38杯目 お年玉あれこれ

 一月十一日。有栖川茶房の年明け最初の営業日。

 七草粥も終わり、町中からお正月の気配が完全に消え失せた頃。

 授業が終わった有紗は気持ちだけスキップをしてお店に向かっていた。

 年明けから冷え込む日が多い。今シーズンは雪こそまだ降らないものの、身を切るような風が吹く。真冬仕様のコートに手袋、買って貰ったばかりのラビットファーのマフラーを巻いて、夕方になりつつある時間帯に挑む。

 約二週間前と何一つ変わっていないお店の前に辿り着いた。

 アイアンのドアノブを握ると、手袋越しでも冷たく感じた。それを一息に押して、店の中に入る。

「おー、アリス。いらっしゃい。約束通りだな」

「来たよー。あけましておめでとうございます!」

「おう、あけましておめでとう」

「おめでと~」

 新年の挨拶以外はいつも通りだ。

 店内もいつも通り、他に客はいない。

 防寒着を脱ぎ、いつものカウンター席に着く。すると、目の前からすっと何かが差し出された。

「ほい。お年玉」

 弥生が差し出してきたのは、リボンでまとめられた複数の袋だ。袋の中身はコーヒーのドリップバッグ。

「って言っても現金じゃないけどな。色んな産地の豆詰め合わせ」

「わあ! ありがとう、弥生くん。凄い、五つもある!」

 店で買ったらそれなりの値段がしそうなセットだ。しかも、ドリップバッグというのが助かる。有紗の家にはドリッパーや茶器の類が全くない。家でカフェインを楽しむときはもっぱらインスタントかドリップバッグ、ティーバッグだ。

「はい、僕からも似たようなお年玉」

 そう言って桂が差し出してきたのは、ティーバッグの紅茶のセット。やはり五つある。

「ありがとう、桂さん!」

「お店でも売ってるから、気に入ったら是非買ってね~」

「う、うん……」

 隠しもしない商売魂。恐れ入る。

 有紗は貰ったセットを暫くためつすがめつした。これで寒い冬の自宅でのティータイムがはかどる。日頃は買わない産地のものもあるので、お試しにはいい機会だ。

「ありがたく、頂きます」

 持って帰るのを忘れないように、鞄の中に仕舞っておく。

「ぶ、ぶ、ぶ、ぶ」

 てっさが階段を降りてきた。一段毎に声を出しているのが相変わらず面白い。

 そのてっさが荷物の隣にやってきたかと思うと、口にくわえていた何かをテーブルの上に置いた。

「なあに? これ」

 拾ってみれば、以前五人で行ったラーメン屋の、

「味玉一個無料券……?」

「ぶー。ぶなー」

「これ、くれるの?」

「ぶなー、ぶー」

「ありがとう、てっさ」

 とは言ったものの、猫が券を入手できるわけも無く。

「弥生くん、貰っちゃっていいのかな」

「多分……二階にあった奴だと思うから、アリスが良ければ、貰ってやって」

「桂さんのでもない?」

「僕のじゃないから大丈夫だよ~」

 所有権者不明の無料券、ということらしい。

「弥生くんや桂さんがいいなら……遠慮無く」

 ラーメン屋に行く口実まで同時に貰ってしまった。有効期限が一月末までなので、今月中に行かなければならない。

 ――一人ラーメンしてみようかな……。

 券は財布に仕舞い、もたらしてくれた猫を撫でた。てっさは目を細め、上機嫌で喉を鳴らしている。

「今日はどうする?」

 弥生に問われ、有紗はメニューに手を伸ばした。

「今日のケーキって何?」

「今日はな、キャロットケーキ」

 ショーケースの中を覗くと、アイシングがかかった見慣れないケーキが一種類あった。恐らくこれのことだろう。

 ならば、それに合わせる飲み物を考えなくてはならない。暫く桂に任せっぱなしだったので、偶には自分で選びたい気がしていた。

 気分はストレートよりも、ミルク。

「じゃあ、キャロットケーキとアッサムのミルクティーで」

「かしこまり」

 メニューを戻すと、再びてっさを撫でる。最早恍惚とした顔で、聞いたこともない地鳴りのような音を立てて喉を鳴らしている。

「アリスちゃんも紅茶、大分慣れたみたいだね」

 紅茶の用意をしながら、桂が話しかけてきた。

「自分の好みはだんだんわかってきたかな、って。お任せも好きなんだけど、今日はミルクの気分だったから」

「うん、うん。いいね、いいね」

 コーヒー党であることには変わりはないし、紅茶についてはまだまだ勉強不足だ。素人なりに自分の好みくらいは確立させたい、と、出されたものはなるべく覚えていたいとも思っている。

「プロにならなくたってお茶会は楽しめるからね。自分の好きな飲み物と、美味しいお茶菓子があれば充分さ」

 桂の言うことが、すとんと落ちて、身体に馴染んだ気がした。

 いつの間にか出ていた水を口に含み、彼の言葉を脳内で反芻する。

「はい、お待たせ。俺特製のキャロットケーキ!」

 出されたケーキはアイシングがたっぷりかかっているだけでなく、ケーキの間にもアイシングが挟まっている。ニンジンというには色は茶色がかっていて、ナッツが沢山混ざり込んでいる。

「はい、アッサムのミルクティーだよ」

 ケーキと紅茶が揃ったところで、

「いただきまーす」

 ティータイムを開始した。

 まずはキャロットケーキを一口。もっとニンジンが主張してくる味をイメージしていたが、どちらかと言えばナッツケーキに近い。アイシングの甘みもいい具合で、いっぺんに食べると、当然だがとても相性がいい。

 ミルクティーも悪くない選択だった。

「美味しい……」

「そのケーキ、宇佐木くんが昨日から店に来て作ってたんだよ」

「え。じゃあ、お休み一日返上して作ったの?」

 桂の言に驚いて顔を上げると、照れくさそうにしている弥生がいた。

「別に、暇だったし、桂に言ったら厨房貸してくれるって言うから。それに、作りたてより一日おいた方が馴染むからさ」

「明日はアリスちゃんが来るから、って張り切って作ってたじゃない」

「ばっ……か、そういうことは言わなくていいんだよ!」

 理由はともあれ、弥生が一生懸命作ってくれたことには変わりない。事実、ケーキは美味しいし、その美味しさは幸せだ。

「ありがとう、弥生くん」

「お……おう……」

「ぶンな」

 照れている弥生を冷やかすように太い猫が鳴いた。


 りん。りりん。


「ああ、アリスちゃん。あけましておめでとうございます。丁度いいところに」

 ドアベルが鳴ったかと思うと、忠臣が入ってきた。流石の彼も今日はコートにマフラーを巻いている。

「あ、忠臣さん。あけましておめでとうございます。……お年玉、頂戴?」

 ふざけ半分に首を傾げてみたところ、

「はい、そのつもりで」

 と、驚いたことに懐からポチ袋が出てきた。

「え!」

「これと、……」

「ええっ!」

「これも」

「えええっ!」

「あとこれも」

「ええーっ!」

 出てきたのは三つのポチ袋。

「わ、私そんなカツアゲみたいなコト言ったつもりじゃないんです」

「いえ、初めからお渡しするつもりで持ってきましたから」

「しかも、なんで三つも?」

「これは俺から、こっちは妃さんから、そしてこれは俺の父親からです」

「お父様……?」

 はて。

「来ないから元気なんだろうと思っている、と言っていましたよ」

「何処かでお目にかかってますか……?」

 記憶の引き出しをひっくり返してみるも、思い当たらない。

「近衛という医者に覚えはないですか?」

「近衛……」

「内科の、医院長の」

「近衛……。……近衛……! ああっ! 医院長先生!」

 去年酷い風邪を引いたときに行った病院で見た記憶がある。熱に浮かされ朧気だが、その先生の顔は忠臣に似ていたという記憶もある。

「あの先生、忠臣さんのお父様だったんですね。なんか似てると思った」

「クローバーのキングです」

「へっ! そうなんですか?」

「因みに、母のみどりは薬剤師でクローバーのクイーン、その病院のレントゲン技師がじゆんといって、クローバーのジャックなんですよ」

「知らない間にそんな関わりが……」

 遵のことは関わりが一瞬過ぎて顔も覚えていない。

 今まで関わっていないと思っていたクローバーとの思わぬ関わりに、少し脈が速くなる。となると、一人も関わりを持ったことがないのはダイヤだけとなった。

 妃曰く、知らない方がいい職業に就いているというダイヤ勢。彼らに対して誰かに聞くことこそしないが、関心をゼロにすることは出来なかった。

「という訳なので、受け取ってください」

 三つのポチ袋が差し出される。

「あの、本来なら受け取る立場じゃないんですが……」

「持って帰ると俺が怒られるので」

「ううっ。そういうことなら……ありがたく頂戴します」

 受け取ったポチ袋が存外厚い気がするのは、三つ折りが甘い所為だと思いたい。何が三つ折りになっているかは余り考えないようにする。


 りん。りりん。


 今日はよくドアベルが鳴る。

 入ってきたのはこれまたかっちりとコートを着込んだ環だった。

「丁度いい頃合いに来られたようだな」

「環さん。あけましておめでとうございます」

「あけましておめでとう」

 言いながら環はカウンター席の椅子の上に鞄を置くと、中から和風の装飾が印刷された細長い封筒を取り出した。

「これを、アリスに」

 当然のように封筒を差し出された。しかも、ほんのり厚みを感じるのが怖い。

「さっ、流石に頂けないですっ!」

 困惑が極まって不整脈を起こしそうだ。

 環は有紗の手元をちらと見て、

「ハート勢から受け取れるなら、俺からも受け取れていい筈だが」

「いえ、なんていうか、その、そもそも私、皆さんからお年玉を受け取る立場には無いわけで、あわわ」

「気にしなくていい。大して入っていない」

「そんな風には見えないですぅ!」

 コーヒーのセットとは訳が違う。その豪華そうな封筒を受け取ると何かが起きそうな錯覚さえある。

 目を回して拒絶する有紗の手に、環がそっとその封筒を持たせてきた。

「はわー!」

「いいから受け取れ。ここでの飲食代の足しにでもすればいい」

「はわわ。あり、ありがとうございます……」

 結局受け取ってしまった。

 四つの封筒を手にしたまま、疲労感で有紗は暫し項垂れた。

「はぁ。なんだか、申し訳ないです」

「いいじゃんアリス。親戚のおじさんが沢山出来たと思えば」

 楽観的な弥生が羨ましい。

 放心していると、環は弥生と桂にも同じような封筒を渡していた。カウンター内から歓声が上がっている。

「忠臣も要るか?」

「流石に俺が貰うのはどうかと思う」

「じゃあ、コーヒーチケットをやろう。二冊」

「お、これでコーヒー飲み放題だ」

 忠臣が受け取っていたのは有栖川茶房のコーヒーチケットだ。そんなものがあるのかと思う一方で、

「私も気持ちが楽になるのでコーヒーチケットがいいです」

 とは言えないまま、受け取った封筒を鞄の中に大切に仕舞った。

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