40杯目 ジャック・ミス・ジャック

 翌週もまだ有栖川茶房は和喫茶のままだった。

 どうやら、和喫茶は長続きする傾向にあるらしい。弥生の苦労を思えば、一月程続いてもいいくらいだ。

 引き戸を開け、店内に入る。白木のカウンターに小上がりにこたつ。先週と同じ内装だ。

 こたつの上にはかごに入ったミカンが置かれている。理想の状態だ。

「桂さん、ミカン、仕入れたんだね」

「環くんが貰いすぎて余ってるからって沢山くれたんだー。そうしたら、今度はうちが飽和状態になっちゃってさぁ……」

「意図せず仕入れすぎになっちゃったんだね……」

「よかったら帰りに少し持って帰ってー。すんごく甘くて美味しいミカンだから」

「わーい! 楽しみ!」

 マフラーを外しながら店の奥へと進む。

 すると、手前のこたつ席に一人、壁を背にして暗い表情をした男性がいた。

 髪型に覚えがあるが、彼と面識はない筈だ。

 ――何処で見たんだろ……。

 黒髪のストレートヘアを市松人形のようにバッツリとサイドで切ったおかっぱ頭。容姿は綺麗め、しかも、どことなく誰かに似ている。

 ――ああ、そうだ。去年の夏、桂さんがしてた髪型と同じなんだ。

 どおりで面識もないのに髪型だけ知っているわけだ。しかも彼の場合、その髪型がよく似合っている。桂とは大違いだった。

「兄さん……」

 彼は呟くと、こたつの天板に突っ伏してしまった。

 何事かと視線を遣っていると、

「あいつが正臣。ジャックの弟」

「ひっ」

 いつの間にか横に立っていた弥生がぼそりと言った。情報はありがたいが、音もなく隣に立たれるのは心臓によろしくない。

「兄貴欠乏症でああやってへこんでんの」

「お兄さん大好きって瑛さんが言ってたなぁ……」

「正月にジャックが実家に帰ってこなくて兄貴に飢えてるんだってさ。さっきまでずーっと愚痴聞かされてたとこ」

「そうなんだぁ……」

 初めて出会ったスペードのジャック、正臣。忠臣より小柄で、細い。

 思い出したように起き上がっては、

「兄さん……」

 と呟いて、俯いたり突っ伏したりの繰り返し。相当重症のようだ。

 何処に席を取ろうか迷ったが、足を温めたかったのでこたつ席を選んだ。正臣と同じく、壁を背にして席に着く。

 よく見ると、正臣に寄り添っててっさがこたつに入っていた。目を閉じていて、眠っているようだ。

 メニューを取り、いつの間にか運ばれていたお茶を啜りながら眺める。大福、の文字が目に入り、すぐ下には苺大福の文字がある。どちらにしようかと悩んでいると、横から視線を感じた。

「君がアリス?」

 目を遣ると、正臣がこたつに突っ伏した状態でこちらを向いていた。目に力がなく、少し怖い気もする。

「初めまして、正臣さん」

「兄さんから聞いたの……?」

「さっき弥生くんから教えて貰って。あと、瑛さんも……」

「そう、ならいいや……」

 これが忠臣から聞いたと答えたならばどうなっていたのだろう。怖くて訊けないまま、有紗は正臣を見守った。

「アリスはいいよな。兄さんとクオーリに行ったりラーメン屋行ったりしてるんだろ……。それに、ここでよく会うんだろ。いいよな……」

「正臣さんは、忠臣さんとあんまり会えないんですか?」

「仕事があるし、それに、兄さん、最近は実家にあんまり寄りつかないし。ハートの奴らやこの店には寄りつくのに。ずるい……」

 果たしてそれはずるいのか。有紗は首を捻るも、それだけでとどめておいた。

 気怠そうに語尾を萎ませながらも、正臣の愚痴は止まらない。見かねた様子の弥生が、眉根を詰めてこちらにやってきた。

「おまえがあんまりしつこくするから寄りつかねぇんじゃねぇの? それに、ジャックの部屋、犬に取られたんだろ?」

「犬に取られたのは龍臣の部屋だよ……」

「じゃあ、ジャックの部屋は?」

「兄さんの部屋は葵が使ってる……」

「じゃあどっちにしろ家帰れねぇじゃん」

「はぁあ。兄さん……」

「おまえの部屋はどうなってんだよ」

「俺の部屋、今は兄さんの荷物が詰め込まれてて倉庫状態……」

「じゃあ、兄貴の荷物に囲まれて自分の部屋に籠もってりゃいいじゃん」

「はっ……。その手があった……」

「やべ。余計なコト言っちまったか」

 それで気が済むのなら割といい解決法かもしれない。有紗は内心でそう思いながら、持ったままだったメニューを閉じた。

「弥生くーん」

「お、アリス。決まったか?」

「苺大福頂戴? あと、お抹茶も」

「りょーかい」

 不意に、突っ伏したままだった正臣がむくりと起き上がり、メニューを手に取り開いた。

「なにそれ。そんなのあるんだ……? ……あった」

 目当てのものが見つかったのか、該当箇所を指で差している。

「おまえ来てから愚痴ってばかりで何も注文してねぇじゃん」

「俺もこの苺大福欲しい……」

「飲み物は?」

「お茶があるからいいや……」

「りょーかい」

 二人分の注文を受け、弥生はカウンターへと戻っていく。

 正臣はメニューが気になるのか、ずっと眺めていて目線はもう来ない。

 有紗は手持ち無沙汰になり、鞄の中から本を取り出した。しおりを外して続きを読み進める。

 数ページ捲ったところで、

「アリスは何読んでるの……?」

 意識を現実に戻された。戻してきたのは正臣、その人だ。

「今日はライトノベルですよ。今流行の作家さんのです」

「へぇ。ライトノベルなんて読むんだ。純文学とかしか読まないのかと思ってた……」

「私、そういう風に見えます? 雑食で何でも読みますよ?」

「見える……」

「そうなんだ……」

 傍目にはそう見えるのかと、自己認識を少し改めた。

「悪いね。読んでるときに話しかけちゃって……」

 正臣はそう言って、またこたつの天板に突っ伏した。骨を抜かれた烏賊のようだ。最早天板と同化してしまっている。

 てっさはまだ心地よさそうに目を閉じて眠っている。

 構ってくれる人がいなくなったので、有紗は再び本に戻った。

 更に数ページ捲ったところで、

「はい、お待たせ。ほら、正臣も起きろよ」

 弥生が苺大福と抹茶を持ってやってきた。

 目の前にイトーくんのようなまん丸の大福が鎮座している。そして、鮮やかな緑の抹茶。

 しおりを挟んで本を閉じ、鞄に仕舞う。

「いただきまーす」

 手を合わせてから、先ずは大福から頂くことにした。指先で摘まむとずっしりとした重さを感じる。一口囓れば、最初にあんこの甘み、続いて苺の酸味がやってきた。餅にも甘みがあって柔らかくて美味しい。

 ゆっくり食べようと思いながらも、あっという間に大福は消えてしまった。

「これ、美味しいな……」

 隣で正臣も頷きながら食べている。

「そういえば、忠臣さんはあんこ苦手ですけど、正臣さんは大丈夫なんですね?」

「なんでっ……!」

 何か地雷を踏んだだろうか。怠そうだった正臣は刮目し、こたつを蹴って立ち上がりそうな勢いでこちらを向いた。

「なんでそれを知ってるの……!」

「あの……以前、忠臣さん、あんこ入りの抹茶パフェを食べにくそうにしてたので」

「はうう……兄さん……」

 重症どころの話ではない。早く何かしらの形で忠臣を補給してやらないと干涸らびて無くなってしまいそうだ。とはいえ、有紗に出来ることは特にない。先日貰ったお年玉の袋も家に置いてきてしまった。改装してしまって忠臣の指定席も今は別の椅子が入っている。

 可哀想に思いながら、抹茶を飲んだ。甘い味の後に苦みが利いた抹茶が美味しい。

 忠臣が弟のことを話題にしたがらないのが少しわかる気がした。それ以上に話題に乗せたくない兄とは一体どんな人なのだろうかと、興味が頭をもたげる。

 ――会いたいような、会いたくないような。

 今日の所はその興味を苦い抹茶と共に飲み下した。

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