新たな約束

「……おまえ、どこまでついてくるんだ」


 ノルマも果たし、もう学校に用はないとばかりに帰宅する選択をしたはいいが、なぜか華子までがあとをついてきている。


「どこって……先輩の家に行くんじゃないんですか?」

「それは帰宅、という意味だよな。おまえももう学校に用事がないなら帰宅しろよ」

「えっ?」


 大真面目にきょとんとする華子。大真面目に頭に疑問符を浮かべる俺。意思の疎通がなってない。


「だって、先輩がナンパしたのって、わたしを自宅に連れ込むためじゃないんですか? アベックでイチャイチャと」

「勝手に人を性獣扱いすんなよ!」


 あと、アベックってなんだ。ホームランでも打つのか。


「違うんですか? なら、なんでわたしに声をかけてきたんですか?」


 そりゃ、部活勧誘でしょ。それ以外に何がある、合コンじゃないんだぞ。つーかさっき、『部活勧誘にきたんですよね?』と念を押してただろ、華子よ。

 さらに付け加えて言うなら、俺が声をかけたわけじゃないのに、なんで華子の中では俺がナンパしたことになってるんだろうか。謎は深まるばかりだ。


「だからな、俺が、じゃないだろ。そっちが強引に……」

「はい、アウトです、先輩」


 俺が謎解きを進めようと一歩踏み出した時点で、無情にもダメ出し。あまりの理不尽さに魂抜かれそうだよ、こんちくしょう。


「なんでアウト宣言されなきゃならないんだ」

「女の子の扱いがなってません。いいですか、女の子には言い訳させる余地を与えないとダメなんです」

「……は?」

「例えばですね、言い訳の余地があれば、何をしても罪悪感が希薄になるんですよ。他人のせいにできるから」

「……」

「つまり、『あー、出会って即えっちしちゃったけど、強引にナンパされちゃったんだからわたしは悪くないし、仕方ないよねー』なんてことも」

「ねえよ馬鹿野郎!!!」


 怒鳴る声が、力いっぱい裏返った。なんで部活動勧誘が性行為へとつながるんだか、理解に苦しむ。最近の新入生はこんな性に対して奔放なのばっかなのか。


「えー、部室に連れ込まれた時から、覚悟していたのに……」

「連れ込んだとかいうな。ただ案内しただけだろ」


 覚悟、という言葉は無視した。つまり、華子はやられちゃう前提で美術部に入部したのか。貞操と引き換えの入部、ロマンだね、性春だね。ガッデム。


 それにしても、最近は告白してつきあってデートしてチューしてえっちに至る、なんてまどろっこしいことはしないのか。

 玄関開けたら二分でアハン。これでなぜ日本は少子化問題に悩まされているのだろう、不可解なことばかりなり。


 ――――まあ、そんなことは割とどうでもよい。で、今までの会話をトータルすると。


 華子は、えっちする覚悟で入部した。つまり、えっちすることに抵抗はない。

 ということは、すでに経験済みの可能性が高い。わかりやすく言えば非処女の疑いがある。

 いや、疑いどころか、えっちすることに抵抗がなくなるくらいの経験値を積んでるといってもいいだろう。


 非 処 女。


 こ の 年 齢 で 既 に 床 上 手。


 ――――決めた。華子のことを今からビッチと呼ぶことにしよう、心の中で。


「誰にでも覚悟を決めるわけじゃありませんよ。先輩だけです」

「ぶっっっっ!!!!」


 そう決意したとたんにヘンな発言がビッチから、いや華子から飛び出る。


 いったいなんなのなの。出会ってからわずかな間のどこに、そう思わせる部分があったの。

 常識などというチャチいものでは測れない、もっと恐ろしい何かか。


「あのさあ……からかってる?」


 俺の疑問に、華子はクリっとした目をまばたきさせた。同時に犬の耳のようなリボンがピンと立つ。


「先輩をからかって、わたしにどんなメリットがあるのか、逆に訊きたいです」

「……からかいじゃなかったら、理不尽な謎しか残らないぞ」

「そう思われるのは心外ですよ。先輩は、わたしのすべてを捧げるべき、運命の人なんです」


 えぇ、あれって運命の出会いだったの……? 俺は全くそう感じなかった、なんて言ったらまたダメ出しされるのだろうか。


「……そう思う根拠をお聞きしたい」


 会話が余計にこじれるのを恐れ、俺は無難なツッコミを入れるのだが、『待ってました』とばかりに、それを聞いた華子が胸に手を当ててドヤ顔をしてきた。


「わたしのハートが、教えてくれました。先輩こそ、わたしがここにいる意味のすべてだと!」


 残念ながら、『二問正解、椅子が回りまーす』レベルで説得力は皆無である。


 電波系ビッチか……? 天啓で示された相手に、心と一緒に股も開くという噂の。


 いやいや、もしかするとハニートラップかもしれない。きっとそんな行為に至った後に、『あなたは神をシンジマースカー?』とか布教されるんだ。


「すまない……俺は無神論者なんだ」

「えっ? どういう意味ですか?」

「だから、新興宗教に興味ないし、お布施をするような財力もない一介の高校生だ」

「わたしが、なんのあやしい勧誘をしてるように見えるんですかー!? 宗教とは無関係です!」


 ……違うの? なんだこれ。話のキャッチボールが全部暴投だ。もう持ち球も尽きた。

 華子の思惑が読めないんだからな、それも当然なのだが。


「まったくもう……たかだか童貞捨てるのに、そんな理屈こねちゃって」

「俺がおかしいように言わないでもらえるかなあ?」


 華子に無駄な抵抗をしつつ、俺は考える。


 そりゃふつう、初体験ってのは愛情とムードたっぷりロマンティックにいたすのを夢見るだろう。

 たとえ、俺の常識が華子の非常識だとしても、理想を追い求めて何が悪いのだろうか。それは譲らん、譲りたくない。



 ――――だが。そのあと、話は思わぬほうへ展開する。考えることすら無駄だった。


「理屈ばっかりで実践しないから、絵描き童貞すら捨てられないんですよ?」

「!!」

「あーだこーだいわずに、衝動に任せて絵を描いちゃえばいいんです。それとも、先輩は絵を描くのが嫌いでしたか?」

「…………」


 完膚なきまでに言い負かされた。華子に。


 ――――俺は。


 決して、絵を描くのが嫌いなわけじゃない。初めて、絵をそれなりに上手く描けた時の達成感は、伝えがたいものがあった。


 でも、夕貴のために描いた似顔絵。愛美のために描けなかった似顔絵。それは、誰にも見せてあげられなかった。


 そして、今や夕貴には想い人がいて、愛美はもうこの世にいない。


 いまさら、誰のために絵を描くんだ、


 ――――俺は。


「……無理だ」

「えっ?」

「絵を描いても、それを見せたいと思う相手が……いない。だから描く気にならないんだ」


 それだけ言うのがやっとだった。これ以上言葉を発すれば、俺の心が大ダメージを受けてしまう。


 結果として、華子がようやく静かになった。俺の様子から、なんとなく深刻さを感じ取ったのだろう。


「…………」

「…………」


 二人とも下を向いて、ただ歩くだけだ。複雑な負の感情のみが頭に残っている俺に、それ以外はできない。


 だが、しばらくしてから、華子が俺の袖を引っ張ったので、俺は歩みを止めた。


「……先輩、家の前を通り過ぎちゃってますよ?」


 言われて気づく。振り返ると、確かに五十メートルほど先に家が見える。


「ここでお別れですね、きょうのところは。先輩の家にお邪魔するのは、やめておきます」


 振り返った俺の前に回り込む華子。後ろ手を組んで上目遣いをし、俺の様子をうかがっているようだ。


「じゃあ、また明日。……先輩、明日も部室にきますよね?」

「……ああ、そうだな」


 部活に参加する気などないのに適当な答えを返す俺に不満を抱いたのか、華子が別れの言葉を追加してきた。


「あと、先輩が絵描き童貞を卒業するときは……最初に、わたしにその絵を見せてくださいね」

「……絵?」

「はい。わたしに見せるために、絵を描いてください。だから、描いたら絶対一番に見せてくださいね。約束ですよ?」

「……え?」


 阿呆な俺の聞き返しなど気にも留めず、犬のように俺をジーッと凝視する華子によって交わされようとしている、無理矢理な約束。



『――――約束だよ!』



 脳裏にあの時の声がフラッシュバックする。


 ――――ああ、そうか。この犬みたいな目、人懐っこいおねだりの仕方、懐かしい感じ。愛美に似ているんだ、華子は。


「……わかった」


 俺が、自分の意志なのかそうでないのかわからない返事をしてしまった直後に、華子の笑顔が開花宣言をした。


「言質とりましたー! 楽しみにしてますね!」

「……絵描き童貞のまま卒業したらすまんな」

「その時はわたしが死ぬまでに期限延長ですよ、もちろん」

「ずいぶん気の長い話だな……」


 思わず苦々しい笑いが出てしまう。が、華子はまったく気にしてないようにご機嫌だ。


「まあまあ、絵描き童貞をわたしに捧げてくれたら、お礼にわたしの処女あげますから」

「それはいらん。というか、おまえ処女なんてもうあげられないだろ」

「先輩はわたしに一生未経験で死ねというんですか?」

「やかましいビッチ。未経験など誰が信じるか」

「ひどっ! こんな純情可憐な大和撫子にむかって……」

「本物の大和撫子にシューティングスター土下座しなきゃならない発言だぞ、それ」


 なぜか華子との軽口が心地よい。愛美を感じられただけで現金だな、と自分でもあきれる。


 そのせいで、なぜ華子が俺の家の場所を知っていたのだろうか、という疑問はかき消されてしまったのだった。

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