図書館司書と夢の君


 夢を見た。

 それは、テリーがソフィアから離れる夢。

 それは、テリーがソフィアではない人を選ぶ夢。

 それは、テリーがソフィアとは結ばれない夢。

 それは、テリーが、ソフィアを愛してない夢。


 ――この男の妻になることを誓いますか?

 ――誓います。


 ソフィアの目の前で、テリーが愛を誓う。向かいにいるのは、知らない男。それでもテリーは幸せそう。だめ。だって、テリーは私の恋人。


(待って)


 待って、テリー。


(私は、君のもの)


 でも、その君が、他の誰かのものになるなんて。


(待って、行かないで)


 ――ソフィア、待ってるんだぞ。

 ――お土産をたくさん買ってくるからね!


(行かないで)




「……」


 衝撃的すぎて、ソフィアの目が覚めた。滝のような汗を噴き出し、徐々に胸が締め付けられるような、そんな感覚。


(テリー?)


 慌ててベッドから抜け出す。


(テリー?)


 らしくもなく胸がざわつく。


(テリー?)


 扉を開ければ、――カーテンの閉ざされた部屋で、テリーが安らかに眠っていた。


「……」


 起きるにはまだ早い。


「……」


 ソフィアがずるずると地面に座り込んだ。


(らしくもなく、悪夢に溺れたか)


 あれはただの夢。


(テリーはここにいる)


 ベッドに近づく。


(テリーが、いる)


 尊い額に、優しいキスをする。


「……」


 テリーの寝顔を見つめる。まだ一時間は眠れる。でも、今日はなんだか、寝たい気が起きない。


(……)


 ソフィアがベッドに潜り、テリーを抱きしめ、ふう、と、そこでようやく安堵の息を吐いた。


(テリーがいる)


 恋しい君。


(……テリー)


 朝、目覚まし時計の音と共に、テリーが目覚めて、ぴし、と固まった。それもそのはず。隣では、何よりも美しい女が自分を大切に抱きしめているのだから。今日も素敵な笑顔。きらきらきらきら。


「……おはよう。テリー」

「……はよう……」

「今日、大学だよね。お弁当は?」

「……ニクスと、アリスと、……学食で、ランチを……」

「そう」


 優しく優しく頭を撫でられる。

 優しく優しく抱きしめられる。

 そこでテリーは思った。


(はっ!!)


 ソフィアを睨む。


「あんた! どこの馬の骨の男と浮気したのよ!」

「テリー、寝ぼけてるの? 私は浮気なんかしないよ」


 優しく優しくキスをされる。


「今日も愛してるよ。愛しい君」

「……あたし達、昨日の夜、一緒に寝てないわよね?」

「……そうだっけ?」

「……」

「そんなことより、学校に行く支度しなくていいの?」

「……」


 テリーがむくりと起き上がり、大きなあくびをした。


(ねむ……)


 その間抜けな顔すら愛しくて、ソフィアがくすっと笑った。



(*'ω'*)



 エメラルド大学の図書館では、今日も美しいソフィアが働いていた。みんなソフィアに会うためだけに図書館に訪問するまで、彼女は大人気だ。何も変わらない。これが日常。美しくて、美人で、親切なソフィアに、みんなの心が撃ち抜かれる。しかし、テリーはなんだか違和感を感じていた。


(……なんか変)


 いつもより、なんというか、


(目が据わってる気がする)


「テリー、あまりじろじろ見たら失礼だよ」

「ニクス、ソフィアの様子が変なのよ。あいつ、浮気してるに違いないわ」

「そ、ソフィアさんが、浮気ですって!?」


 アリスが興奮の眼差しで振り返ったので、ニクスがアリスの手を引っ張り、再び三人で固まった。


「アリス、声が大きいよ!」

「ごめんなさい。ニクス。でも、ソフィアさんに限って、浮気だなんて」

「あいつ、今朝からなんだか様子がおかしかったのよ。あれはね、好きな人が出来たって目だったわ」

「寝不足じゃない? 最近曇りが続いてるし。ほら、ソフィアさんって気圧に弱かったでしょ」

「アリスならわかるでしょう? あの目よ。あの目!」


 アリスがソフィアを見た。目があった。ソフィアがにこりと笑えば、アリスが赤面して顔を二人に戻した。


「ソフィアさんと目が合っちゃった……」

「浮気よ! 浮気してるんだわ! あたしというものがありながら! 絶対そうよ!」

「テリー、落ち着いて。天気が晴れたら心も晴れるよ」

「このまま、なーなーな付き合いをするなんて御免だわ! 白黒はっきりさせてやる!」


 ああ、こうなったらテリーは手がつけられない。きっと満足するまでやるんだろうな。あーあ。あたしは知らないよ。テリー。ニクスが呆れたため息を。アリスは唇をなめて、楽しそうに作戦会議のノートを取り出すのであった。


「それで? どうやって白黒つけるの? ニコラ」

「簡単よ!」


 テリーがペンを立てた。


「あたしの魅力を、あの女に見せつけてやるのよ!」


 その晩、テリーがアイスを突き出した。


「ソフィア! アイス食べましょう!?」

「うん。いいよ」

「食べさせてあげる!」


 ずいっと、棒のアイスを向けられる。


「さあ! どうぞ!」


 きょとんとするソフィアを見て、テリーが内心にやりとする。


(女はね、好きな相手に尽くすものよ。あたしの華麗なリードする姿を見て、心を奪われるといいわ!)


「……ありがとう」


 ソフィアが微笑み、そっとアイスに近付いた。


(うっ)


 テリーが固まる。

 ソフィアが横髪を耳をかけ、口を開く。中から赤い舌がアイスを舐めた。

 テリーがゴクリと唾を飲んだ。

 ソフィアの舌がアイスを舐めた。

 テリーの手が震えてきた。


(……っ)


 ソフィアの舌が動いてる。


(ソフィアの、舌)


 いつも、キスされてる時に、入ってくる、舌。


「っ!」


 アイスが溶けた。テリーの手にたらんと垂れてくる。


「はぎゃっ!」

「ん、溶けちゃった?」


(ふへ)


 ソフィアがテリーの手を持ち、――その指を舐めた。


「……」


 テリーが俯く。それをソフィアが見つめる。


「……」


 テリーが肩を震わせる。ソフィアが微笑み、また指を舐めた。


「テリー」

「……」

「今日、一緒に寝よう?」

「……別に、いいけど」

「うん。じゃあ、そうしよう」


 ソフィアがまた、ぺろりと、指を舐めた。


(あかーーーん!!)


 ソフィアと眠るベッドで、充血させた目をくわっと開く。


(これ、あかーーーん!!)


 ソフィアにまんまとやられてしまったようだ。心が。


(好き!!!!!)


 ソフィアが寝ていることを確認して、ぴと! とくっつく。


(好き!!!!!)


「うーん……」


(はっ!)


 ソフィアの腕が動き出し、そっとくっついたテリーを抱きしめた。


「……テリー」


(はっ!! 寝言!?)


 テリーが耳を澄ませた。


(何よ! どんな夢見てるのよ! わくわく!)


「……茄子くらい、食べなよ……」

「……」

「すやぁ……」


 凄まじくソフィアの寝顔を睨んだ。


「……茄子、嫌いなんだもん……」


 ソフィアにくっついたまま、瞼を閉じる。


「茄子なんてね、この世からなくなればいいのよ。あんな臭い野菜」


 ……テリーが眠りについた。さっきまで荒かった鼻息は穏やかになり、深呼吸になり、間抜けな顔で眠ったのを見て、ソフィアが瞼を上げた。


「……」


 テリーを抱きしめる。


「テリー」


 その手は震えている。


「テリー」


 大丈夫。テリーはここにいる。目の前にいるのに。


「テリー」


 ソフィアが囁いた。


「愛してる」


 柔らかな頬に、キスをした。



(*'ω'*)



 双眼鏡を構え、今日も今日とて、アリスとテリーがソフィアを観察する。


「ニコラ、今日のソフィアさんの服を見て。谷間が見えるわ。すごくセクシー」

「あいつ、いつの間にあんな服持ってたのよ。なんか最近買ったとか言ってたけど、何よ。なんでよりにもよって胸を見せてるのよ……!」

「暑いからじゃない?」


 ニクスが二人に振り向いた。


「ねえ、二人とも、恥ずかしいよ。テストも近いし、勉強しようよ」

「ニクスは甘い!!」

「ニクス、ニコラは本気なの!」

「あの女、絶対何か隠してやがるのよ!」

「夜に直接聞いたらいいでしょう?」

「直接……!」


 女は、真っ向勝負ってこと!?


「上等よ!」

「あ。あたし、なんか余計なこと言ったかも」

「ニクス、教科書忘れたから見せて」

「アリス、忘れすぎ」


(あたしが、あいつに直接問いただしてやるわ!)


 テリーが腕を組んで仁王立ちをした。


「さあ! ソフィア! 話してもらおうじゃない! あたしに何を隠してるの!?」

「くすす。ばれちゃったか……」


 玄関で笑うソフィアを見て、テリーがはっと息を呑む。


「な、何よ!」


 ……ソフィアがケーキを取り出した。二人分。


「匂いで気付くなんて、流石だね。テリー」

「……」

「ほら、チョコレートケーキにイチゴが乗ってるやつ。好きでしょう?」

「……うん」

「手洗ってくるから、冷蔵庫に入れておいてくれる?」

「……うん」

「お願いね」


 テリーの横を通り過ぎると、ふわりとした匂いがして、テリーがはっとする。


(はっ! これは!)


 メニーの匂い!


「お待ち!」

「んー?」

「証拠を掴んだわ! もう言い逃れできないわよ!」


 洗面所までテリーが追いかけてくる。ソフィアは手をキレイキレイにした。


「あんた! まさに! 浮気してるでしょう!」


 ソフィアがタオルで手を拭いた。


「メニーの香水の匂いがしたわ! はっはーん? そういうこと? あたしに近付いたのは、メニーに近付くため? はっ! そんなことだろうと思ってたわ!」


 ソフィアが振り向いた。


「さあ! 白状なさい! 浮気したんでしょ!」

「うん。した」

「っ」


 テリーが目を見開き、固まり、黙り――涙をほろほろと落とした。床に水たまりが出来上がる。


「……したの……?」

「してないよ」

「今、したって、言った……」

「そう言わないと、納得しなかったでしょ」

「……メニーの匂い……」

「ケーキを買う時に会ったんだよ。駅まで送っていった」

「……」

「頭冷えた?」

「……」


 テリーが後ろに振り向いた。


「……ケーキ、冷蔵庫に入れてくる……」


 とぼとぼと歩き始めた瞬間――後ろから、ソフィアに抱きしめられた。


(ひゃっ)


 驚いて手の力が緩み、ケーキの箱を落とした。


「あっ、け、ケーキ……!」

「後でいいよ」


 ソフィアに顎を向けられる。


「今は……」


(な、なに?) 


 なんで、そんなに切ない目で見つめてくるの?


「テリー」


(あっ)


 唇が重なる。熱さに胸が高鳴る。瞼を閉じ、眉を下げ、テリーが羞恥と緊張から体を震わせると、ソフィアが微笑んだ。


「テリー」

「ん」

「こっち向いて」


 体ごと振り向かされて、向き合う。正面からソフィアが抱きしめてくる。


「ま、まって、ソフィー、ケーキが……」

「これだけ求めあってるのに、このタイミングを逃すつもり?」

「け、ケーキの、箱、落としちゃってるから!」

「私が後で型を整えるから」


 また唇が重なる。


「ん」


 ケーキの箱を残して、洗面所の扉が閉じられた。


「あっ」


 テリーが壁の端に追い詰められてしまう。ソフィアが優しく屈み、優しく、唇をテリーの首筋に触れさせた。


「あっ……」


 すくむ肩にもキスをして、至るところにキスを落とす。


(こ、こんな、キス、されたら……!)


「……力、抜けちゃった?」


 テリーの太股の間に挟まれた長い膝が、テリーを支える。甘い吐息を囁かれ、テリーが首を振った。


「そ、そんなわけ、ないでしょ……!」

「へえ」


 見下ろせば、震える足。


「その割には、足が震えてるよ?」

「ち、違うもん……。これは、違うん、だから……!」


 生まれたての子鹿のようにがくがく震えているが、ソフィアにしがみついて、何とか立ち上がる。テリーは何としても意地を見せたかった。


(あたしは、立派な女としての魅力を見せるのよ! ここで倒れたら、か弱い女と思われて、本当に浮気される!)


「あ、あたし、きもちよく、なんて……」


 ソフィアに唇を押し付けられた。


「んんっ!」


 舌に舐められる。


「んっ!」


 アイスを舐めてたソフィアを思い出せば、胸が激しく暴走を始める。


「ん、んん! んぅ!」


(だめ! そんなキスされたら、おかしくなる……!)


「んっ、んっ、んんっ、ふみゅ……」


(ソフィーとのキス、……気持ちいい……)


 ――ソフィアと一緒に地面に座り込む。くたりと脱力した体に力は入らない。

 潤んだ瞳を見上げれば、近くにある黄金の瞳が見つめ返してくる。そんなに見られたら、穴が開いてしまう。


 何を言う前に唇が重なり、

 手が重なり、

 指が絡み、

 熱い舌が絡み合い、

 求め合い、

 潰れるほど抱きしめられて、

 胸がぴったりくっついて、

 また鼓動を鳴らして、

 ソフィアの熱を感じて、

 体がかっと熱くなり、

 また指に力を入れてしがみつくように握れば、ソフィアの舌に犯される。

 それがまた気持ちいい。

 胸の鼓動も、熱も、キスも、全てが気持ちいい。


「……ソフィー……」


 ソフィアの熱い息が耳にかかった。


「ひゃ」

「愛してる」


 囁かれる。


「テリーだけ」

「……」

「愛してるよ」


 意識がぼんやりする中、キスをされる。視界にはソフィアしか見えない。


「テリー」


 恋しい人しか見えない。


 ソフィアが服を脱いだ。



(*'ω'*)



「ニクス、アリス、心配かけたわね。あたし達、もう大丈夫だから」


 テリーがにこやかにノートを広げた。


「ソフィアはね、あたしにメロメロなの。だから浮気なんて絶対にしないの」

「メロメロなのはどっちだか」

「ニコラったら、今日は上機嫌ね! 紅茶飲む?」

「ありがとう。飲むわ。アリスの紅茶好きなの」

「こらこら。図書館では飲食禁止」


 ニクスに怒られながらも、テリーは晴れやかな気分であった。


(ソフィーったらほんっとーーーにしょーーがないのよねーーー! あたしに! メロメロすぎて! あーーー! あたしって、罪な女!!)


 くるん! とカウンターに振り向けば、ソフィアが今日も仕事をこなしている。


(せいぜい頑張りなさい! 愛しいあたしが見てるわよ!)


「おー。こんなところに暇つぶし」

「おふっ」


 クレアが顎から乗ってきて、テリーが潰された。


「ちょ、退きなさいよ!」

「今日は演劇サークルもない。テリー、遊べ」

「嫌よ!」

「こんにちは。クレアさん」

「やっほー。クレア」

「こんにちは。ニクス、アリス。ほう? 勉強中か。あたくしが教えてやろうか?」

「結構よ!」

「テストも近いだろう? お前単位取れてるのか?」

「うるさい! どうせギリギリよ!」


 クレアはふと感じた。おっと、何やら殺気を感じるな。ちらりとその方向を見れば、黄金の瞳が、今にもクレアを殺しそうな目で睨んでいた。


「……」


 クレアがにっこりーん! と笑って、テリーに抱きついた。


「テリー、今夜は暇か? 終電の時間まで遊ばないか? 明日は休みだし」

「あんた、仕事はいいの?」

「あたくしにも遊ぶ時間が必要なんだ。ほれ、遊べ! 付き合え!」

「……」


 ソフィアのスマートフォンが鳴った。ソフィアが中を見る。


 ――今夜遅くなりそう。


 ソフィアが返信した。




 だめ。




(……ん?)


 テリーが返信する前に、メッセージが来た。



 今夜はだめ。


 スタンプ(人 •͈ᴗ•͈)



「……」



 わかった。


 スタンプʕ·ᴥ·ʔ



 テリーがクレアを見上げた。


「今夜、部屋でゆっくり映画見るの。やめておくわ」

「それなら映画館に行こう」

「クレア。今夜はやめておく」

「……そう。残念」


 くひひ。


「図書館に来て良かった」

「あ?」

「楽しいことがあったから」


 クレアがにやけた。


「お前、今夜気をつけたほうがいいぞ」

「何よ。遊ばなかったからって誘拐する気!?」

「アリス、今夜どうだ?」

「行けるわ」

「なら一緒に行こう」

「ええ! いいわよ!」

「ニクスはどうだ?」

「テスト勉強があるので」

「ニクスは将来有望だな」

「クレア、何かあったら勉強教えてくれる?」

「もちろんだ。アリスにならいいぞ」


 テリーが振り向く。ソフィアは笑顔で仕事をこなしている。


「……」


(ま、そんな日もあるわよね)


 何かしら。今夜遅くなるから、ご飯作っててほしいとか?


(……仕方ないわね。ソフィーったら)


 今夜はカレーにしよう。そう思って、テリーが机に向き直した。――そして、その背中を、ソフィアがちらりと見たのであった。気づかないテリーはスマートフォンでレシピを検索し始める。


(ソフィアの胃袋を捕まえるために、いいものを作らないと!)


 その夜、テリーが材料をキッチン台に乗せた。そして……はっと気がついた。


「あ! ナン忘れた!!」


(ソフィアはナンが好きなのに!)


「……はあ。だる……」


 テリーがエプロンを外し、財布と買い物袋を持って外に出ていった。その数分後、入れ替わるようにソフィアが帰ってきた。


「ただいま」


 部屋の中は静かであった。


「……」


 ソフィアは思った。テリーは今日、アルバイトもなかったはずだ。出かけるのも止めた。

 じゃあ、この時間は部屋にいるはずだ。


(テリー?)


 部屋は暗い。


(テリー?)


 ソフィアが部屋の電気をつける。


(テリー?)


 部屋を探し回る。


(テリー?)


 キッチンには食材が置かれているが、目に入らない。


(テリー……?)


 ソフィアがテリーの部屋に入った。


(テリー)


 いない。


(テリー)


 棚を探す。いない。

 ベッドの下を探す。いない。

 クローゼットを開ける。いない。

 いない。いない。いない。どこにもいない。


(テリー)


 部屋中を探し回る。


(テリー)


 がちゃりと、扉が開いた音がした。


「っ」

「うわっ! 何これ!」


 荒らされた玄関と廊下を見て、テリーが悲鳴をあげた。


「ど、泥棒!?」


 ソフィアが物置から出てきた。ナンを袋に入れたテリーがソフィアを見て顔をしかめた。


「ちょっと、掃除するなら掃除するって言っておいてよ! あたしの部屋に入ってないでしょうね?」

「……」

「あーあ、もう。引き出ししまってよ。邪魔じゃない」


 テリーが歩いてくる。


「ナンを買い忘れたのよ。見て。大きいのがセールになってたわ。夜のスーパーっていいわね……」


 ――ソフィアに抱き寄せられた。


「うぷっ」

「出かけないでって言ったよね?」


 テリーがきょとんと瞬きした。


「なんでこんな真似するの?」

「……だから、今日カレーなのよ。ナンを買い忘れたから……」

「そんなの、私が買ってくるから」

「仕事から帰ってきて疲れてるでしょ。いいから座ってて」

「私が作るよ。テリーが座ってて」

「いや、あたしが」

「反抗しないで」

「は? 反抗ですって? あんた、さっきから何言ってるの?」

「君こそどうかしてる。ねえ、毎回恋人の目の前で浮気して楽しい?」

「はあ? 浮気って何のことよ?」

「そうだな。今日は殿下に触られてたかな」

「あんたの上司でしょ」

「すごく仲が良さそうだった」

「ちょっと、何なの? ソフィア、一回離れて」

「やだ」

「ソフィア!」

「やだ!」

「やだって何よ! 子供じゃないんだから!」

「子供大人で言うなら、君なんて全然子供だ。だったら私の言うことを聞くべきだ」

「あんた何様なのよ!」

「テリー!」

「放しなさいよ!」

「っ」


 ソフィアが強くテリーを抱きしめた。


「むぎゅっ」


 黙ったままテリーを抱きしめ潰す。


「……」


 テリーの手が伸び、ソフィアの背中に優しく触れ、ゆっくりと叩く。


「ソフィア、……カレー作らないと」

「……」

「……ね、一回座りましょう。それがいいわ」


 ソフィアがテリーを腕に抱えた。


「おっふ」


 そのままリビングまで行き、壊れ物のように優しくソファーに置けば、自分も座り、テリーの肩に顔を埋めてきた。


「……ソフィー」

「このまま」


 綺麗な金髪が垂れる。


「お願い。まだ、このまま……」

「……どうしたのよ」

「……」

「もう」


 テリーがソフィアを優しく抱きしめた。


「ソフィー?」

「……」

「ねえ、カレー作らないと。あんたの好きなナンを買ってきたから」

「そんなの好きじゃない」

「はあ? カレーにはナンでしょう?」

「テリーが好き」


 テリーがソフィアに抱き寄せられた。


「テリーしかいらない」

「あのね、そういう話じゃ……」

「テリーじゃなきゃ、やだ」

「……ソフィー?」


 肩が濡れていることに気付き、テリーがはっとした。


「ソ、ソフィー? どうしたの? ねえ」


 ソフィアは黙って抱きしめるだけ。だから余計に心配になる。


「どうしたのよ! どこか痛いの? 生理?」

「……」

「ティッシュ!」

「……」

「ソフィー、ねえ、ソフィーったら」


 よしよしよしよし。


「お腹痛いの?」


 よしよしよしよし。


「ねえ、どうしたの? ソフィー」

「テリー」


 耳元で囁かれる。


「したい」


 テリーがきょとんとした。


「嫌なら突き飛ばして。優しくできそうにない」

「……突き飛ばしたら、あんた、どうするのよ」

「……部屋にこもるよ」

「……ばか。放っておけるわけないでしょ。そんな状態で」


 テリーが再びソフィアを抱きしめた。


「……今するの?」

「うん」

「……疲れてないの?」

「それよりもテリーに触りたい」

「……痛くしない?」

「どうかな? わからない」

「痛いのは嫌よ。苦しいのも嫌」

「恥ずかしいのは?」

「……それは」


 テリーが目を逸らした。


「……ソフィーがそうしたいなら、……我慢する」


 ソフィアがテリーを腕に抱えた。


「おっふ」


 今度は自室。


「そ、ソフィー……」


 闇に包まれた黄金の瞳がテリーを見下ろした。


「……痛くないなら、その、……好きにしていいわ。……付き合うから」

「……今の言葉、後悔しないでね」


 ソフィアの目は笑ってないが、口角は上がってる。それがまた不気味だが、何か違和感を感じた。何か、怯えているような、怖がっているような。


(……痛くないといいけど……)


 ソフィアの部屋の扉がゆっくりと閉まった。



(*'ω'*)



「……あたしが知らない男と結婚する夢?」


 テリーがカレーを味見した。うん。なかなかだわ。さすがあたし。後ろから抱きしめて離れないソフィアが頷いた。


「うん。私の目の前でね、知らない人と結婚する君の夢。もう、本当に悪夢だった」

「将来的にそうなるかもしれないわよ」


 ソフィアが腕の力を強めた。


「冗談だってば!」

「……」

「……でも、わかんないでしょ。ずっとこうしていられる保証なんてないんだから」

「……」

「……もう」


 テリーがおたまを置き、ソフィアに振り返り、そっと抱きしめ返した。


「……困った奴ね」

「……そりゃ、私とテリーが結ばれない未来もあるかもしれないよ。例えば、テリーが殿下と結婚するとか」

「おえっ。そんなのごめんよ」

「私も、テリーと離れるのはごめんだよ」


 ソフィアが強く抱きしめる。


「ずっと、そばにいて。テリー」

「……今、いるでしょ」

「まだそばにいて」

「大丈夫よ。少なくとも、まだ当分はあんたの面倒を見てあげるつもりだから」


 テリーの手が優しくソフィアの背中をなでた。


「……だから、元気出してよ。……ソフィーらしくない」

「キスして」

「……ん」


 ちゅ。


「もう一回」

「ん」


 ちゅ。


「もう一回」

「しつこい」

「もう一回」

「……もう」


 ちゅ。


「……くすす」


 ソフィアがでれんと頬を緩ませた顔を見て、テリーの鼻の下もでれんと伸びる。


「カレー、まだかな? お腹空いちゃった」

「……もう少しで出来るわ」

「ナンも温めないとね」

「うん」

「……その後は?」

「……一緒に寝る?」

「……寝る」

「じゃあ、食べて、そうね。少し、一時間くらいの映画でも見て……」


 手を握る。


「一緒に寝ましょう」


 一緒に寝れば、きっと怖い夢なんて見ない。


(これから先なんて、どうなるかわからないのよ。馬鹿な夢を見たものだわ)


 こんなに怖がるなんて。


(もう! ソフィーったら! あたしがいないとだめなんだから!! 好き!!)


 背中から包まれる体温を感じながら、テリーが胸をときめかせながら、もう一度カレーを味見した。そんなテリーを抱きしめるソフィアの顔は、とても安心しきった顔だった。



 図書館司書と夢の君 END

 R18はアルファポリスにて公開

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