阿片(2)
白人は港に戻った。
港では、白人達が我が物顔で闊歩している。ここは清人達の国ではない。
この白人が利益を稼ぐすべは、西洋植民地と清と日本を結んだ効率的な三角貿易と、三地点の政治家や役人に賄賂を渡すことと、様々な経理の効率化と、煙膏加工工場を持っていることだった。
清の政治家や役人は、日本のそれよりはるかに多くの賄賂を必要とした。世界一と言っていいほど腐敗しているだろう。それは構わなかった。一番食い物に出来ているのはここだ。
煙膏工場に手を出されるよりはマシだ。
白人はインドに、ケシ畑を持っている。ケシの実を削り取り、汁を取り出す。そして生阿片にして、こっちに持ってきて、混ぜ物をして練って、煙膏にした。
阿片は清でもヨーロッパでも、薬と考えられている。アルコール中毒の方が、外見上は酷い行動をする。阿片を吸ったって、ちょっと気分が良くなるだけだ。だから、誰もわからない。
だが、白人は手元で扱っているから、阿片が恐ろしい物だとよく知っていた。
生阿片は世界のどこでも売れる。だから、ここで需要に応じて加工する。清で捌けない分は、植民地で売った。こうして、無駄を減らす。煙膏は清の人間と、華僑が好むやり方だ。ヨーロッパでも、トルコでも、丸薬や、アルコールに混ぜることが好まれている。普通煙膏に加工する時は、低品質の阿片を使うが、注文に応じて良質の阿片も煙膏に加工した。
それがこの国でも人気になる理由だ。
だから、日本で捌ければよかったのだが、政府が国を閉じている。男はそれが気に入らなかった。
ヨーロッパの国家が早くあの連中を撃ち倒してしまえばいいと思っていたが、どうやらそこまで気が回らないらしい。
王家の連中を、阿片漬けにしてやりたかった。そして意のままに操り、世界を手に入れたい。阿片にはその力がある。
日本のミカドを操り、イギリスも、スペインも、オーストリアも、ドイツも、ロシアも、全てを操るのだ。
その想像だけで、人を撃ち殺したときぐらいにたまらなかった。
事務所に帰ると、手下からの報告があった。
「清人の奴が、阿片をくすねていたんで、捕まえときました」
「そうか。倉庫に入れておけ。そして、役人の王を夜食に誘え。人を食える機会だ」
「人用のコックはいりますかね」
「王が連れてくるだろう」
王はこの地域の役人のトップだ。男性器が切除されている、宦官だ。そして、漢方と人肉食が趣味の男だった。時々こうやって、王の嗜好を満たす。
「そうだ。イギリスのタイムズってとこから記者が来ています。始めて聞いたんですが、タイムズって?」
「先に言え。そっちのが重要だ」
タイムズは、1785年に設立された高級紙だ。タイムズは、世界一の覇権国家イギリスの世論に強く影響を与える。この記者に悪い顔をされてはたまらない。植民地と清でのイギリス軍の圧力が弱体化すれば、商売に影響が出る。
応接間へ向かった。
男はもう完璧な外面を作っている。
記者は、真面目な男だった。見るからにそうだ。それ以外の感想がないほど、見た目からしてきまじめだった。
白人達は、握手をした。
「こんにちは、アントンさん。私の名前はエドワードです。これからしばらく、あなた方を取材したいと思うのですが、よろしいでしょうか?」
アントンは一瞬ためらった。だが、その後ににっこり笑った。
「ええ、構いませんよ。ですが、ここは危ないですよ。犯罪者達がうろちょろしている。私達の指示に従っていただくことが前提になりますが、よろしいですか?」
「ありがとうございます。では、これから質問してもよろしいでしょうか?」
「ええ、どうぞ」
「ギリシア独立戦争に参戦したそうですね、アントンさん」
「もちろん。あれは神のための正義の戦いでした。東方世界から、ギリシア人が解放されました。イスラームとキリストの伝統的な対立の中で苦しめられていたギリシア人が自由を勝ち取ったのです。オットマンとキリスト圏の対立は苛烈な物でしたから」
「そうですね。ギリシア人は三世紀以上にもわたって、オットマン帝国に支配されていましたからね。あなたが、あの高名な詩人ジョージ・ゴードン・バイロンが率いる部隊にいたというのは本当ですか?」
「ええ、私は義勇兵でしたから。彼がイギリスからギリシアに渡る手配をして、一緒に行きました。そこまでに、彼は色んな話を教えてくださった。彼の最後の詩、この日わが最後の36才を終わる、を彼の口から朗読で聞きましたよ。五千の指揮官になったのに、一度も戦争に行くこと無くミソロンギで、彼は熱病で死んでしまいましたが。私はその部隊で、彼の遺志を引き継いで闘いました」
「あのバイロン氏の最後に立ち会えるとは、あなたはなんと幸運な方だ」
「私の人生で、これ以上幸運なことはありませんでした。ですが、彼が生きていてくれた方がもっと幸運でしたがね」
「申し訳ありません。アントンさん」
「いえ、いいですよ」
エドワードは応接間を見渡した。清の磁器。日本の浮世絵、インドの虎の毛皮が並べられている。日本刀や中国刀なども飾られている。ヨーロッパでこれを手に入れるには、貴族でしか不可能だ。
「仕事の方は、輸入と輸出をやってらっしゃるのですか?」
「ええ、もちろん。様々な事業に進出しています」
「それは、阿片もですよね」
エドワードの目付きが鋭くなった。やはり、こういう魂胆らしい。こいつは阿片を知っている、アントンは感じた。
「薬と、嗜好品として売っていますね。もちろん、稼いでいます」
「私は阿片の害について調べていますが、あれは恐ろしい物です」
「ジンのがもっと酷いですよ。ロンドンやリヴァプールでジンを飲んだ連中を見たことがありますか?川に赤子を投げ込んでも気づかない。あれは怖いものです」
エドワードの顔色から、笑みが消えた。
「アルコールなど、阿片に比べればたいしたことはありません。誰も気づいていないだけです」
「そうなんですか。私は知りませんでした。いつも阿片を吸っているものでね。あれは気分がたまらなくよくなる」
アントンは、デスクから中国煙管を取り出した。
「これでいつもやっているんですよ」
「あなたは阿片をやっているようには見えない。せいぜい、煙草ぐらいのものでしょう。あなたは知っているはずだ。なぜ正義のバイロンの友人のあなたが、そんなことを」
痛いところを突かれたアントンは、一瞬黙った。阿片なんてものは、一度もやっていない。戦争で鎮痛剤として使った時ぐらいだ。そこで、傷病兵達が阿片にはまったのを見て、それで食っていこうと思ったのだ。
「私は快楽を提供しています。阿片よりいい物は戦争ぐらいしかこの世にない。最上の快楽ですよ」
「私は、イギリス本国に阿片の害を伝えたいと思っています」
アントンは舌打ちをした。
「そんなことをして、何になる?大英帝国は三角貿易で清に対して阿片がなければ大損だ。インドから締めあげても、国が傾くぐらいにな。それに、清の役人は国を滅ぼすほど強欲だ。とても我々の力がなければ、一生眠れる獅子だ」
「今はそうかもしれません。だが、彼らは決して忘れない。我々の支配は百年、二百年も続くかもしれない。もっとあるかもしれない。だが、長く続けば続くほど、彼らは我々を恨む。いつか中国は力を取り戻し、元のように、ヨーロッパに復讐に来るでしょう」
「眠れる獅子は、一生眠れる獅子だ」、アントンは笑った。
アントンは応接間を出た。
そして、部下に言った。
「あの野郎を見張っておけ。絶対に王との会合に来させるなよ。奴は世界を変えようとしている」
アントンは、事務所を出て、市場へ向かった。
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