1-30 零課
「すぐそこに喫茶店があります。そこで」
上村はそう言い、二人はついて行った。
二分も経たずに喫茶店に着いた。住宅を改築した小さな店に三人は入り、コーヒーが三つテーブルに並んだ。
それに口を付けずに神崎はアイスのスクリーンを広げ、両面モードにした。こうすれば自分が見ている映像が相手も見られる。
「まず確認ですが、あなたは渡利浩二さんと大学時代に恋人関係でしたね」
「・・・・・・え? ・・・・・・はい」
上村は辺りを気にしながらコーヒーに口を付けた。
「どれくらいの期間ですか?」
「あの、・・・・・・彼が何か?」
心配そうな植村に神崎は笑顔で答えた。
「詳しくはお話出来ません。ただ、警察が動いているという事だけはご理解下さい」
言葉から見え隠れする事の重大さを上村は肌で感じ取っていた。
「では、もう一度聞きます。あなたが渡利と付き合っていた期間は? なるべく詳しくお願いします」
「だ、大学に入って、一年生の夏に付き合って・・・・・・。それからあたしが卒業するまでです」
「渡利は二年の単位を取ると一年間休学して海外に行っていますよね。帰って来てからも関係は続いてたと?」
「・・・・・・はい。ただ、あたしは就職してすぐ北海道に行く事になったので。それっきり・・・・・・連絡が取れなくなって。仕事が忙しくて帰って来られなかったんですが、一年経って戻ってくると、彼はもう卒業してアパートも引き払っていました」
「それからは一度も会っていない? 連絡も?」
上村は俯いて、自分の顔が映ったコーヒーカップを見た。
「・・・・・・一度だけ電話がありました」
「内容は?」
「・・・・・・『やらないといけない事ができた。だから、さようなら』・・・・・・と。それだけ言って電話は切れました。それっきり・・・・・・」
それを聞いて、今まで黙っていた臼田が顔をしかめた。
「これだから男は・・・・・・」
そう呟く臼田の太ももを、神崎はテーブルの下でぺしっと叩く。
神崎は質問を続けた。
「そうですか・・・・・・。では質問を変えます。彼の性格はどんな感じでした? 一応大学データでは温厚で責任感が強く、比較的真面目とありました。合っていましたか?」
「はい。彼はとっても優しかったです。あたしの事も、友達の事も気が回るし、皆に好かれてました。真面目で頭もよかったです」
「暴力を振るわれたりは?」と臼田。
「ありません! 彼は絶対にそんな事しません!」
上村ははっきりと否定した。声に怒気が籠もっている。
彼女にはまだ渡利への愛情が残っていそうだった。
それほど上村にとって渡利との思いでは特別なのだろう。そう神崎は思った。
「そうですか・・・・・・。ではもう一つ。海外から帰って来てから、彼に何か変化はありましたか?」
上村は目つきをきつくした。まだ少し怒っている。
神崎は内心面倒に思いながらも顔には出さず笑顔で返事を待った。
沈黙が続くと上村は小さく息を吐いた。それからコーヒーを一口飲んで落ち着いた上村は含みのある言い方で告げた。
「・・・・・・優しくなりました」
「え? えっと・・・・・・、元から渡利は優しい男性だったんですよね? 更にという事ですか?」
驚いた神崎は臼田と顔を合わせて尋ね、上村は頷いた。
「そうです。元から優しかった彼はもっと優しくなったんです。朝ご飯作ってくれたり。バイトの送り迎えしてくれたり。プレゼントもあたしが好きな物をくれたし。頼りになるし。・・・・・・誰かとは大違い」
上村は誰かを思い出し苦笑した。そしてまたコーヒーを飲んだ。
誰かと聞いて、神崎と臼田は先程上村を見送っていた夫を浮かべた。
優しそうだが、どこか気が弱そうな男だった。
「帰国して性格が変わったり、過激な思想を語ったり、暴力的になったりはなかったですか? 全く?」
「ありません」
はっきりとそう言う上村に、神崎の脳裏に一つのあり得ない考えが過ぎった。
ほぼ確実にあり得ないが、一応聞いておくことにした。
「・・・・・・彼が帰国してから・・・・・・、その、セックスレスになったりは?」
その質問に上村は不快な顔をした。
突然の質問に臼田も驚いている。
「・・・・・・いえ。別に・・・・・・。今の旦那とはそうですけど・・・・・・」
「・・・・・・そうですか。失礼しました」
「・・・・・・あ、ただ・・・・・・」
「何か思い出されました?」
「あまり、関係ないかもしれませんが・・・・・・。たまに携帯で何かを確認していました」
「それが何かは・・・・・・」
「多分、どこかの風景だとは思うんですが・・・・・・」
「それはネパールの?」
「えっと・・・・・・、海があったような・・・・・・。島・・・・・・かしら? すいません。思い出せません」
「いえ。昔のことですしね。上村さんが謝る必要はありませんよ」
神崎は手掛かりなしかと落ち込んだが、気を遣わせない様に笑顔を作った。
その後、二三必要な事を聞いて聞き取りは終わった。
女性同士という事で上村はある程度答えてくれた。神崎は伝票を持って席を立った。
上村を家まで送ると、すぐに夫が出てきて上村を心配そうに気遣った。
上村は大丈夫よと微笑み、二人は家の中に戻っていった。
幸せそうに見えたが、外からは大抵そう見えるものだと神崎は知っていた。
「・・・・・・まだ、気持ちは残ってるんですかね?」
駐車場に向かう途中、臼田は喫茶店での上村を思い出していた。
神崎は前を向いたままどうでしょうねと答えた。
「現状に満足しないと昔の事が妙によく思えるでしょ。若き良き学生時代なんて特にそうよ。自由だし、時間も体力もあるわ。そういう事じゃない?」
「それにしても、何ですかあの質問? もしかして先輩、あの人が渡利とどんな夜を過ごしたのかに興味がおありで?」
臼田はいかがわしいと言わんばかりに聞いてきた。
神崎はすぐに否定する。
「違うわ。万が一、帰国後彼女が一緒に過ごしたのがマリオネットだとしたらって考えただけ。まあ、現実にはあり得ない事だけどね。でもクローンマリオネットは不気味の谷を完全に克服してるし、松木重工が公開しているデータでも人に与える違和感はほとんどゼロらしいから。日常生活の中で入れ替わっても気付かないかもって思ったの。一応よ。一応」
「はあ・・・・・・。あたしはてっきり今後の参考にでもするのかと思いましたよ。ええ」
怪しむ臼田に神崎は額に手をやり、溜息をついた。
駐車場に着くと、車のドアが自動で開き、乗り込んだ。
「なに? あなたまだ拗ねてるの?」
「はい。まだ拗ねてますよ~」
臼田が車に乗ると、ドアは自動で閉じ、車は本庁へと動き出した。
臼田はむすっとしたまま前を見て、神崎は面倒そうに窓の外を出ていた。
ステアは勝手にクルクル回り、狭い道でもぶつからず、溝にも落ちずに車は走った。
自動運転の車は信号に止まらない。青信号の時間帯を計算して速度調整するからだ。止まるとエネルギーの無駄に加え、ブレーキも消耗する。
人へのストレスも解消されて、事故も大幅に減った。今では交通事故は大ニュースとなる。もし起こればどこのメーカーの車か、どこのAIを積んでいたのか。そんな報道がひっきりなしだ。
そんな科学技術の進歩にも関わらず、人はまだ原始的な問題を抱えている。
それは愛だとか、恋だとか。好きだとか、嫌いだとかだ。
人は感情に悩まされ、同時に行動するきっかけにもなっている。
おそらくずっとそうで、これからもこうなんだろう。
隣でつまらなそうに毛先を触る臼田を見て、神崎はそれを確信した。
「ねえ?」
「何です――――」
臼田が言い切る前に、神崎は唇を奪った。
キスは5秒ほど続き一度離れて、もう一度唇を重ねた。
臼田は神崎に腕を回す。しばらくして二人は離れた。
「これで満足?」
「・・・・・・まあ、はい・・・・・・」
俯き加減で嬉しそうに指をもじもじさせる臼田を見て、神崎はどっと疲れた。
「もう今日は疲れたわ。仕事なんてやってられない。ホテル行くわよ。ホテル」
「先輩ったら・・・・・・素敵❤」
臼田が 顔を赤らめ頬に手を当てた時だった。
同時に二つの連絡が入った。一つは神崎に捜査本部から。
もう一つは臼田へ新島からだ。
二人は同時に溜息をつき、連絡を受けた。それぞれのアイスからは二つとも同じ言葉が発せられた。
「やばい事になった・・・・・・」
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