1-14 記述『全てが止まって』

柊は眠っていた。普段は使わない布団を頭の先まで被って、隠れるように眠っていた。暑さなど気にならない。ただ閉ざされた空間が欲しかった。それは狭ければ狭いほどよい。一辺1mの真っ黒な立方体にでも蹲って入っていたいような気分だ。一生目覚めたくなかった。もう何も見たくない。現実は悲しいだけだ。楽しいことなんて何もない。こんな世界で一人で生きていて何になるのだろうか。


柊は自分は神になったとか言いながらも、いざとなるとやりたい事なんてなかった。日々をなんとなく過ごしてきたから、目標がなかったから、こうもやる事が見つからないのだろうか。生きていても、今は目に入るもの全てを拒絶したい。何もかもが嫌だった。


まだ昼間だったのに柊が布団に潜ったのはそんな理由からだった。しかしこの蒸し暑い気候の中、冷房も付けずに布団に包まっていたため、意に反してすぐに目が覚めてしまった。本当は永遠に眠っていたいのに。


「今…何時だ。12:06…夜中か?」


時計を光らせて時刻を確認してから、柊はのそのそと布団から這い出してくる。

部屋にはカーテン越しに光が射し込んでいた。いや、曇天だからぼんやりと明るい程度だったが。真夜中だと思っていた柊には大きな驚きだった。


「12:06は昼の12時の方か。昨日火事がどうのとかで家を出たのはたしかちょうど12時だった。帰ってくるまでに20分も経ってないと思うから…まる一日寝てたってことか?」


身体の感覚的にそんなに寝たとも思えない。柊は訝しげに腕時計を見てーー気がついた。デジタル時計の秒の値が変わらないことに。画面の表示は12時06分03秒で固まっている。


「なんだ、壊れてるじゃないか。車の衝突で壊れたか?いやその時家出てから6分しか経ってないってことはないから違うな。まあいいや。」


柊は腕時計を外してベッドに投げる。どうやら着替えもせずに布団に飛び込んだらしく、血で固まってパリパリになったYシャツとズボンが、柊が身動きする度に嫌な音を立てる。


「着替えるか…」


不思議なことに、身体に傷一つ、痣一つない。包丁で刺されたり、屋上から落ちたり、車の事故にあったり色々したのに、その痕跡がない。それに隣の駅から歩いて来て、家から商店街まで走ったのに疲れなかった。柊の身体能力的にはあまりに信じられないことだった。


「俺の身体は機械にでもなったみたいだ。」


何より不思議なのは、屋上から落ちたとき、柊は間違いなく首が折れたのを実感した。世界が傾き、視界がボンヤリと遠くなった。それなのにハッと気がつけば完全体。不自然にも程がある。


「どうなってるんだ…それにどうして世界に俺一人になったかも説明ついてないよな…」


柊はドッペルゲンガーについて思い返す。奴は明らかに力を使っていた。柊が奪ったと思っていた力を。みんなが、そして柊が動けなかったのは奴の力の作用だろう。とすると、柊の推論は間違っていたことになる。


「でも俺の死ね、って命令もちゃんと効いた。てことはあの時点で二人とも力が使えたってことだよな。とすると伝染病的なものなのか。だがそうすると木戸に移らないのが疑問だったはずで。」


ううむと悩む柊の瞳が、ふと部屋の壁にかかっている時計を捉える。アナログ式のそれは12:06を指していた。秒針は27秒で停止している。


「これも壊れたのか。しかもなんか腕時計と妙に時間が近いとこで止まってるぞ…偶然か?」


着替え終わった柊は、血の付いた制服を腕に抱えて一階へと降りる。そしてリビングにかかっている時計を見てまたしても驚く。


「12時05分45秒で止まってる…おかしい、これは何かおかしい。」


それから柊は部屋中の時計を見て回った。スマホの時刻も確認した。

そして全ての時計の時刻が12:06前後で停止していることを知った。


「待て、そうだ、日付はどうなっている。」


スマホを再度確認、9月4日の表示を見る。9月4日は柊がドッペルゲンガーに出会った次の日、つまりドッペルゲンガーを殺し、自殺に失敗し、家まで歩いて帰ってきた日で、眠りにつく前の日付でもある。


「9月4日12時06分に何があった…?」


柊が家から飛び出して、火事の家がないか走り回っていた頃だ、商店街に着いていたかは怪しいライン。特に異変は感じなかったはずだ。いやーー。


「ーーいや、あったぞ、あったぞ異変。火が明らかにおかしな燃え方だった。燃えているのかすら微妙だった。」


ーー何があったのか、確かめないと。

メモ用紙を取り、「行ってきます」と書いて、母の前のスパゲティの横に置く。ペットボトルにお茶を入れ、二階に上がって部屋に置いてある予備のリュックに、そのお茶と、スマホのバッテリーと、上着を入れる。柊はリュックを背負うと再び家を出た。前回家を出てからどれほどの時間が経ったかわからないが、外の雰囲気は変わっていないように感じた。湿気の含んだ空気、蒸し暑い気温、曇天。太陽の位置がわかれば時刻の予想もできようが、雲で覆われて叶わない。柊は自分が車で走った道とは違う道を選んで歩いた。自分が傷つけたものを見たくなかった。


商店街の串焼き屋に戻ってきた柊は、建物の様子を調べる。この建物も前回見た時と変わった様子はない。凍った炎は微動だにしない、しかし温度は本物の炎。そんな炎が木の壁に浮かんでいる。柊は店の中に入り、炎の熱さと眩しさに目を細めながら店の奥へ進む。


「熱い熱い…めっさ熱い…!それに酸素薄いな、息が苦しい…」


その辺に置いてあるバケツに水道で水を入れ、火事の元と思われるコンロの部分に水をかけた、その時。


ボァアアアアアアーーー!!

止まっていた炎が大きくなり、動き始める。

静かだった世界にごうごうと建物が燃える音が響き、跳ねる火の粉が柊を襲う。


「なんで急に燃え始めるんだ!たった今まで固まってたのに!ってそうだ、燃えてたのは油か!そしたら水かけたら逆効果だった…!こんな時は…!」


突然動き出した炎に驚くも、柊は判断に迷わない。倒れている三人の従業員の半袖を脱がせる。そして大急ぎで水道でその半袖を十分に濡らしーー


「おああああああ!」


火の中央に飛び込んだ。肌が焼けるように痛い。目に涙が滲み、炎がぼやけて見える。母が言っていた。油が燃えている時は大きな布をビショビショに濡らしてそれで覆いなさい、と。


「消えろぉおおおお!」


鍋を見つけ、それに覆い被さるように布で覆う。火が弱まり、少しずつ消えてゆくのがわかる。


「よし、火元は大丈夫。あとは、はぁ、燃え広がってるやつか!」


自分の服に広がった炎を手で叩いて消してから、柊は先程のバケツに水を一杯に組み、


「おらああああ!」


木の壁に燃え広がる炎に水をぶちまける。足りない、足りない、足りない。急に活動を再開した炎は建物を今度は本当に這っていく。柊はバケツに水を汲み、火に放つ。その動作を何度も繰り返し、建物全体の鎮火に成功した。


「はぁ、はぁ、これは流石に、疲れた…こんな動いたの、始めて、かも…」


どうして柊はこんな事をしているのか、柊自身もよくわかっていない。建物が相変わらず不思議な炎に包まれている事を確認した段階で、目的は済んでいる。あの時からなにも変化がない。それなのに危険の中水をかけにいったことや、それが失敗と気がついて逃げることもできたのに敢えて立ち向かったこと、どうしてそんな事をしたのか、わからなかった。柊とは関係のない人達で、もう死んでいるというのに。


「火が動き出したのは、俺が手を加えたから、だよな。じゃあ他のとこで火事になってても、燃え広がらずに固まった火になってるはず、だ。」


自分で言ってて、俺は何を言っているんだと思う。どうだっていいことのはずなのに。

焼けた手の甲や頬がヒリヒリと痛い。そう思った瞬間、その痛みが急速に癒えていくのを感じた。動き回った疲労感も消えていき、荒かった呼吸も収まっていく。


「……なんだ、これ、どうなっている。」


超常的な現象、それを起こせるのはドッペルゲンガーくらいのはずだ。


「この異常な回復力はドッペルゲンガーの仕業か。いや…ないな。俺を殺そうとした奴が、俺を助けるような力を使うわけがない。それに奴は死んだはずだ。とりあえず、回復力のことは置いといて、わかったことは一つーー。」



ーー今、時は止まっている。



柊はポケットからスマホを出し、時刻を確認。12:06。やはり動いていない。


「世界全体の全ての時が、12:06に停止した。時計と、この炎、そして吹かなくなった風が証拠だ。燃えている途中で無理に動きを封じられた炎が、あの不思議な炎だ。そして唯一動いている俺が干渉すれば止まっていても動かせる。現に時は止まっていても、炎を消せる訳だし、服だって脱がせられた。」


どうして柊だけが動いているのか、それはわからない。しかしこれがあのドッペルゲンガーの超能力から始まったことだけは確かだ。


“言霊”の力ーー


柊はそう呼ぶことにした。超能力なんてない方がいいに決まっている。こんな災難を起こすようなもの、いらない、あってはならない。誰もが安全に平和に暮らせるのが一番じゃないか。けれど、そんな事を思っても、失われた命は帰ってこない。死の世界で、何故か死ぬことのできない柊は、一人で生きていかなければならない。たった、一人で。永遠に。

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