7杯目 女王陛下と従者
有栖川茶房。
今更だが、本当に変な店だ。
最後に訪れたときは和風喫茶だった。そこから一週間ほど間を空けて訪れたところ、本来の英国風喫茶に戻っていた。初めて訪れたときとそっくり同じ外観だ。
煉瓦と漆喰の壁に、三角屋根。
有紗は、暫く呆然と眺めていた。
「戻ってる……」
あの和喫茶は夢幻だったのか。そんな風にさえ思う激変ぶりだ。
しかし、どんなに変わっても一つだけ変わらないのが、看板に書かれた屋号。
木の板に書かれた五文字を改めて眺めた。
妙な縁で知ることになった場所。人。
その最初の姿にそこはかとない満足感を感じ、
「うん」
ひとつ頷いて、有紗はアイアンのノブを押した。
りん。りりん。
いつものドアベルの音。もとい、初代のドアベルは太いネコが壊してしまったので、二代目の物と同じ音だ。
中に入ると、外観と同じく初めて来たときと同じ内装がそこにあった。
客が一人も居ないのはいつものこと。
「ぶなー!」
「おー、アリス。いらっしゃい」
「アリスちゃん、いらっしゃーい」
二人と一匹が揃って迎えてくれるのは久しぶりだ。
「元に戻したんだね」
「桂が飽きたって言ってさ」
「まさか、また突然?」
「そ。突然」
元に戻すだけとはいえ、メニューの内容が和風と英国風ではまるで違う。内外装は桂が勝手にどうにかしているのだろうが、商品は宇佐木の担当。それを相談なしにころっと変えられる苦労は前回の騒動を見て知っている。
「もー、桂さん。勝手なことしてると、宇佐木くん、辞めちゃうよ?」
「辞められちゃ困るねぇ。でも、そうなるとアリスちゃんも困っちゃうね」
「う」
そうだった。前述の通り、有栖川茶房での商品担当は宇佐木。紅茶は桂の管轄のようだが、この喫茶店に何をしに来てるかといえば、甘い物を食べに来ていると言っていい。
「宇佐木くんのケーキ、美味しいもんねー」
「別の所で食べさせて貰うからいいもん。それに私、元々コーヒー派だし」
「アリスちゃんが冷たいよぉぉぉ」
このまま立っていると縋り付かれそうなので、奥の指定席に逃げることにした。すぐ後ろをてっさが付いてくる。
荷物を置いて席に着くと、てっさも隣の席に飛び乗ってお座りした。これもまた見慣れた光景。
「今日はどうしよっかなぁ」
メニューを取って開いたとき、嵐は突如としてやってきた。
ばぁぁん!
ドアベルを壁で挟んで壊すがごとく、力強くドアが開け放たれた。
ヒールの音を鳴らして小柄なスーツ姿の女性が店の中に入ってくる。スーツの色が紅いのがとても目を引く。
入店早々、席にも着かず、ドアも閉めずに、
「桂。茶」
彼女は短く言い放った。
「もー、妃さんったら乱暴なんだから。ドア壊れちゃったらどうするんですか」
「このくらいで壊れるドアなんか始めから付けるな」
「じゃあ、カップも鋼鉄製にしないといけませんねぇ」
「桂ぁ。その帽子の台を刎ねられたいか」
綺麗な女性だが口が悪い。
物騒な人が来た、と思っていると、目が合ってしまった。
――あ。ど、どうしよ。
絡まれたら誰か助けてくれるだろうか。メニューを掴んで構えていると、女性は首を傾げて、
「ん? 客が居るじゃないか」
そう言った。
「お客さんくらい来ますよ、ちゃんと。彼女が噂のアリスちゃん」
「へぇ。あの子がアリスか」
凄く見られている。観察されている。
どうやら知らないところで噂の対象になっているようだが、取り敢えずこの視線攻撃から逃れたい。かといって、こちらから視線を外すことも出来ずにいると、
「で、お茶は今日のオススメでいいですか?」
「嫌だ」
知ってか知らずか桂が彼女との会話を再開してくれた。同時に刺さってきていた視線が桂へと向く。
――助かった……。
「もー。我が儘なんだから。いい紅茶あるんだから紅茶を――」
「それじゃあ、おまえのオススメは?」
桂を無視し、女性は宇佐木を見る。
「俺が勧めると全部コーヒーになっちゃうけど」
「じゃあコーヒー」
「ちょっとぉぉぉ。紅茶飲んでよぉぉ」
「桂は煩いなぁ。じゃあ、あの子が飲んでるのと同じ物」
人差し指の指先を連れて視線が戻ってきた。
テーブルの上にあるのはまだ手つかずの氷入りの水だけ。
「え。これ、お水ですけど」
「じゃあ水」
「えええええ。紅茶にしてよぉ」
桂が向こうでくねくねと変な動きをしているが、それはいつものこと。
気になったのは、テーブルの上の水だ。
グラスに付いた水滴をなぞる。纏まった水滴が、つるりと滑ってコースターに落ちて吸われていった。
「お水……いつの間に」
「いつも出してるじゃん、水」
宇佐木だ。しかも、てっさが居た席に座って頬杖まで付いている。てっさはというと、隣の席に退かされていた。
「えー、嘘ぉ。それに、これだっていつ持ってきてくれたの?」
「アリスはいつも水飲む前に紅茶飲み始めちゃうから気付いてなかったんだろ」
ということは、いつの間にかやってくるあの時に、いつの間にか水をサーブしていたのだろうか。
今日は席で宇佐木と話すのはこれが初めての筈だが、この水は一体いつ。
――考えるのやめよ。
宇佐木がいつやってきているのかがわからないのと同じくらい、これも知ることの出来ない謎なのだ。
「ところで、あの人だあれ?」
「オーナーの妃」
「あ、だから桂さんが中途半端な敬語なんだ」
入り口方向を眺めていると、一人増えた。まだ子どものような見た目の男の子だ。茶色い癖毛で、目も薄めの茶色をしている。一見すると外国人かハーフのように見える。
「で、あれがエース」
「エース……くん?」
「そ。アレで一応酒飲めるから」
「えええ。じゃあ、私より年上じゃない!」
「あ。そうなるのか」
どう見てもせいぜい中学生なのに。
複雑な気持ちでいると、妃や桂と話していたエースがくるりとこちらを向いて、
「アリスー! わーい、アリスだー!」
手を広げてすっ飛んできた。
「初めまして、アリス。ボクね、エースっていうの」
「えっと、初めまして。有紗です」
「わー、アリスだー」
ちゃんと名乗ったのに、認識されていないのが哀しい。
そして、観察されている。さながら、かごの中の動物か昆虫のようだ。
落ち着かない。
「あ、あの。エース……さんは――」
「さん付けとかやめてよ。呼び捨てでいいよ。かゆくなっちゃう」
「じゃ、じゃあ、くん、はダメかな」
「いいよ。……わぁ。ねえねえ、なんでこのお店入れたの? 結構来てるの? メニュー何が好き? ボクが来るとき、来てくれる?」
矢継ぎ早の質問はくらくらしてしまう。
何を聞かれたか飲み込む暇もない。
「えっと、えっと……」
「紅茶とコーヒーはどっちが好き? イトーくんにはもう会った? そういえばアリスっていくつ?」
「こら、エース。いい加減にしろ。アリスちゃんが困ってるだろう」
救いの神が来た。長身の黒スーツ。ジャックが開いたままだったドアを閉めながら入ってきた。
マシンガンのように質問を放っていた口を尖らせ、エースは振り返る。
「ちぇー。ジャックは口うるさいんだ」
「迷惑かけに来たわけじゃないだろ」
「はぁい。じゃあまたね、アリス」
残念そうに手を振って、エースはとぼとぼと去っていく。
「うん。またお話ししようね。エースくん」
手を振って返すとぱっと笑顔が戻り、来たときと同じようにすっ飛んでいった。
狭い店の中に、自分を含めて六人と一匹。しかも、誰も彼も個性が強すぎて、今日は大変賑やか且つ落ち着かない。
カウンターでは、出されたお茶を飲んでいる妃を囲んで何か話をしている。
「ごめんな、うっさくって」
珍しい。宇佐木がまだ横にいる。エースが居た間はずっと静かだったので、いつものように気が付かないうちに向こうへ戻ってしまっているとばかり思っていた。
「俺、きゃんきゃんうるさいときのエースは犬みたいで苦手」
「確かに、ちょっとテンション高かったね」
宇佐木の機嫌が、すこし斜めだ。初めてこの店に入ったときの無愛想に、マイナスの感情が足されているように見える。彼については、それほど無愛想でもないことや、気さくで昔なじみのように接することが出来る人なのだと通ううちに知った。
――こんなとこまで始めて来たときと同じじゃなくていいんだけどな。
「宇佐木くん」
「うん?」
「いま、凄くぶさいくだよ」
「ぶさ……えっ?」
やっとこっちを向いた。
「理由はわかんないけど、ほら、笑顔笑顔。私、お客さんだよ? そんな顔で接客していいのかなぁ」
「こ、こんなときだけ客ぶって!」
「こんな時だけじゃないもん。ねえ、それより、今日は何がいいかな」
「……言うようになったじゃん、アリス」
宇佐木は悔しそうにして鼻の頭を掻いている。
「今日はな、アンブロシアの……あ、例の強面パティシエの店な。そこのショートケーキあるから、それと、そのケーキあっさりしてるからキャンディとかどうかな」
「キャンディって、紅茶の名前?」
「そう。飴玉じゃねぇぞ」
「それはわかるもん!」
「渋みが少なくって飲みやすいんだ。アイスティーにも向いてるけど、今日はどうする?」
「今日はホットで貰おうかな」
「じゃあ、そのセットな」
「ねー、宇佐木くーん。ジャックが持ち帰り用のコーヒーだってー」
「あーい」
いつもの調子に戻ったところで、桂に呼ばれてしまった。
宇佐木は面倒臭そうに立ち上がり、長身を更に伸ばして伸びをした。
「じゃ、ゆっくりして行けよ、アリス」
「うん」
一瞬目線を落とした隙に、宇佐木はもう居なくなっていた。
「ねー、ボク、持ち帰りのオレンジジュース!」
「そんなもん出してねえよ!」
「えー。じゃあ、アイスのロイヤルミルクティー」
「紅茶は桂に頼めよ」
「お砂糖いっぱい入れてね!」
「おまえは砂糖水でも飲んでろ」
「じゃあ、そうしよっかな。いくら?」
「え? え、えーと……」
エースとの会話を聞くに、飲み物は大体持ち帰ることが出来るようだ。専用のカップを宇佐木が出しているのが見える。
――持ち帰りもいいな。買って帰ろ。
今後、大学の行きがけにもちょっと寄る、ということ選択肢が増えそうだ。
「ぶー……」
他人の温もりが嫌なのか、前足を乗せるだけでなかなか席に戻ってこないてっさを見ながらケーキの到着を待った。
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