アイドルにはなれません

 いつもの帰路には存在しない、駅前というルート。俺は、華子にピトッとくっつかれたまま、ただふらふらと歩いていた。


「……なあ、さすがにちょっと恥ずかしいから、いったん離れてくれないか」

「いやです」


 人ごみに紛れれば目立たないかとも思ったが、逆だった。華子に腕を組まれている状況を、さらに多数の人間が様々な感情をこめて眺めているようにしか思えない。


『あらあら、若いっていいわねえ』

『ケッ、リア充めが。これみよがしに腕なんか組みやがって、目障りだ』

『あんなかわいい子が、あんなさえない男と歩いている、だと……!』

『最近の高校生は……こんなに明るいうちからイチャイチャしよって! けしからん!』

『うっわー……あの二人は間違いなくヤッてるわ』


 おおう……まわりからの怨念にも似た思念が流れ込んでくるよ、俺の脳内に。

 直接言われたわけではないので、俺も思念で知らない誰かの脳内に直接語りかけることにする。


『ヤッてないからな、断じて』


 届いているのかいないのか全く分からない。当然だ、目と目ですら通じ合うなんてまず無理だというのに。

 仕方ない、もう少し強く念を込めようか、などと思っていたら。


『殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺すコロスコロスコロスコロス』


 恐ろしい呪文のような言葉の羅列が俺の脳内に流れ込んできたので、俺は背筋にさぶいぼを立てるやいなや、華子の絡みつく腕を無意識に振りほどいてバッと飛びのいた。


 どこだ、ヒットマンはどこだ。落ち着きなくあたりをキョロキョロしている俺を、華子が思い切りいぶかしむ。


「……せんぱい、どうかしたんですか? 命を狙われているような焦り方をして」

「い、いや、今、おそろしい怨念を感じて……」


 そう言いつつも挙動不審な俺にしばらくジト目視線を送ってから、何となく察したように華子は笑顔を作った。


「男は外に出れば七人の敵がいる、っていいますもんね! さすが先輩です!」


 ほめてんのかそれ。俺みたいに穏やかな草食系男子に敵などいるわけもなかろう。

 そう言いたいのはやまやまだが、心のざわめきは止まらない。


 華子から距離を取り、せわしなくあたりを警戒して、しばらく経ったあと。


「――――あの、すみません。ちょっといいですか?」


 後ろから突然声を掛けられ、軽く飛び上がるくらい驚いてしまった。

 反射的に後ろを振り向くと、センスのいいシルエットのチャコールグレーのスーツに身を包んだ、三十代前半程度に見える短髪の男性がいた。


 こいつがヒットマンか! などと思い警戒していたら――スーツ姿の男性は俺のわきを素通りし、華子の目の前に進んで何やら名刺らしきものを差し出してきた。


「私こういうものですが。あなたは高校生ですか? アイドルに興味はありませんか?」

「……えっ、わたし、ですか?」


 自分に声をかけられたなどと思いもしなかった華子が、きょとんとして男性を見上げる。


「人を引き付ける愛嬌を持った瞳をはじめとして抜群に整った顔立ち、キュートなリボン、小さいながらスタイルもいい。あなたはきっと人気アイドルになれるでしょう。どうですか、興味ありませんか?」


 男性はドッキリや冗談などとは無縁そうな態度で、真摯に華子へと言葉を向けた。


 ――――アイドルにスカウト? 華子が? マジ?


 なにがなんだか理解が追いつかないようすの華子は、男性が差し出してきた名刺らしきものを受け取らないまま覗き込む。


「……えーと、株式会社カオスプロダクション?」


 そして名刺の最初に書いてあった、会社名らしきものを読み上げた。俺はその社名にピンときて、すぐさま説明っぽく叫んでしまう。


「カオスプロダクション!? あの人気アイドル、『QPまよねー’s』の所属しているところじゃんか!!」

「おや、君はご存知でしたか。ここに社員証もあります。これで信用していただけますでしょうか?」


 スーツ姿の男性は俺の叫びに冷静に反応して、あくまで騙しや詐欺ではないことをわかってもらおうとしているようだ。


『QPまよねー’s』……不動のセンター、『あかつき』を中心とした、今人気の女性アイドルグループだ。

 ――――そういえば、あかつきはこの街出身だという噂を耳にしたことがある。だからだろうか、この男性がこんな片田舎の街にやってきたのは。


「マジかよ……マジでスカウトか……」


 思いがけないハプニングに絶句する俺の反応からマジモノのスカウトとは気づいたようだが、事情がつかめずにいまだ戸惑いから抜け出せないようで、今度は華子が挙動不審になっている。


「いやー、あかつきから話を聞いてスカウトしに来た倉橋さんや有田さん、矢吹さんからすらもあっさり断られ、どうしようかと途方に暮れかけましたが……私はまだツイていました。まさか、この街でこのような原石に巡り合うとは思いもよらず。絶対に私がトップアイドルにしてみせます。人生一度きり、アイドルとしてスポットライトを浴びてみませんか?」


 アイドルのスカウトマンからしてみると、華子は逸材らしい。言葉はシンプルだが、なんとなく熱のこもったふうにも聞こえる説得である。


 華子が、アイドルになる……って、いやいやいやそれは無理だろ。こんな痴女ビッチ、もしも何かの間違いでアイドルになったとしても、間違いなくマスコミに過去の男の影をかぎつけられてスキャンダル暴露大会が開催されちまうぞ。


 ――――決して、華子が手の届かない存在になってしまうのをさみしく感じるわけではない、うん。


 誰に対してでもなくそう心の中で言い訳し、いまだに戸惑う華子の代わりに、俺はスカウトしてきた男性へ向けて言葉を発した。


「……あのー、こいつ、アイドルには向かないと思うんですけど」

「えっ? 君はなぜそう思うのですか? 君は、ひょっとしてこの子の彼氏さんかな?」


 華子に向けた顔から視線だけを動かし、男性は俺に向けてそう尋ねてきたので、俺は即否定をかます。


「いえ、彼氏じゃなくて、単なる部活の後輩……」


 ――――が、華子がどうやらその瞬間、我に返ったようで。


「そうです、わたしの彼氏です!!」


 すぐさまいったん離れた俺の右腕を掴み、抱きつきながら慌ててそう宣言してきた。


「申し訳ありません、せっかくのスカウトですが、わたしはアイドルにはなれません」

「なぜかな? よければ、理由を聞かせてもらえないだろうか」


 はっきりとそう告げる華子に、食い下がる男性。どうやら本当の本当に華子を逸材と思っていることがうかがえる。


 少し考えるような間をおいてから、俺の腕を放すそぶりも見せずに華子は理由を伝えはじめた。


「……実はわたし、お医者様から『きみは二十歳まで生きられない』と告げられています」


 スカウトマン男性の表情がそれを聞いて驚きへと変わる。俺の呆気あっけにとられた顔を見たらそれは嘘だとわかりそうなものだが、幸いにも俺のほうなど眼中にないようだ。


「だからこそわたしは、限られた時間を一番大好きな人と過ごしたいんです。自分がたとえ明日死んだとしても、悔いなく笑顔で死ねるように。そういうわけで、アイドルをやる時間なんてありません。ごめんなさい」


 華子の嘘八百につきあわされた男性が、目を右手で押さえながら天を仰いだ。無言だったが言いたいことは伝わってくる。


 いやいや、とっさの言い訳だとしても、よくこんな作り話がスラスラと出てくるもんだ。

 俺はそのように無駄な感心をして棒立ちだったが、男性に見えないように、演技を終えた華子が肘で俺の脇腹をつついてきた。


(……ほら、先輩、話を合わせてください)


 おおう、華子の心が読める。脳内に叫ぶのはこうやらないとならないのか。今度コツを教えてもらおうなどと思いつつ、俺も蛇足かもしれない言葉を付け加えた。


「そうなんです。大事な時間を忘れないように、悲しみよりも幸せとして思い出せるように、俺たちは一日一日を大事に大事に生きているつもりです。そこに他の煩わしい何かが入り込むことなどできません」

「……そうか……わかった。すまない」


 どうやら男性は事情を理解してあきらめてくれたらしい。いや、表情からはあきらめきれない雰囲気が伝わってくるが。


「原石がこんなに眠っているこの街で、まったく成果が上がらないとは……ああ、もったいない、芸能界全体の損失だ……」


 俺と華子が再度丁寧にお辞儀をしたのちに、男性はそのような独り言をつぶやいたままどこかへと歩き去っていった。


 ……アイドルのスカウトマンも、大変だな……

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