11杯目 内輪話

 ある昼下がり。

 ジャックは紙袋を一つ抱えて有栖川茶房の扉を開けた。

 がらんとした店内。それはいつものこと。しばらく前に変えたドアベルが乾いた音を立てるのもいつものこと。

「ん……? 弥生は居ないのか?」

 カウンターの中には、桂一人しか居ない。

 狭い店内を一巡見渡しても、他に誰も居なかった。

「今日は宇佐木くん、お休みだよ」

「この店に休みなんてあったのか」

「お休みの日くらいあるよう。人聞き悪いなぁ。ブラックみたいな言い方しないでよ」

「ブラックじゃなかったのか」

「ちょっと、ジャック。酷くない? 酷くない?」

「だが、そうか、休みか。いいコーヒーを持ってきたんだが、出直すか」

 と言いながらも、ジャックはいつものカウンター席に腰を下ろした。

 持っていた包みはカウンターの上へ。

「コーヒーの仕入れなんて頼んでないよね?」

「いや、先日なにやら機嫌を損ねていたようだったからな。そもそも、俺が悪いわけじゃないと思うが、あんまり拗ねられても困るから」

「ご機嫌取り、って訳だ」

「まあな」

「でも、原因もわからずご機嫌取っても、悪化させるだけじゃない?」

「俺がアリスちゃんを連れてクオーリに行ったのが気に入らないんだろ」

「なんだ。解ってるじゃない。この間は何のことだか解りませんみたいな顔しちゃってたのに」

 確かにわからないふりをして見せた。

 もう一人の当事者は本当にわかってない様子だったというのも理由の一つにある。

 アリス。

 本が好きな女子大生。

 彼女が店に来ると、否応なしに誰もがざわつく。

 特に宇佐木が目立って反応しているのは確かだ。

「というか、弥生はどこまで本気なんだ」

「そんなの本人に聞けけばいいいじゃない。僕はそこまで知らないし、そんなことまで面倒見きれないよ」

「本人に聞くのもな……」

「どうせ〝アリス〟っていう存在だからっていうだけなんじゃないの?」

「だからいいというわけでもないが……」

「まあ、僕らは〝アリス〟っていうだけで興奮しちゃうからね。この店に入れたのも偶然じゃないのは間違いないし。もー、いいよね、〝アリス〟ちゃん!」

「当人は何も知らないし気づいてないのに……」

「僕が勝手に巻き込んだみたいな言い方しないでよね。ジャックだって大いに荷担してるじゃない。クオーリにまで連れてっちゃってさ」

「あれは、ずぶ濡れで歩いてたからそのついでに……」

「ついで? ついででキングにまで紹介しちゃうの?」

「そういうつもりじゃ……」

「何言ったってジャックも立派な共犯だからね。どうしてもこれ以上はって言うなら力尽くで引き離したらどう? 本気になればそのくらい出来るでしょ」

「それは……」

「結局ジャックだってアリスちゃんのこと気に入ってるんでしょ。解ってるんだからね~」

「……嫌な奴だ」

「ふふん」

 桂とだけ話していると、どうしても気分が重くなる。

 眼前の楽天家が目障りなのも多少ある。それ以上に、ズレているのに核心を突いてくるのが何よりも気に入らない。

 気に入らない。

 そう思った時点で本当は反論の余地などないことがわかっているからこそ、尚気分が沈む。

「そういえば、てっさは?」

「今は上だよ」

「そうか……」

「なあに? 僕と二人っきりで会話はつまんない?」

「不穏な方向に流れていくから息苦しいな」

「そんなこと言わないでよう。いつもは出来ない会話とか出来て楽しいじゃない。宇佐木君のコイバナとか」

「俺は現実を突きつけられて逃避したい気分だ」

「そんなに嫌な現実だった? 僕はそんなに悪くないと思うけどなぁ、この現状」

「俺たちにとっては、だろう。巻き込まれた方が可哀想だ」

「そう思うなら――」

「桂。話が堂々巡りする。やめよう」

「はぁい」

 黙れと言われた桂はにやにやしながらゆらゆらしている。

 これ以上無駄話をしても仕方がない。

 自然とこぼれたため息をカウンターに落とし、いざ立ち上がろうかと思った時、

「じゃあせめて、何か注文してよ」

 まさかの注文の催促が来た。

 答えは一つ。

「コーヒー」

「ちょっとお!」

 答えはわかっていただろうに、桂はわかりやすく口を尖らせて怒っている。

「俺の身体はコーヒー以外受け付けない」

「この間、二杯目は紅茶って言ってたじゃない!」

「ん。言ったか?」

「言ってたよ~! もー、録音しとくんだった」

「コーヒーが出てこないならもう用事はないな」

「もー。そんなに早く帰りたいのー?」

 帰りたい。

 そう思っているのに、つい会話につきあってしまう自分もいる。

「なんだったらドリップバッグでもインスタントでもいいんだぞ」

「そんなにしてまで紅茶飲みたくないの?」

「だから言っただろう。俺はコーヒーで生きてるんだ。むしろ、桂は何で頑なに紅茶にこだわるんだ。プレスを使えばやることは紅茶もコーヒーも変わらないだろう」

「嫌なの! 僕は紅茶にこだわり持ってるから、コーヒーに浮気したくないの!」

「なんだその理論」

「それに、コーヒーは裏メニューみたいなものだし、宇佐木くんの担当だから僕はやらないの!」

「裏メニューと言うことは、公認ではあるんだな。大体、メニューに載ってるだろう」

「認めてないっ」

「それに、その担当者は今日は公休なんだろ。店主が責任もって注文の裏メニューを出すのが道理だろうが」

「だ さ な い !」

 正論が通らない相手にどれだけの理屈で対抗できるか。

 そんなゲームになりつつある。

「ここまで頼んでいるのに出してくれないのか……。なんて奴だ……」

 試しに泣き落とし。

「そんな切ない声出したってダメなんだからね!」

 通用しなかった。

「チッ」

「舌打ちした! 信じられない!」

「注文に応えない店主の方がよほど信じられないがな」

「もー! ジャックには水しか出さない!」

「水も出してくれてなかったのか。酷い店だな」

 紙袋が置かれているだけだったカウンターに、ようやく投げつけられるように水がやってきた。

 その水も、ほとんどが氷で飲めるのはごく僅か。すぐに飲み干してしまうと、グラスについた結露をまとめて流して暇を潰すくらいしか出来なくなった。

 グラスをいじるジャックの前で、まだ桂はゆらゆらしている。

 紅茶の注文を期待してか、もしくは、その動きに意味はないのか。

 ジャックは改めてからっぽの店内を一瞥した。会話を遮る者も、混ざってくる者も居ない空間の中。黙ってしまうとそこは少し静寂が強い。

 誰か一人でも居れば勝手に騒々しくなるのに。一番騒々しい桂が黙って揺れているだけだと、本当に音が無い。

 桂。宇佐木。てっさ。イトーくん。

 有栖川茶房で見かける面々を思い起こすと、もう一人居た。

 最後に顔を合わせてからだいぶ経っているせいで、正直今の今まで忘れていた。

「そういえば、最近宇佐見の姿を見たか?」

「ううん。数ヶ月前に来たっきり全然見てないよ」

「そうか。数ヶ月前か……」

「重なるね」

「あいつが導いたんだろうな……きっと」

「まあ、そうだろうね」

「アリスがここに出入りしている以上、気をつけた方がいい」

「それは解ってるよ。気をつけようもないのも実情だけどねー」

「とにかく、姿を見かけたら気をつけろ」

「はいはーい」

 内輪話はここまでにして切り上げる。

 次に一瞥するのは左手首に巻いた腕時計。

 いい頃合いだ。

「さて、そろそろ行かないと」

「えー。どうせ暇なんでしょー? 紅茶でも飲んでゆっくりしていきなよー」

「妃さんを迎えに行く時間なんだ。それに、どうせ何注文しても出してくれないじゃないか」

「それはジャックが紅茶頼んでくれないからだよ」

「桂と話してると話題問わず堂々巡りするんだな。よく解った」

「なにが解ったのさぁ。もー」

 立ち上がりながら置きっ放しだった紙袋を桂に差し出す。

「これ、弥生に渡しておいてくれ」

 受け取った桂は袋の端をくんくんと嗅いで口元を緩ませていた。

 ――こいつ、なんだかんだ言ってコーヒー好きなんじゃないだろうか……。

 疑念が頭をよぎるも、問い質している時間は生憎無い。

 確かめるのは次の機会にするとしよう。

「今度は紅茶のお土産待ってるねー」

「注文されたら持ってくるかもな」

「おみやげ~」

「じゃあな」

 出されたのは水だけのため、会計もなくジャックは店の外に出た。

 扉が閉まる瞬間まで、土産をせがむ桂の声がしたが、当然のように無視をする。

 じわりと照る太陽の光が暑い。

 すでに初夏だ。

「ティーソーダなら飲んでやってもいいか」

 独りごちて、ジャックはその場を後にした。 

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