ある月夜のセレナーデ  初雪の続き




 遠くかすんだ青い満月が、白いカーテンの向こうに見える。

 カーテンが夜風でたなびき、開いた窓から星の風を運ぶ。

 薄い青のグラデーションが部屋にかかり、ピアノと私の影が彫刻のようにくっきりと映りこんでいる。もう一つの影は木漏れ日のようにゆらめいていた。

 この丘の夜は、いつも月明かりだけが頼りになる。



 私がピアノの鍵盤に指を置き、楽譜の通りに指を動かしていたのは先ほどまでの事だ。音は鳴り止み、静寂がこの街の王となっていた。


 今の私は、楽譜を捨て、鍵盤の上に突っ伏して、はるか昔の傷跡を眺めていた。古傷だらけの月に手を透かすと、透き通っている爪が欠けて、その不透明な亀裂が光を遮っている。あの頃より延ばした爪と、短くした髪は見せる相手のいない安物の飾りみたいに見えた。


「なんで、私は」

私の声は、月夜だけにしか届かない。



 月と星以外誰もいないこの孤独な夜に、私一人ではとても耐えられないのを知ったのは、三年前だった。

 三年前、私は高校を卒業した。

 ある冬の日、私は失恋した。私の親友と彼が結ばれ、私は身を引いた。

 私は高校時代、私の親友を想って、彼女を応援した。もちろん彼女は成功した。そして二人ははるか遠くの大学へ行ってしまった。

 私は生まれ育った地の大学へ入り、三年が経った。




 私は元来友人を作るのが下手な性格で、たびたび誰かと衝突しては、その度に落ち込んでいた。

 昔は孤独だけしか知らなかったのに、一度それ以外の味を知ってしまったら、もう戻れなくなってしまった。

 

 

 昔、坂道にたった一軒の洋菓子店があった。そこで私は、初めてケーキを食べた。イチゴのショートケーキだったかもしれないけれど、もう一度食べてしまったら、それなしの生活は考えられなかった。しばらくすると、その店はどこかへ行ってしまった。

 私は跡地でずっと待っている少女みたいに、ただ泣きながら立っていた。

 まるで今の私だ。


「人って、変わらないものね。私はきっと、あの頃となにも変わっていなかったのでしょう」、私は月に喋りかけていた。


 さっきまで飲んでいた、高い赤ワインのせいだったのかもしれない。月の血は赤く、そして月光のように透き通っている。


「神様、あの頃に戻してください。でなければ、私に死をください」


月はなにも答えない。


夜はただ大地を抱き、街を眠りに誘うだけ。

風は私の頬をいたずらに撫で、そしてどこかへ行ってしまうだけ。



そして私は、また短き死についた。





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