かすかな望み

「ねえー、せんぱーい! なんでそんな眉間に皺寄せてるんですか?」


 俺が北島先輩に部活をサボると宣言して、足早に帰路についてから。

 慌てたように華子があとをつけてきた。


「……誰の眉間にしわが寄ってるって?」

「自覚ないんですか。そのほうがたちは悪いですけど……」


 知ってるわ。

 だから俺は、華子にツッコまれる前に北島先輩から離れたんだからな。


「まあ、渋谷先輩に比べて、自分は何のとりえもないとか思っちゃうのも仕方ないのかもしれませんけど」

「おまえやっぱりエスパーだろ!?」


 図星をつかれて怒ったり慌てたりする前に、なぜかツッコミを入れてしまう俺。

 華子が一瞬だけハニワみたいな顔をしたが、すぐに優しい笑みを浮かべて。


「でもですね、そんな才能あふれる渋谷先輩でも、絵を見てわかるように、何かを悩んでいます。それこそ今のせんぱいとおんなじ」

「……」

「人間なんてみんな同じです。関係ない人から見るとくだらないかもしれないことで悩んで、いじけて、自分を責めてたりします。でも、そんなネガティブなことばかり考えて険しい顔で過ごす天才よりも、常にポジティブな笑顔を見せてくれる凡人のほうが……」


 そこで華子がわざとらしく俺の顔を覗き込む。


「……わたしは、好きですよ」


 ああクソ、なんでこんな優しい言葉を華子にかけられて、涙が出そうになるんだ。

 気の迷いっていうのは恐ろしい。この小悪魔が天使に見えてきそうだ。


 …………


 少しだけ、華子の言うことが本当に少しだけ分かった気がする。

 なるほど、もしも華子がこんな感じでいつも俺に優しく接してきたら、俺はこの気の迷いを恋心と勘違いしそうだ。

 そして俺はいつしか華子に──


 ──あ、でもだめだわ。だれかれ構わず股を開いた女はちょっと遠慮したい。


 いやだってさ、経験豊富な華子やつを相手にしたら、初めてのとき『もう終わりですか? 早いんですね、しかも自分勝手でヘタクソです』と言われたりして、再起不能に陥りそうだもん。


 …………


 俺も華子の思考回路に毒されているような気がした。

 朱に交われば真っ赤になった頬を隠すかのように、思わず華子から顔をそむける。


「……ね、せんぱい。だから、笑顔を見せてくださいよー。せんぱいの笑顔を見るのが、わたしの生きがいなんですからー?」


 一方で、華子は自分が優位に立ったのを自覚して、おちょくりモードへ突入したらしい。言い方が自分の女部下にセクハラする上司みたいになってる。


「セクハラで訴えます」

「わたしなにも手を出してないんですけどー? あ、わかった、先輩は手を出してほしいんですね。じゃあこれから先輩の家にいって脱・プラトニックを」

「それがセクハラだっつーのが!」

「ひとつ上のオトコになるチャンスを自ら逃し続けてもいいことないですよ?」

「認めたくない若さゆえの過ちにしかならない気がするぞ?」


 あと、俺はムケてるからな。なにがとは言わないけど。


 一歩も引かない俺の態度に華子が妥協したのか、そこでお互いの着地点を提案してきた。


「じゃあですね、今日はせんぱいを押し倒しませんから、せんぱいのお家に連れてってください」

「きょうとか不穏な助詞使うなよ」


 不穏な助詞を使う不穏な女子ハナコ。うまくない。


「えー、だってわたしが押し倒さなければ、せんぱいはいつまでたっても押し倒してくれませんよね?」

「押し倒されたいのかよ!?」

「せんぱいになら」

「……」


 なんで華子と話していると絶句することが多いんだろう。


「まあ、それはまたの機会にしますから。せんぱいの家で、見せてほしいものがあるんです」

「なんだよ。たぶん見せねえぞ」


 どうせ俺のえっちなコレクションとかを見せろ、とでも言ってくるのかと思い、そうおざなりに反応したが。

 華子から返ってきたのは、予想外な内容だった。


「……愛美さんの、笑顔の写真を見たいんです。お願いします……」


 俺は一瞬だけ硬直してしまう。

 硬直が解け、ロボットが振り向くようなしぐさで華子のほうを向くと、そうお願いしてきた張本人がいつになくしおらしくて、遠慮がちで。

 まるで捨て犬が『拾ってください』と寂しげに鳴きながら、つぶらな瞳で訴えてくるかの如し。


 ──ああ、クッソ。


「……なんで華子は、いまさら愛美の写真を見たいんだ?」


 ある意味意地悪な質問である。

 が、それでもひるまない華子は少しだけ考えて、真剣な目で俺を見つめて、はっきりと言ってきた。


「愛美さんが幸せそうに笑った顔を、忘れてしまうことが怖いから……はっきりと脳裏に焼き付けるために、忘れる恐怖を打ち消すために、


 そこで違和感。

 もちろん華子の言葉に、だ。


 どこがどうというのはわからないが、華子が伝えてきた言葉は──愛美と直接顔を合わせたことがない、というようにも聞こえる。


 でも、普段とはうってかわって。

 下唇をかみながら真剣にそうお願いしてくる華子のことをないがしろにするわけにはいくまいよ。愛美に怒られそうだしさ。


 …………


 幸せだった日々を思い出すことがよけいにつらいからと、俺がのこされた愛美の写真を見なくなったのは、いつからだっただろうな。


「……わかった。愛美の写真だな。飽きるまで見ればいい」


 俺は悩んだ末に結局、許可を出した。

 華子と一緒に写真を見れば──たぶん、悲しいことじゃなくて、楽しかった愛美の記憶だけ思い出せる。


 ──そう思ってしまった俺は、いったいなんなんだろう。

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