1-8 記述『キル』
人を殺す、というのは悪だろうか。当然のことながら悪、というのが一般的な見解だ。それは殺人が法で罰せられることからも明らかだし、小学校などでも「道徳」の授業の一環として当然の事として学ぶ。人間である自分が、命を持ち心を持つ他者を殺すことは仁義に反する行為だ。人間は共同社会を築く生き物だからこそ、そういう考えが生まれたのだと柊は考える。共同生活を営む上で、人間同士がいがみ合っていては始まらない。他者とコミュニケーションが取れる、言葉を有することが人間の数少ない強みの一つだ。爪も無ければ牙もない。巨躯も無ければ俊足も腕力も無い。そんな人間が食物連鎖の頂点集団に立てたのは、知識や技術の共有やその後世への伝達、つまり言葉の力だ。一人ではなし得ないことを共有して大きな力を得る。それが共同社会だ。だから、殺人という行為は協力する相手を減らすという、人間の武器を自ら捨てる行為であり、咎められなくてはならないーー柊は殺人をそう捉えていた。
だってそうだろう、「命を奪うことは仁義に反するから」というのは理にかなっていない。我々は肉を食べるではないか。もっと言えば植物だって生物だ。肉を食べるのを疑問視する声もあるが、植物を食することへの疑問は上がらない。それは人間だって生物、食べなくては死んでしまうからだ。だから「命を奪うのは仁義に反する」とは言えない。
柊は動物を殺して肉を得ることにも違和感を感じない。自然界では当たり前なことなのだ。弱肉強食、自然の摂理。それを「可哀想」というよくわからない理由で、人間をその摂理から追い出すのは不自然だ。人間は自然の一部ではないのか?動物を殺すのを哀れむのは、神の目線であって、同じ動物である人間の目線ではない。人間は他の動物と異なる生命体だとするのは傲慢だ。その点では、「自然」の対義語が「人為」であるとする風潮に柊は納得しない。なぜなら自然は人為を包括して自然足りうるのだから。オラウータンが木を倒すのと、人間が木を切るのの何が違う。規模?その規模も含めて自然だ。ちょっと規模の大きい活動をする「動物」が自然に誕生しただけのこと。そもそも可哀想、というが動物に感情があるかも謎である。あったとしてもそれを哀れむ道理がないのは先に述べた通りだ。
しかし、人間は別だーー共同社会を築く上で、殺人という行為はーー…
柊がこんな思考を繰り返しているのは、当のドッペルゲンガーを殺すことを自分に納得させる理屈を探しているからだ。罰が怖いとか、言い訳したいとか、そういうことではなく、ただ自分の行動を正義と思えないと実行できないからである。正義…?そうだ、そうだよ!これは正当、正当防衛だ!奴がこちらを殺そうとした以上、俺はそれを迎え撃つ権利がある!誰も信じなくても構わない、俺がその正義を信じれば!奴を殺やなきゃ、俺が死ぬんだ、だからしょうがない、そう、しょうがないんだ!奴は俺を殺したくて仕方がない、それなら自分を守るために、俺は奴を殺さなきゃいけない!
当初はドッペルゲンガーが本当に自分を殺そうとしているのか疑問視していた彼だったが、今ではすっかり「殺す」ことで頭がいっぱいで、そんな疑問もすっかり忘れてしまっていた。
「そうと決まれば、殺す方法だ…そうだな、決行は早い方がいい!明日、明日にでも!はははははははは!」
柊の目はもはや正常な人間のそれではない。短絡的な思想に支配され、周りが見えなくなっている目だ。俺が絶対、俺が正しい。俺にとって邪魔なら排除する!なんて合理的!素晴らしい!俺の世界は俺が中心なんだ、誰が俺の邪魔をしてなるものか!
「殺すには、そう!掌サイズで持ち運びが出来て、なおかつ最強の威力で一撃で殺せる!最強の武器がいる!そんな武器はどこかにーー」
ゴトン
「ーーっ!」
部屋に響いた物音に、思考が中断させられる。考えるのに夢中になって、部屋が見えていなかった。音の発生源を確認しようと部屋を見渡し、その視線が床の一点で固まる。部屋の中央、何かが落ちている。
「おい、こんなの、あったか…?」
柊はベッドからそろそろと降りて、用心深くそれに近づく。ツンと指で触れてみる。何も起こらない。
「これは…ピストル?」
こんなものは俺の部屋にはなかったぞ、どこから落ちてきたのか、と柊は思案する。天井を確認するが、穴は開いていない。空から落ちてきたわけではなさそうだ。ピストルらしきものを拾い上げる。引き金に人差し指がかかるが、慌てて指を離す。間違えて撃っては大変だ。いやそんなことよりーー
「ど…どこから出てきたんだよ、コレ、コレは…ぁっ!!」
全身を悪寒が走る。ありえない。ありえないのだ。こんな事が出来るのは、奴しかいない。どこにいるのかと首を巡らせる。誰もいない。柊はそのピストルを持ったまま後ずさり、ベットの角の定位置に戻る。手の中のピストル。銀色に光るボディ。掌サイズで持ち運びに長けてそうな…
「…掌サイズで持ち運び……?」
まさか、まさかまさかまさかまさかまさか…
これはさっき柊が発した言葉でもある。ただの偶然、と柊は切り捨てられない。言葉を現実にする力を、知っている。奴は今ここにはいない。そして言葉を発したのは自分。てことはつまり…柊の言葉が引き起こした事態。それならーー。
「シュークリームを、ここへ。」
空中に急に出現し、足元に落ちるシュークリーム。ピストルを自分の横へ置き、先程のようにシュークリームを指先でツンツンしたあと、持ち上げて真ん中から割いてみる。普通のシュークリームだ。中にはホイップクリームとカスタードクリームが入っている。柊は恐る恐るそれを口へ運んだ。
「…うまい」
あっという間に平らげてしまい、そんな事をしている場合じゃないと我に返る。今の結果を鑑みると…信じがたいことではあるが…自分にもあのドッペルゲンガーと同じ力を得たということだろうか。だが何故、どうやって。とりあえずもう一回、実験だ。
「皇帝ペンギンをこの部屋に!」
出現した。想定はしていたが、驚きで言葉も出ない。なんだなんだどうなっている。どうしてこうなった。移った、力が移ったのか!?風邪みたいに移るのか?俺以外、例えば木戸なんかもこの力が移っているのか!?柊は大急ぎでベッドから降りて、机の上のスマホを手に取る。視界を横切る人間の姿を目で追って、ペンギンがゆっくり頭を動かす。皇帝ペンギンの成体は体長が1m以上にも達する。しかもペンギンなので二本足で立つため非常に人間くさい。しかし柊はそんなペンギンに目もくれず、背を向けた状態でスマホで木戸へ電話をかける。
「もしもし?」
「あ、柊!大丈夫かい?」
「あぁ、大丈夫だ。それよりそっちに何か変な事は起きてないか?」
「何もないけど…何かあったの?」
「今から言う事を、強く願いながら繰り返して言ってくれ。」
「え?」
「いいから、じゃあ行くぞ、心を込めて言うんだぞ。『フンボルトペンギンを、僕の目の前に!』さあ!」
「フンボルトペンギンを、僕の目の前に!…ってなにこれ?」
「目の前にペンギンが現れたか?」
「いや…ないけど…え?なんで?てかなんでペンギン?」
「いや、何もないならいいんだ。すまなかったな。」
柊は電話を切り、スマホをコトリと机に置く。その時、柊の肩を何者かが叩いた。
「!」
固まる。失態、失態だった。部屋から目をそらしてはいけなかった。奴が来ないか見張っていたはずなのに、目を離したらこれだ。自らの鼓動が耳元でうるさい。柊は大きく目を見開いて背後の者の言を待った。しかしーー背後から声が聞こえる様子はない。
柊は恐る恐る振り返る。策はない。しかしただ黙って殺される訳にもいかない。
「ってさっきのペンギンか…ビックリした…て、は?」
そこには自分のドッペルゲンガーはいない。肩をたたいたのはペンギンだったようだ。しかし、その代わりと言ってはなんだが…
ペンギンが二匹に増えていた。
「なん…で、あ、そうか、今の電話で俺が言葉で言ったからか…木戸にわかりやすいようにと意味もなく心を込めて言ったからか…?」
ペンギンが増えた事には動揺はしない。この力があるのだから。ペンギンのことより考えることはある。木戸に力は移っていないというのがわかった。風邪のようなものだとしたら、病院で一緒に居て、しかも柊より学校ではずっと長い間奴と一緒にいた木戸にもこの力が移っているはずだ。移っているのは自分だけ…?否。おそらく違う。これは移ったのではない。いや移ったと言えば移ったのだが、力の支配権が移ったのだ、つまり…奪った、と考えるべきか。しかし、いつ、どうやって?それはわからないが、おそらく俺はこの力を何らかの形で「奪った」、つまり奴は今この力を持っていない筈…すなわち、立場の逆転!
「ははははははははは…これで…!」
これで殺せる、簡単に。今それを願って口にするだけで。しかしどうせやるなら、あの忌々しい自分そっくりの顔が屈辱に歪むのを見ながらがいい。そうだ、それがいい。目の前で崩れ落ちていく「偽物」を嘲笑しながら見守ってやる。それは最高に気分がいいな。笑いが止まらない。俺の言葉一つで世界は思い通りだ。つまり、俺の気分次第。すべてが思い通り…!得意げになった柊は、我に返り目の前の問題にようやく着手する。このペンギンである。
「ペンギン二匹を消せ。」
消えない。ペンギン二匹は依然としてヨチヨチペタペタと部屋内を散策中だ。これはこれで非常に可愛いのだが、やはり放置という訳にもいかない。消えない事に違和感を覚えつつ、もう一度、
「ペンギン二匹をこの部屋から消す。」
消えない。どうして。柊の中に嫌な予感が芽生えた。
「ペンギン二匹はこの部屋から消えろ。」
消えない。なんで、どうして、なんで、なんでなんでなんで。まさか…!力を失った?こんなにもすぐに?まだ目的を果たしてないのに!希望を持たせるだけ持たしてすぐに失うのか!また無力な俺に逆戻りか!?これからも怯えながら生きなきゃいけないってのか!?
「エクレアをこの部屋へ。」
エクレアが足元へ落ちる。力は健全だ。そのことに心から安堵する。深くため息をついて再び目前のペンギンを睨む。今はこいつらを何とかしないと!なぜ…こいつらは消えないんだ?柊は大きく息を吸い込んでーー
「ペンギン、消えろ!」
突然大声をあげた人間に、ペンギン二匹はチラと柊へ頭を向けーーそのまま頭を下に向け、床に落ちているエクレアを二匹で仲良く食べ始めた。
「どう…して…」
柊はこのまま、ペンギンと同じ部屋で過ごすのだろうか。言いようもない不安に襲われる。もし誰かに見つかったら、どう説明すればいいのだろうか。もし見つかったら…どう……
「兄…さん…?」
いつのまにか部屋の扉が開いていて、妹の柚希がエクレアを食べる二匹のペンギンーー自分の背丈とあまり変わらない大きさのペンギンと、それより一回り以上小さいペンギンをーー愕然とした表情で見据えていた。
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