15杯目 モーニング、あります
朝から散々だ。
有紗はとぼとぼと有栖川茶房へ向けて歩いていた。
梅雨も終盤だというのに、夏のような太陽がじりじりと照って、照り返しで蒸されそうだ。
今日第一の事件。まずは寝坊をした。故に、朝食を食べていない。
それでも急いで大学に向かい、着いたら一限が急遽休講になっていた。折角急いでいたのに、と気落ちしながら時間潰しのために図書館に向かうも、同じ事を考えた人たちで満席状態になっていた。
学食に行く、という選択肢もあったが、気分になれず、外に出た次第だ。
「はぁ」
溜息をつきながら歩いていると、見慣れた英国風喫茶が現れた。具合を悪くしている間に台湾喫茶は終わってしまったらしい。
重たいドアを押し、中に入る。
丁度、カウンターでの有紗の指定席にある食器を宇佐木が片付けているところだった。
「いらっしゃい、アリス。今日は随分早いじゃん」
「色々あって時間潰しに来たんだー。その食器、誰か来てたの?」
珍しく客がいた形跡を見て、思わず訊いた。
「エース」
「エースくん? こんな早くに来てたんだ?」
「朝飯当番が寝坊したから食いっぱぐれたんだと」
「当番? ……因みに、どなた……?」
「キング」
知らない名前だ。
「キング……さん? キングさん、って?」
「あれ? アリスは会ってるだろ」
「何処でお会いしたんだろ」
「だって、クオーリ行ってるじゃん」
クオーリ、と言われ、浮かんが顔が二つ。
「えっと、二人お店に居たけど、店員さんと、店主さん」
「あ、そっか。ジャックはキングのこと瑛って呼ぶからな。店主の方がキング」
「キングさんは瑛さん……」
「で、店員の方がジョリー」
「店員さんが、ジョリーさん」
これもジャックが言う、あだ名のようなもの、なのだろう。名前と人を紐付けしながら、出された水に口をつけた。
「あいつらさ、全員一緒に住んでるんだよ」
「ええっ!」
驚きの余り、危うく水の入ったグラスを取り落とすところだった。
「知らなかったっけ。妃の屋敷にさ」
「お屋敷!」
「そこに全員がさ」
「全員!」
「そう。エースとジャックとキングと……ジョリーもか」
「ホントに全員だ!」
「で、それぞれが部屋持ってて住んでんの」
「それは、いわゆる、住み込みってやつかな?」
「まあ、そんな感じ。で、よくエースとジャックで夜通しゲームやって遊んでたりするんだってさ」
「なにそれ可愛い」
彼らがそんな共同生活を送っているとは意外だった。また、あのジャックが、どんなゲームをどんな風にプレイしているのか、少し興味がある。
彼らの距離が妙に近いのも、その生活スタイルにあるのかもしれない。
――楽しそうだなぁ。
他人同士の共同生活とはどんなものだろう、と想像を膨らませる。毎日が修学旅行かキャンプのような感覚だろうか。それとも、現実はそんなに甘くないのか。
水を飲み進めながら考えていると、胃がひんやりと冷えてきたことに気付いた。
今日は朝ごはんを食べていない。故に、胃の中は空っぽだ。
「それにしてもおなか減ったぁ。私も今日、朝から何にも食べてないの」
「アリスも寝坊か?」
「うん。タイマー無視して寝ちゃって……。エースくんは何食べていったの?」
「モーニング」
「モーニング、あるの?」
「あるよ?」
「あるの? やったー!」
「あ、でも、名古屋式じゃないからお代は頂くけど」
「ええー。今流行のスタイルじゃないのぉ?」
「あれは名古屋式。うちは関東式のモーニングセット」
「ん~、まあ、いいや。モーニングセット頂戴」
「はいよ。飲み物はどうする? 紅茶もコーヒーも出来るけど」
「コーヒ――」
「アールグレイのアイスティーなんてどうかなぁ? 今日も暑くなりそうだし、さっぱりするかもよ~」
長音まですべて言い切るつもりが、突然の桂の登場により、尻すぼみになってしまった。
くねくねと動きながら桂は奥のキッチンからカウンターの中に入ってきた。
――桂さん、いたんだ……。
「ねえねえ、どうかなぁ。モーニングにも合うと思うんだよね!」
カウンター越しとはいえ、ものすごい圧力を感じる。
――たまには、いいか。
「じゃあ、それでお願いします」
「なんか悪いな。卵はスクランブルとゆで卵があるけど」
「う~ん……。ゆで卵で」
「かしこまり~」
注文を受け、桂は紅茶を、宇佐木はモーニングを用意し始めた。
待っている間に、有紗は鞄から小説を取り出し、読み始めた。今読んでいるのは追いかけている作家のライトノベル。少し前まで何故分冊しないのかというほどの厚みで出版されていた作家だが、このところ薄めになって正直ほっとしているところだった。軽快な語り口と描写が好きで、どんどん読み進めることが出来るのも好感度を上げている一因になっている。
数ページ読んだところで、先に紅茶が出てきた。
「はい、アールグレイのアイスティーだよ~」
差し出された紅茶は、少し濃いめの紅色が氷に透けて綺麗だ。なによりも、独特のベルガモットの香りが心地いい。
一口飲んで、本に戻る。
また数ページ読むと、トーストや肉のいい香りがしてきた。耐えきれずに本を閉じ、香ばしい匂いを嗅ぎながら待つこと少し。
「お待たせ」
出てきたのは厚切りトースト半分とゆで卵に、焼いたウインナーだった。
トーストには既にバターがたっぷりと塗ってある。まず最初に、厚切りのそれを一口食べた。バターが染み出て美味しい。
続けて、ウインナー、卵と食べ進めていく。
「はぁぁぁ。満たされるぅぅ」
おなかが満ちていく感覚に、思わず変な声が出た。
「モーニングなら誰かさんが大改装しなきゃ毎日やってるから。ぶっちゃけ、食材はあるからモーニング時間帯以外でも出せるんだけどさ」
「じゃあ、今度からおなか減ってたら頼めば出てくるんだね」
「そういうこと」
「やったぁ。はぁぁ。美味しい~」
そして、この食事にアールグレイが思った以上に合う。
内容量は少し多めに感じたが、空腹極まっていたところにはありがたい量だった。
「桂さん。紅茶も美味しいよ」
「うふふ~。そうでしょ~?」
そう言って、桂は満足そうにゆらゆらしている。
「この間、炊飯器ここに置いてあったんだから和風の朝食もやればいいのに」
「あのな、アリス。一応ここ、英国風」
「じゃあ、和風喫茶にしたらやる?」
「和風喫茶っていったら普通甘味だろ? 定食屋じゃないんだから」
「そっかぁ」
それがこの店のポリシーらしい。
だが、雇われ店主は、
「定食屋さん……いいねぇ」
とんでもないことを言い出した。
「おい、桂! ブレてる! ブレてるから!」
「お味噌汁に鮭と沢庵……」
「桂! それだと紅茶出せないぞ!」
「……はっ。それはよくないね」
「ふー……」
我に返った桂は、溜息をついている宇佐木の前で、また揺れている。
やはり〝お茶〟というキーワードが大事であるようだ。
この調子だと、アメリカやイタリアのカフェ風はなさそうだな、と最後にとっておいた卵の一かけを口に放り込みながら、有紗は思った。
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