34杯目 夜の誘惑

 夜。

 有栖川茶房の近所のラーメン屋に、不揃いな五人が揃っていた。

 運良く空いていたカウンター席に、奥から桂、弥生、有紗、忠臣、笑太が座っている。

 注文は一択。豚骨ラーメンだ。

「外食なんていつぶりだろ~」

 一番楽しそうなのは桂だ。

「桂さんっていつも自炊なんですか?」

「そうだよ~。僕はあの店に引き籠もってるからね~」

「偶に店の食材で好き勝手やって次の日大変なことになるけどな」

「え、そうなんですか?」

「余り物使ってるだけだもーん」

 弥生の指摘に悪びれる様子のない桂は、店に居るときと同じように少しゆらゆらしている。どやらこれは、店にいるときの待機姿勢、というわけではないようだ。

 そんな雑談をしている間に、早くも目の前にラーメンが置かれた。

 まずは半分に切ってある一個分の味玉が目を引く。続いて、チャーシューに海苔、ネギ、キクラゲが黄金色のスープの上に浮いている。

 全員分が揃ったところで、

「いただきまーす」

 紅ショウガが入った入れ物に手を伸ばそうとしたところ、

「アリスちゃん」

 忠臣に呼び止められた。

「初めから紅ショウガを入れてしまうと味が紅ショウガ味になってしまうので、まずはそのまま食べてください。紅ショウガを入れるのは二杯目からです」

「でも私、替え玉頼めるほど食べられないし……」

「そしたら、少しそのままの味を味わってから入れてください」

「あ、はい……」

 紅ショウガとは初めから入れるものだとばかり思っていたので、そういう食べ方をするものかとここは従うことにした。

「始まったよ。ジャックのラーメン奉行」

「そんなに小うるさいことは言わないぞ。ただ、豚骨ラーメンに限っては紅ショウガは後からの方がいい」

「かく言う俺もそうするけどな」

 弥生も最初は入れない派らしい。

 忠臣の隣では、笑太が掬い上げた麺に一生懸命息を吹きかけている。

「笑太くん、猫舌?」

「そう。俺、猫舌。しかも結構酷い猫舌」

 と言いながら、そんなにしなくても、というほど冷ましている。その状態でこの熱々ラーメンは辛かろう。納得いくまで冷めた麺を、それでも恐る恐る食べている笑太を見て、彼の苦労を推し量った。

「わぁ。豚骨ラーメンって美味しいね! 僕、多分初めて食べたよ」

「ホントに初めて食べたのかよ」

「だって、僕はボンカレーとチキンラーメンの時代だよ?」

「随分と昭和だな!」

「宇佐木くんがそれ言っちゃう?」

「だって俺、覚えてねぇもん」

 言われてみれば、彼らは物語の輪廻の中に生きているのだ。

 一体いつから続いているかわからないそれのことを考えれば、彼らの年齢も全くわからない。少なくとも、見た目通りの年齢ではないことだけは確かだ。

 代替わりしない物語の駒たち。

 置き去られていくというのは、一体どんな気持ちだろう。

 端で掬い上げた麺のことを忘れ、有紗は暫し左横の二人を眺めていた。

「アリスちゃん? 冷めますよ?」

「あ……」

 冷めてしまった麺は一度スープに潜らせてから頂いた。こってりしすぎない豚骨味が美味しい。続けて二口目の麺を取っていると、

「替え玉を」

 忠臣の丼の中は既に空になっていた。

 ――相変わらず早い……。

 噛んでいるかどうかなど野暮なことはもう訊くまい。

 替え玉を入れて貰い、忠臣は漸く紅ショウガの入れ物に手を伸ばした。そして、どっさりと丼に紅ショウガを入れる。

 その量に目を見張りながら、有紗も食べ進めていった。

 味玉の半分、そして海苔。また麺に戻る。

 半分くらいになった頃、紅ショウガを入れた。途端に味が一転する。

 確かに、言われたとおり、初めから紅ショウガを入れていたらこの味だけになっていたことだろう。

 ――元の味も大事、と。

 助言に感謝しつつ、残りを食べ進める。

「俺も替え玉ー」

「替え玉もう一つ」

 弥生に続いて忠臣が二つ目の替え玉を頼んでいる。

 笑太は相変わらず麺を冷ますことに腐心していて、丼の中が余り減っていない。

 ――大変そう……。

 有紗の丼の中ももう少ない。細かな具材を拾い上げ、最後に少しだけスープを飲んで完食した。

「ごちそうさま」

 箸を置き、幸福感で思わず息を吐く。

「アリスは替え玉いいのか?」

 二杯目を啜っていた弥生が問うてきた。

「流石にそんなに食べられないよ。でも、美味しいね、ここのラーメン。それに、一人でも来られそう」

「そりゃ良かった」

 またしてもいい店を教えて貰った。それも収穫。

 個性ある皆と夕食を共に出来たこと。それが一番の収穫だ。

 ――ごちそうさま。

 心の中でもう一度呟いて、有紗は口元を拭いた。

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