19杯目 ミントの効能

 蝉の鳴き声が店内にまで響いている。

 クーラーが効いた室内でも、その声を聞くと汗が滲んでくるような気がしてくる。

 今日はまだ店の扉が一度も開いていない。ドアベルも鳴らない。人の気配もない。

 静かな店の中で、宇佐木はカウンター席に腕を乗せてだらけていた。

 ――暇だ。怠い。

 アリスは本屋のアルバイトで忙しいのか、なかなか顔を見せてくれない。

 ジャックも仕事で近くに来ない限り寄ってくれない。

 ここ数日はずっと暇を持て余していた。

「あー! 暇だ、ひまー!」

 宇佐木は声を上げてカウンターに突っ伏した。

 カウンターの中に居た桂は迷惑そうに眉をひそめ、

「もー、大きな声出さないでよ。そんなに暇ならてっさのご機嫌取ってきて」

「毛が伸びるまで機嫌なんて直らないだろ。ほっとけよ」

「僕だって悪意があってやってもらったわけじゃないんだから」

「知ってるよそんなこと。あいつがデブなのがいけないんじゃん」

「怒ってるのってそこなの?」

「見てくれも充分酷くなったけどな。アリスに見られたのもヤだったんじゃねぇの」

「そっかぁ。アリスちゃん、あの時はタイミングちょっと悪かったねー」

「それよりアリス、てっさよりもおまえのその妙な髪型に引いてるように見えたけど」

 てっさが毛刈りされる前日に突然変わった髪型は、今も継続している。

 いつもはゆるふわパーマの頭が、ストレートヘアになり、色も変わり、おかっぱ頭になっている状態だ。

 周りの反応をよそに、当人は至極気に入っている様子で、

「えー。さっぱりしててよくない?」

「似合ってない」

「そんなことないよぉ」

「似合ってないって。いつもの緩いふわふわにしてろよ。だってそれ、殆ど正臣と同じ髪型じゃん」

「真似したわけじゃないよう」

「真似したかどうかじゃなくて、まず似合ってないから」

 桂の髪型然り、二人きりの不毛な会話然り。いい加減飽きてきていた。

 そして今日はどうにも身体が怠い。蝉のミンミン言う声が、怠さの倍率を上げてくる。

「はあ……」

 会話するために上げていた顔を、再び組んだ腕の中に突っ伏した。

「なんかしんどそうだね」

 珍しく、桂が気を遣ってきた。

「夏バテとか?」

「かも。最近ずっと暑いしさ。食欲もあんまり無いし。ジャックから面白くない話聞いたし」

「面白くない話?」

「この間、アリスが一人でクオーリ行ったんだって。そしたらさ、スペードの連中がいて一緒に飯食ったとか」

「ああ、環くんと朝くんが居たってね。それ、僕も聞いたけど、それが面白くない話?」

「面白くない」

「じゃあ、宇佐木くんもデートに誘えばいいじゃない。お休みなら都合つけてあげてもいいよ」

 突然の言葉に、宇佐木は立ち上がりそうになりながらカウンターに手をついて、

「でっ、デートとか、そういうの、したくって、面白くねぇとか、言ってるわけじゃ、ねぇから……!」

 引きつりそうな声で言った。

 目の前では桂が呆れたような顔をして、

「君もわかりやすいねぇ」

 わかりやすくなどない。自分の気持ちもよく解らない。とにかく、ジャックから聞いた話が面白くなかった。そう思っただけだ。

「違ぇよ。夏バテで調子悪いんだよ……」

 ということにしたかった。

 眼前の桂はなにやら、うんうん、と首肯すると、

「それじゃあ、いいもの作ってあげる」

 そう言って、桂は何か作業を始めた。

 何をする気か、と手元を覗き込んでみれば、お茶を淹れる用意をしている。

 まずはペパーミントを紅茶と一緒にポットに入れ、お湯を注いだ。蒸らした後、氷の入ったグラスにポットの中身を注ぎ、ガムシロップを加えて、レモンを一切れ中に入れた。

「はい。アイスミントティー。茶葉はディンブラを使ってるから、爽やかでいいよ」

「うわ。なんか少しすっとする」

「宇佐木くん、こういうの慣れてないから新鮮でしょ。ミントティーは夏バテにいいんだよ」

「よくわかんないけど、身体にいいような気は、する」

 曇った気分が少し晴れるような感覚がある。薬のようなものか、と単純に解釈して、残りを飲み干した。

「すっきりしたところで、もう一仕事~」

「する仕事がないんだって」

「ん~。じゃあ、もうお昼にしちゃう?」

「早いって。まだ十一時だぞ。まあ、メニュー考えておくのもいいか」

「なにがいいかな?」

「……そうめんとか」

「またそうめん~? そんなのばっかり食べてるから夏バテするんだよぉ」

「そうかなぁ」

 そうめん以外にまかないになるものはあっただろうか。冷蔵庫を覗きに行くべく、宇佐木は重い腰を上げた。

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