泣きたい夜


 アリーチェが巻き起こす大量虐殺を止めるため、テリーは今日も商店街を見回り、ドリーム・キャンディでレジを打ち、夕方はリオンとの兄妹ごっこに付き合い……。


(……なんだろう)


 なんか、胸がもやもやする。


(早く寝ないと。あたし、疲れてるのよ)


 寝れば胸のもやもやも取れるでしょう。


「……」


 なんか、眠れない。


「まっ! ニコラ! どうしたの!? 目の下にクマ(´(ェ)`)ちゃん!」

「おはよう。アリス。なんか眠れなくて……」


 テリーがため息をつくと、リトルルビィが心配そうに見上げてきた。


「テリー、大丈夫?」

「抱っこさせて」

「きゃー!」


 リトルルビィを抱っこして、一時の癒やしが訪れる。けれど、なんだろうか。胸のもやもやもが取れない。


(なんだろう。生理が近いとか?)


 こういう日に限って良くないことが起きる。品出しをしていたら客がぶつかってきた。


「ちょっと! どこ見てるのよ!」


(うるせえ! てめえからぶつかってきたんだろうが!!)


「……すみません」


 レジで怒られる。


「袋詰メマスカ?」

「袋がなかったらどう持って帰ればいいんだよ! ボケッ!」

「チッ」


(すみません)


 扉が開いたら、


「イラッシャイマセ」

「やあ! 可憐な花の君!」

「散れ」

「兄さん! 何やってるんだ!」

「グレタ! なんでお前がいるんだよ!」


 わーわー。ばたばた。じたばたどっかん。


 テリーが無言でため息を吐いた。

 昼時にそれを見たメニーが水筒を差し出した。


「お姉ちゃん、紅茶はいかが?」

「……後でもらうわ」


 ため息。


「疲れてる?」

「朝から騒がしかったもの」


 この後は働いた後、リオンと出かけなければ。


(こんなんじゃ駄目だわ。なんとしても事件を止めないと。今日もリオンを利用してやるのよ。気合を入れるのよ! あたし! ファイト!)


「いやぁあああああああ!」

「ぎゃああああああああ!」


 リオンと暗い迷路から脱出する。迷子の男の子と出口で待ってた姉が再会した。


「お姉ちゃん! 怖かったよぅ!」

「ありがとうございました!」

「……オバケが出なかっただけましか……」


(同感……)


 帰宅。


「はーーーーあ」


 落ちていく夕陽を見ながら道を進んでいく。今日も一日が終わり、明日がまた始まる。


(28日まで時間がないわ……。一日も無駄に出来ないのに……)


 手がかりは見つからないし、目まぐるしいほど忙しいし、スケジュールはぱんぱん。


(……明日って何曜日だっけ?)

(あれ、明日って何日だっけ?)

(あれあれ? 明日の予定ってなんだっけ?)

(明日仕事あったっけ?)

(今夜のご飯は何かしら)

(じいじと遊びたい)

(でもじいじ忙しいわよね)

(ニクス)

(アリス)

(アリーチェを止めないと)

(えっと、えっと、えっと……)






「夜道は背後に気をつけないと。テリー」







 ゆっくり振り向くと、にやついたキッドが立っていた。その青々しい瞳が目に写って、テリーの足が自然と止まる。


「……」

「やあ。レディ。帰り道ならわたくしがお供いたしましょう。夜にあなたのような美しいお姫様が一人で歩いてるなんて、とても危険なことですから」

「……」

「……なんだよ。無反応か? はっはーん? さては、お前、俺の魅力にやられたな? かっこいいって見惚れたんだろ。やっぱりお前は俺が好きだ……」


 テリーの目が潤んだ。


「……な……」


 テリーの目から、ぼろぼろと涙が落ちていく。


「……」


 キッドが目を見開き、周りを見回し、またテリーを見て、涙が落ちてる姿を見て、考えた。


(俺か?)


 また何かやらかしたか?


(おいおいおいおい)


 ぼろぼろ溢れる涙に、心がひゅっと冷えていく。


「テリー?」

「ん?」


 しかし、テリーはケロッとしている。


(ん?)


 ますます意味がわからない。


(……泣いてないふり?)


 テリーの頬にキッドの手が触れる。なんて冷たい頬だろう。


「おい、どうした?」

「ん、ちょ、何?」

「お前な。涙を拭ってあげてる王子様に、何とはなんだ?」

「……え?」


 テリーがようやく気づいた。


「なんで泣いてるの?」


 ほろほろ。


「わ」


 ほろろ。


「なにこれ」


 ほろり。ほろり。


「……っ」

「ばか。こういう時は我慢するな」


 テリーを家の前まで引っ張り、設置されたベンチに二人で座る。このまま家に入ればキッドは間違いなく犯人扱いだろう。ビリーに焼きを入れられてしまう。


(まあ、それはいいんだけど)


 いつも強気なテリーが、泣いている。


(……)


 小さくうずくまり、縮んだ肩がふるふる震えている。


「……テリー。どうしたの?」

「……」

「なんで泣いてるの?」

「……」

「リオンか?」

「……違う……」

「じゃあ、何」

「……わかんない……」

「わかんないわけないだろ」

「わかんないんだもん!!」


 怒鳴って、またすすり泣き、涙を零しては、鼻水をすすって、また繰り返す。


(……んー)


 キッドがテリーを見る。


(……)


 試しに横から抱きしめてみる。触れて、まあ、何となく察しはついてる。


(お疲れ様)


 慣れないことをして、ストレスが溜まったのだろう。


「テリー」


 今度はテリーの顔に胸を押し当て、抱きしめ直す。


「よしよし」


 背中を撫でる。


「頑張ってるな。いつもお疲れ様」


 テリーがぐすっ、と鼻をすすった。きっと胸は鼻水だらけだ。


(王子様の胸に鼻水をつけて許されるなんて、お前だけだぞ)


 もっとつければいい。それで気が紛れるなら。


「テリー」


 環境に追いつくことで精一杯なのに、リオンなんかと遊び回ってるからだ。


(殴られた形跡は無いし、酷いことを言われた感じでもない。……ん。ただの疲労だな)


 魔力が言ってる。この子疲れてるわって。んー。どうしたら泣き止むかなー。


(……)


 女のことは女にしかわからない。


(……)


 キッドが一瞬だけ、舞台から降りた。


「たくさん泣け。泣いたら少しはすっきりする」


 手が伸びる。


「満足するまでそばにいてやる」


 キッドが再び舞台に上がった。


「よーしよし。お姫様。好きなだけ泣け。だーれも見てないから!」


 服をぎゅっと握ってくるこの手が可愛くて愛おしいこと。


(いつもこうであれば、もっと優しくするんだけどな)


 なんでお前は意地っ張りで頑固で、こんな状態になるまで溜め込むかな。


「よしよし」


 頭を優しくなでてあげよう。


「お疲れ様。ほんと、毎日よくやってるよ」


 少し前まではメイドに何でもやってもらってたお嬢様だもんな。


「テリー、よしよし」


 抱きしめて、優しくなでて、頭にキスをする。


「んー」


 ついでに頭をぐりぐりさせてみる。


「どしたー? 疲れたかー? 疲れちゃったのかー?」

「……」

「んー! よしよしよしー!」


 子供のようにあやしても、怒ることはない。黙ったまま、キッドの服を握って、離さない。


(……意外と重症だな)


 撫で続ける。


(こういう時は下手に喋らないほうがいいか。疲れてるもんな)


 テリーのすすりが少し減ってきた。


(お)


 頭を優しく撫でれば、深く深く息を吸って、吐き出す。


(そうそう。深呼吸って大事)


 手が優しくテリーを撫でる。


「テリー、……今夜は一緒に寝る?」

「……寝るわけ無いでしょ。……ばかっ」

「そっか。そいつは残念」

「……」

「じゃあ、……そうだな」


 風はもう冷たいけれど、


「まだ、もう少しこうしてようか」


 そう言えば、テリーは返事はしないが、動こうとはしない。ただ、じっと、キッドの腕の中に居座る。胸に顔を埋めて、そのぬくもりを堪能する一方、キッドもテリーのぬくもりを堪能する。


(……可愛いな)


 腕の中にすっぽり入って動かないテリー。


(いつもそうやって甘えてくれたらいいのに)


 まあ、いいか。


(今夜は意地悪しないであげるよ)


「……テリー、ちょっと話そうよ。今日はどんなことがあった?」

「……あのね……」


 夕陽は沈み、空には星が見えてくる。手はいつまでも優しくテリーを撫でていた。





 一時間後。




「今度は何をして泣かせたんじゃ」

「俺、何もしてないってば!」

「手が冷たいぞ。どこに連れ出したんだ」

「だからぁ、家の前で喋ってたら……」

「ニコラや、先に風呂に入っておいで」

「……ぐすっ」

「キッド!」

「俺じゃないってば!!」


 今夜も家はにぎやかである。







 泣きたい夜 END

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