1-17 記述『高みから』
「時間を…停止!?そんな、馬鹿な…!」
「そんな驚かんでもよいではないか。神様がいらっしゃるのだから。人間から見れば神様は全能のようなものだ。私のような天使に効果がなくても、大抵の魔法は人間に効くぞ。」
「魔法があることもビックリだけど…どういうことですか?」
「んー…そうだな…こういうことを言いたくはないが、天使というのは人間よりも “上” の存在だ。だから天使に効かない力でも人間に効くことがあり得る…説明が難しいな…」
「えっと、つまり、天使のが人間よりもステータスが高いから、魔法への耐性が高い、ってことでしょうか?」
「おぉ、まぁ、そんなとこだ。それで…私はどこまで言ったっけ…そうだ、時間を止めたんだ。でも、人間界に一人残された柊の時間は止まっていないんだ。止まった世界で、柊だけが動いている。完全な孤独というわけだ。」
「柊だけ止まらないのも、ドッペルゲンガーの意向ですか?」
「そうだ。魂が全員戻り次第、時を再び動かすのだが、急に動いたら柊は驚いてしまうだろう。精神安定の面も心配だ。だから親友のお主が時が動く前に人間界に降り立って、柊と話をして欲しい、とのことだ。」
とのことだ、というからにはこれもドッペルゲンガーの望みなのだろう。木戸は口に出して聞くことはしないものの、ドッペルゲンガーの行動に矛盾しか感じない。何を考えてこんな事をしたのだろう。
「えぇっと、つまり止まった世界に柊と僕の二人だけが動く世界になるってことですか?」
「うむ。ほんの少しの間だがな。ずっと一人だった柊の心は、ドッペルゲンガーの目論見通りなら恐らく壊れている。ドッペルゲンガー、つまり未来の柊も柊自身に他ならないのだから、今の柊の精神がどう移ろうのかもよくわかっているのだろう。で、その壊れた心をお主になんとかして欲しい。」
「……はい。」
「お主が生き返るのはお主の死体の場所だ。当然そこから柊は動いているだろう。だから生き返ったらまず、柊に電話をかけて欲しい。今の人間にはスマホというものがあるらしいじゃないか。」
「でも柊のスマホに繋がるかはわからないですよ。電波の届かないとこもありますし、電源が切ってたり、電池無かったり…」
「電池がない、というのはスマホの時間も止まっているから平気だろう。時間の停止=状態の維持、だからな。でもそうだな…他の二つはこちらでなんとかしておこう。それと、皆を生き返らせる際、当然自分が死んだ記憶と天界での記憶はこちらで消去させて貰う。だが柊とお主、木戸の記憶は弄らない。頼む内容的にお主の記憶消したら柊を支えられないだろうし、柊の記憶を消したらドッペルゲンガーの目的を達成できないからな。頼みたかったことはこれで終わりだ。時間を取り、また迷惑をかけたな。そして迷惑をこれからかける。すまない。何か聞きたいことはあるだろうか。」
「魔法って凄いですね。なんでもできちゃう…格が低い生物や道具には魔法が通じやすい、って言った方が正しいのかな。僕がすることは、みんなより早く生き返って、まず柊に電話をかける。そして柊の荒んだ心を復活させればいいんですね。」
アウラは瞼を閉じて頷いた。一仕事終えた、とでも言いたげにふぅとため息をつき肩を下ろした。それと同時に白い服の中の大きな胸が揺れるのを感じながら、木戸は最後の質問をする。
「ドッペルゲンガーーー未来から来た柊の目的を、教えて下さい。」
* * *
柊は乾いた大地を歩いていた。ここがどこかなど知らない。喉は常に音のない悲鳴を上げ、脚は踏み出すのを拒もうとする。落ちてくる瞼を毎度毎度気力で持ち上げ、思う事は、ひたすら「前へ、前へ」。柊はどこへ向かっているのか。どこに辿り着きたいのか。それでも言い聞かせる事は、「前へ、前へ」。
疲労を知らない身体なら、どこまでも行ける。精神が死なない限り、歩き続ける事ができる。周辺に人の屍は存在しない。あるのはひたすらに乾いた砂。砂。砂。照りつける太陽の下、踏み降ろす足に砂埃が纏う。虚ろな目線が捉えるは虚空。足音だけが、世界に響いていた。
そんな世界に、なんの前触れもなく、電子音が差し込まれる。一定のリズムを刻む、感情のない機械音。だからこそ、それは柊の心の中へ痞えることなく沈んでゆく。柊は足を止めた。一定のリズムを刻むのは音だけではない。柊のポケットの中で、振動としても刻まれていた。
心に沈む音の波に、逆に自分の心が沈んでゆくーーそんな不思議な感覚の中で、柊は手探りでその源を探し当てた。片手に収まる、薄い直方体。今まで何度も握ってきたという確かな実感がその掌で踊る。柊は虚ろな目のまま、それを眺めた。「木戸照也」の四文字。文字など読むのは久しぶりだ。ずっと砂ばかり見ていたし、その前は水ばかり見ていた。柊は自分が文字を読めたことに多少の驚きを感じながら、なんとなく手に乗る物体に左手の人差し指で触れる。文字の意味もわからない。この物体が何なのかもわからない。それでも、左手が勝手に動いたのだ。
電子音が止んだ。振動も止んだ。再び静寂と化した世界に、今度はその物体から違った音ーー否、「声」が発する。
「柊!!!!!」
柊は思わずそれを落として、一歩、二歩後ずさった。
動揺、不安、疑念、興味。
柊は一度落としたそれに近づき、拾い上げた。
「柊!!!今何処にいる!?」
今度は落とさない。言葉の意味がわかる。久しぶりに言葉を聞いた。周りの人間はおろか、自分の口からも長く言葉を聞いていない。独り言を言う気力も無かったし、その概念すら忘れていた。人間。人間がいる。この物体、いや、電話の向こうにーー。
言葉を話す、人間がいる。
言葉の通じる、人間がいる。
生きた生身の、人間がいる。
「誰…だ…」
柊の乾ききった喉から掠れた声が漏れる。向こうにいるのが誰かなど、どうだっていいことだ。その筈なのに、その相手を確かめたい。確かめなければならないという使命感がある。その相手を思い出せと、脳の奥で何者かが叫ぶ。
「くそ、やっぱり覚えてないんだね。お前はずっと、ずっと、たった一人で一ヶ月も生きてたんだもんね…くっそ、どうして、こんな…」
電話から漏れる小さな音を聞き漏らすまいと、耳を寄せる。聞こえる震える声に、どうしてだろう、涙が落ちる。
温かい、暖かい。
涙が心に落ち、乾いた心が潤う。
少し湿った大地を一歩、歩いた。
「おい、何とか言えよ……柊…柊っ!!!」
感情を無理矢理押さえ込んだ、苦しそうな声。柊はその声に対抗するかのように言葉を叫んだ。
「おっせぇよ!バカ!!」
何が遅いのか、柊は自分で言っていてわからない。そもそもこの言葉を意識的に叫んだわけではない。言おうとなどしていなかった。でもこれがきっと、柊のずっと隠れていた、心の叫びなのだろう。
「ずっと!ずっと!ずっと一人だったんだぞ!寂しかった!辛かった!苦しかった!悲しかったんだぞ……!」
どうしてだろう。自分以外に誰かがいるなんて、考えた事もなかった筈なのに。
「木戸ぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおっ!!!!!」
気がつけば柊は走り出していた。右手に握る四角い機械からは唯々泣き叫ぶ声が聞こえてくる。
帰らなきゃ、帰らなきゃ、帰らなきゃ、帰らなきゃ、帰らなきゃ、帰らなきゃ、帰らなきゃ、帰らなきゃ、帰らなきゃ、帰らなきゃ、帰らなきゃ、帰らなきゃ、帰らなきゃ、帰らなきゃ、帰らなきゃ、帰らなきゃ、帰らなきゃ、帰らなきゃ、帰らなきゃ、帰らなきゃ、帰らなきゃ、帰らなきゃ、帰らなきゃ、帰らなきゃ、帰らなきゃ…………………
走る。走る。走る。
俺は今何処にいるんだ。何をしていたんだ。
降って湧いた衝動のような思考の高波。その波の勢いに乗るかのように走った。
その時、背後から突風が吹いた。
風が吹いたのは思えばいつぶりだろう。
走る柊を風が追い越し、更に大きな影が追い越した。
「柊翔よ、捕まれ!」
凛とした、しかしそれでいて鈴のような美しい声音と共に、上空から手が差し伸べられた。
ーーそこにはこの世のものとは思えないほど美麗な天使の姿があった。
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