第155話 火竜ブランガス

 「気をつけろー、触れるんじゃないぞー。よーし、そっと下ろせー。」



 帆布の帯でぐるぐる巻きにされた、もう1本のアイスⅧソードがロープで吊り下げられ、そっと砂浜に下ろされた。

 この漁村を含むこの国の地方都市では、ちょっとした騒ぎになっていた。

 それまでは、漁業と細々とした農業のみで、大した物産も無い、地方の貧しい漁村に過ぎなかったこの町が、急に活気を帯びてしまったのだ。

 その理由は、クラーケンを倒した謎の魔導師の姉弟きょうだいの噂だった。

 領主も最初は、単なる噂話だろうと高を括っていたのだが、あまりにも領民が騒ぐので、件の村へ出向いてみれば、本当にクラーケンが砂浜に横たわっている。

 普通なら、海で死んだクラーケンが打ち上げられただけだと思うだろう。事実、クジラ等の大型海洋生物が打ち上げられるという事例は、偶に有るからだ。これもどうせそういう事なのだろうと、最初は思った。

 しかし、少女がこれを運んで来たのを目撃した者は多数居た。ここのハンターズギルドのギルド長や職員も、そうだというのだ。

 事実、クラーケンの死体には、自然に死んだと言うには不自然というか、不思議な点がある。凍結しているのだ。

 その効果を及ぼしているのは、クラーケンの上に突き刺さった、一本の剣による、魔法効果だと言うではないか。

 確かに、少し離れてよく見てみると、漏斗の直ぐ上の両目の間辺りに一本の剣の様な物が突き刺さっているのが見えた。



 「おい、誰か、あの剣を引き抜いて持って来てくれ。」


 「……」



 その場に居た漁師達が顔を見合わせて困っている。



 「どうしたんだ?」


 「ああ、領主様、あの剣は誰も触る事が出来無いんですよ。冷たすぎるんです。もしも、あれに触ってしまったなら、その者はたちどころに氷の彫像になってしまうでしょう。あれを突き刺した魔導師の少女も、危ないから決して触るなと言い置いて行きましたから。それに、あれが刺さっているおかげでクラーケンが凍って、鮮度が保たれているんです。」


 「そうなのか、うーむ、しかし、クラーケンをこのままここに放置して置くというのもなぁ、雨風に晒されるし、野生動物も齧りに来るかも知れんぞ?」


 「では、近くに倉庫を建てて、そこへ剣と一緒に収容したら如何でしょう?」



 側近の助言により、断熱性を考慮した厚めの壁の石造りの倉庫を建設する事になった。

 剣を引き抜き、クラーケンは、適当なサイズに解体された後、倉庫へ収納して、剣もその中へ冷却装置として一緒に安置する。建物は、一般客にも参拝して貰える様に、神殿の様な作りの立派な建物となった。



 「西の大陸の北方に、ダルキリアという大国がありまして、そこへ女神が少女の姿で御降臨されたという噂が流れて来ています。丁度クラーケンを斃したというのも少女の魔導師だという話ですし、ここは一つ、その噂話に乗っかる形で村おこしをしてしまうのは如何でしょう?」



 後に、この小さな漁村は、神の降臨した村という事で、近隣の国から観光客が訪れ、たいそう発展したとか。クラーケンを使った、クラーケン焼き、クラーケンボールは、村の名物となりましたとさ。








◇◇◇◆◆◆◇◇◇◆◆◆◇◇◇◆◆◆◇◇◇








 「イブリスぅ、火竜ブランガスの場所って本当に分からない?」


 「ご免なさい、お母様。多分、近くへ行けば、気配は分かる様な気はするのですが……」


 「うーん、どの位南へ行けば良いのかさっぱりだねー……」



 そう言えば、火竜だっけ、炎竜なんだっけ? 火炎竜だったかな? 意表を突いて焔竜って事は無いよね? まあ、どれでもいいか。

 あ、今の所連絡の付く神竜は、地竜ユーシュコルパスと、面識は無いけど水竜のヴァンストロムだけど、他の2柱の竜とも話は出来るのかな? どうなの? 教えて、おねがい! ユーシュコルパスどん!



 『!--ユーシュコルパスどん? まあよい、我等神竜同士はお互いに繋がっておるとは言ったが、何処に居るかまでは分かっておらぬのだ。いや、正確には分かって無いと言うよりも、何処に居るかに興味が無いのだ。だから、大体の方角しか分からぬ。--!』


 「えっ? 他の神竜に興味無いの? 逢いたいとか思わないの?」


 『!--何の為に? 逢って何をする?--!』


 「そりゃあ、お話したり、遊んだり……」



 そこまで言って、虚しくなったよ。意識が繋がっていれば、逢って話をする必要は無いし、そもそも、竜が何して遊ぶっていうんだろうね。はぁ……

 ドリュアデスやネレイデスなんかの精霊達も似た様な物なのか。人間だけが、離れていると相手の様子も分からないし、逢って話をしないと意思の疎通も出来無い不便な生物だってだけなんですね。はいはい。








 「多分赤道越えたから、これ以上南に行くと、気候はまた寒くなって来ると思うんだけど、どうなんだろう?」


 「でも、お母様、方角はこっちで合っていると想います。」


 「成る程? 私は勝手に火竜だから暑い所に棲んでいると思い込んでいたけど、逆に極寒の世界に棲んでいるというパターンも有り得るのか……」



 イブリスはなんとなく方向だけは分かるみたいなので、その指し示す方へ向けて飛んで行く。

 いつしか海から大陸の内部へと進んでいた。

 眼下は、樹木の殆ど無い、山なのか丘というのか、起伏に富んだ砂漠地帯の様だ。砂の砂漠ではなく、岩のごろごろする礫砂漠っていうのかな、それ。

 ふと前方を見ると、山岳地帯の開けた部分に、物凄い量の湯気が立ち上っている、真っ青な湖があった。その周囲には、黄色とかオレンジ色の岩が縁取っている。

 上空からでもかすかに温泉街の様なにおいがする。



 「あっれー、こんな様なのどっかで見たことあるぞー?」



 記憶を頼りに頭の中を検索してみると、あ、そうだ、あれだ!アメリカのイエローストーン国立公園にある、グランド・プリズマティック・スプリングに似ている。だけど、それよりも大きく、水は沸騰している。

 温泉? やった! と思ったのだけど、近寄ろうとしたらイブリスに止められた。



 「なにか知ってるの?」


 「ここは、何だか遠いのですが、記憶に有ります。近寄ると危ないです。」



 私と会う前の精霊としての記憶だろうか、見覚えが有るらしい。

 なんでも、この平地は巨大な盆地の中心部で、下には硫化水素が溜まっているらしい。

 イブリスに止められなかったらヤバかったな。この臭気は、硫化水素の臭いか。卵の腐った様な臭いというのかな、猛毒のガスだ。他に、火山性の亜硫酸ガスも発生しているみたい。湖を縁取る黄色いのは、硫黄か。

 あの青い湖の水は強酸性だそうだ。沸騰しているのに強酸性というのは、硫酸だろうか。沸騰した硫酸の湖、やばすぎ。

 よく見ると、動物の白骨死体が周囲に散らばっているよ。怖っ!



 「危な! 止められなかったら、下に降りちゃってたよ。イブリス、ありがとう。」



 いかに私の魔力が強いと言っても、毒ガスの中に入って硫酸の海に落ちて助かるとは到底思えない。

 湖の真ん中あたりで首を出してじっとこちらを見つめる眼差しがあるけど、気が付かなかった振りをして帰ろう。


 回れ右をして、その場から帰ろうとする私達に強力な思念が飛んで来た。



 『!--あーん、ソピアちゃんのいけずー! 挨拶くらいしていきなさいよぅ!--!』



 魔力でぐんっと引っ張られた。

 ヤバイ! 硫化水素のガスの中に降ろされたら即死だ。硫酸の湖の中に落とされでもしたら、骨も残らない。

 私は、空中から引きずり降ろされない様に魔力で踏ん張り、湖の中に居るそいつを逆に引っ張り上げてやろうと魔力を込める。

 奇しくも、そいつと綱引きをする形になってしまった。



 「うぐぐ! イブリス! 力を貸して!」


 「はい! お母様!」



 オーエス! オーエス! と掛け声をして、水の中の竜と一進一退の綱引きを繰り広げる。

 ヤバイヤバイ! 飛行中は、防御力がガタ落ちなんだ。魔力を分散している分、力での単純な引っ張り合いはこっちがすごく不利。

 魔力で地面を押して浮上しているので、引っ張ったら逆に墜落してしまう。

 クラーケンの時は、浮上と攻防をイブリスと分担していたのだけど、今度は二人共引っ張られている。どうしよう。



 「くそー、強いなあいつ! 体重でこっちが不利じゃん! イブリス、魔導ジェット、全力噴射!」


 「はい! お母様!」



 2人分の魔導ジェット噴射で、湖の中のそいつを引っ張り上げようと、ぐんっと魔力にテンションが掛る。

 それでも、ジリジリと高度が下がって行く。



 「くっそー! 推力が足りない!」



 私は、湖の水分子を分解して、それを燃料としたロケット推進を試みる。イブリスと競争した時に使った、マッハ20を出した推進方法だ。

 あの時は、眼下に海が在ったため、その膨大な海水を燃料にする事が出来た。今回も幸いと言う所だろうか、足元には硫酸の湖が広がっている。



 「イブリス! 私のやり方を真似て! ロケットエンジン点火!!」


 「はい! お母様!」



 ドドドドドドドドドドドドドドドド!!!!!



 低い轟音を響かせ、足元の湖面に物凄い噴射炎を叩きつける。

 湖面の水は水蒸気と成って押し退けられ、彼方へ吹き飛ばされて行く。



 『!--きゃあああああああ!!--!』



 水面から頭だけを出していたそいつは、女の子みたいな悲鳴を上げて、全身をその水面上に現した。

 しかし、私達もその高度を保てずに、徐々に墜落して行く。

 水に落ちる訳にはいかない。私達は、精一杯の力を振り絞り、せめて湖岸の陸地部分へ着地しようと試みる。

 高度は下がり続け、ついに岸に足が着いてしまった。その瞬間、私は、浮上に使っていた魔力を切り替え、全力の魔力で水中からそいつを引きずり上げ、遂に陸へ引き上げる事に成功した。


 やっぱい、ロケットの噴射でこの辺りに溜まっていた硫化水素ガスを吹き飛ばしていなければ、地面に下ろされていた時点で負けてた。



 『!--ああん、もう、話に聞いていた通り、ソピアちゃんは凄いのねぇ。私負けましたわ(回文)--!』


 「なんなの! 今の遊びのつもりだったの!? 硫化水素とか、硫酸の湖とか、殺しにかかって来てたじゃん!」


 『!--あら、うふふ。ソピアちゃんなら、これ位、簡単に切り抜けられると思っていたのよ?--!』



 何なんだよもう、イブリスも居なかったらかなり危なかったよ!

 あと、喋り方がヴィヴィさんと被ってるよ!



 「あんた、火竜ブランガスでしょう?」




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