごめん。」
「いいよ。」
水穂は、それを受け取って、薬をがぶ飲みした。飲んでもしばらくはせき込んだままであったが、結構強力であったらしく、数分で落ち着いたようである。
「飲めば大丈夫なんだが、切れるとすぐにこうして振り出しに逆戻りだよなあ。まあ、少なくとも、飲んだほうが落ち着くんであれば、いいってことかなあ。」
杉三は頭をかじった。
「おい、ブッチャーに聞いたけど、お前最近、胸の痛みをよく口にするそうじゃないか。これ、本当に役に立ってるんだか、それじゃ疑わしいな。なんという名前の薬なんだろう。ほかのやつに変えたほうがいいのでは?」
華岡が、枕もとにある、薬の袋を手に取ったが、新しい薬は入っておらず、からっぽであった。
「なんだ、最後の一個だったの?じゃあ、明日病院までもらいに行くのか。その時に、切れるとまた苦しくなるとしっかり言ってさ、もうちょっと強い奴を出してもらえ。」
「いや、いやだね。あそこは行きたくない。」
代わりに杉三が返答した。
「なんでだ。生田病院なんて、あんな評判いいところ、聞いたことがないぞ。」
「ちゃんと、中身を見ろ。高慢ちきな医者に、江戸時代からタイムスリップしたのかなんて言われて、散々馬鹿にされたそうだぞ。だから、二度と行きたくないって、水穂さんは言っていたぞ。」
「そうなんか?」
「当たり前だ。だからいったでしょ。口コミとかパンフレットなんて、ただ表面だけ塗りなおしているペンキのようなものだ。それがはがれたら、腐敗しきった組織が丸見えだ。そしてその膿を水穂さんのような人たちが、全部受け止めちゃうんだよ。行政とか医療機関なんて、そういうもんだ。利根川心中事件の話を知らないのかよ。警察のくせに。」
「と、利根川心中ねえ。しかし、あれは群馬の話で、ここはまた違うかもしれないじゃないか。」
「いや、どこの地域でも、同和地区というのはそういうもんよ。そんなことも知らないで、警視までよく昇格出来たな、ありがたく思え。」
「すまん!俺も世間知らずすぎるよなあ、、、。」
「杉ちゃんごめん。せっかく口論してくれたのはありがたいが、五分だけ、寝かしてくれ。五分経ったら、起こしてくれればいいから。」
水穂は弱弱しくそう言って、布団に倒れるように横になった。
「いいよ。寝な。五分とは言わず、たっぷり寝な。」
礼を言う前に、眠ってしまったようで、返事はなかった。
「薬が回ると、こうなっちゃうのよ。まあ、強力だから、しょうがない。いつもせき込んで寝れないということのほうが多いんだから、寝かしてやろう。」
杉三は、かけ布団をそっとかけてやった。
「眠っちゃったか。これでは、黒豹の毛皮の感想は言ってもらえないか。感想を投稿すれば、送料が無料になる、と業者に言われたのに、、、。」
「けち!そんなことを聞くために、こっちに来たわけね。直接届けに来たのも、運搬代節約とかそういうことだな。」
華岡が思わずそういうと、杉三がからかうように言った。
「だってさ、最近宅急便の運搬量が値上げしすぎてさ、時には、運搬量のほうが商品より高いこともあって、馬鹿馬鹿しいんだよ。」
「何言ってるだ。警察ってのは、僕らの払っている税金で生きている職業なんだから、文句言うもんではない!」
またからかわれてしまう華岡であった。
「まあいい。とにかく、寒いのは確かだから、黒豹の毛皮、布団の上からかけてあげよう。」
杉三は毛布を広げて、河童のさんぺいの布団の上に重ねてかけてやった。そのようになっても、反応はなかった。
「しかし、よく寝てるなあ。本当に何も反応しないじゃないか。俺たちがしゃべってもうるさいとも言わない。きっと睡眠薬が混じっていたぞ。それでも薬飲んでしばらく眠れば、胸の痛みも止まるんだろうか。」
「うん。まあ、そういうことらしいよ。確かに薬飲んでくれれば、血を出すこともないらしい。でも、切れると振り出しに戻るのは、言うまでもないがな。」
「そうか。つまり、飲んでれば大丈夫ということか。で、明日からまた切れると。」
「まあ、そういうことかなあ。」
「だけど、杉ちゃん。俺としてはここで、これ以上容体を悪化してもらいたくないから、明日またもう一回病院に行ってもらいたい。」
「あー、無理無理。それはあきらめな。またあの高慢ちきな医者に、ひどいこと言われて帰ってくるだけさ。それでは、本人もかわいそうだし、こっちも嫌な気がするだけだから、やめておきたい。」
「杉ちゃん、そうだけど、血を吐いて倒れるということは、やっぱり重大なことだから、ちゃんと見てもらってきたほうがいいんだよ。もし、医者がそういうことを言うのなら、人権問題で訴えることだってできるんだから、俺がパトカー出して、連れて行こうか?」
「バーカ。それこそ病院側に馬鹿にされる要因だ。警察を利用するなんて、余計に虎の威を借るキツネとして、馬鹿にされるよ。そうするんだったら、僕が同行するわ。それでいいじゃないか。」
「と、いうことは杉ちゃん!明日病院まで行ってくれるんだな!」
と、華岡はがらりと態度を変えていった。
「そうじゃなくて、誰か有力な人に一緒にいってもらわないと。医者でさえも、ひれ伏すことができる、力のある人物。しかも、政治家とか警察とかじゃだめ。そういう人を利用すれば、政治献金の疑いもかけられるぞ!」
「そんなものいるかよ、、、。」
頭をかじる華岡に、
「だからいっただろ。無理だって。言ってみれば、その人の発言で、病院が傾くくらい力のある人だ!そんなものいるか!いい加減にあきらめろ!」
と、杉三は一蹴した。
「だけど、俺は心配だから、明日は確実に病院にいってほしい!明日パトカーを持ってくるから、必ず行ってくれ!杉ちゃんみたいに口がうまかったら、なんとか逃げ切れるだろ。」
「そうだねえ、、、。本人が傷つくと思うだが。」
「そういう傷より、体のほうがもっと心配だ。そういうくらい重大な病気なんだよ。杉ちゃん!」
「わかったよ。じゃあ、明日行くわ。」
杉三はぼそっと言った。
「よし!じゃあ、必ずパトカーで迎えに来るから。準備しておいてくれよ。それにしても本当によく寝てるな、、、。あーあ、桐朋時代は、ヴロンスキーと呼ばれて、あれだけモテた男が、今はこんな病気で倒れるとは、、、。まったく、世の中は冷たすぎるなあ。」
「失礼な。あんな不倫小説の悪役と一緒にするな。あんなつまんない不倫小説、とこがいいんだよ。」
「すまん。」
華岡は、また頭をかじってため息をついた。時を告げる鹿威しと一緒に、水穂がすやすやと静かに眠っている寝息が、なんだか悲劇的な交響詩のようであった。
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