十月の花。

三好ハルユキ

「十月の花。」



 ―――十月九日。

 

 

 彼女のために何が出来るのだろうか、としばらく考えているうちに、庭にぼんやりと咲く花を見つけた。種を撒いたわけではないから種類は多くないけれど、小さくて綺麗な花。

 花を贈るのはいいかも知れない。そう思って伸ばした手を、頭の中の彼女が止める。この花を摘んで行っても彼女は喜ばないのではないかと、すぐに不安になった。

自分のために摘み取られた花、だなんて。

 となればどうしようかと少し悩んでから、カメラで写真を撮るという結論へたどり着くのに三時間を要した。そして家から三十分のところにある家電量販店へと向かい、よく分からない説明文を無視してデジタルカメラを購入してきたのが二時間前。そこからどうにも上手く綺麗に写すことが出来ないと苦心すること更に二時間。こんなことなら高校生のときに彼女と同じ写真部へ入っておけば良かったと後悔しつつ、どうにか満足の行く写真が撮れた頃にはすっかり日が暮れていて、自転車で片道一時間かかる病院へ着いて彼女に会う頃には面会時間終了の三十分前だった。

 そしてその経緯を全て説明し終えた今、彼女は半分まぶたを閉じたような複雑な表情でぼくを見ている。休日だというのに丸一日ほったらかしにしてしまったせいかすっかり不機嫌で、話し終えるまで相槌の一つもうってくれなかった。

 入院中に何度も読み返しているらしい漫画本の表紙を人差し指でノックしながら、十秒ほど目を閉じて、息を吸い込み、吐き出した。

 静かに震える唇と上下する胸に見とれていると、不意に、彼女は笑った。

 個室で良かったと安心するくらい大きな声で、病人とは思えないほど大きな声で、僕より二回りも小さいその体からは想像もつかないほど大きな声で、彼女は笑った。

 「あなたって、おかしい人ね」

 そしてぽつりと、結論を出す。褒められたのか貶されたのか、喜んでるのか怒ってるのか、判断がつかなくて戸惑うぼくとは対極の、真っ直ぐな言葉。

 だけどそんなことよりも笑ってくれたことがうれしくて、結局ぼくは喜ぶのだ。

 それから面会時間が終わるまでの二十分間、構図がどうとかピントがどうなどと写真についてのダメ出しを続ける間も、彼女はずっと笑っていた。

 それがうれしくて、ぼくもわらって。

 何をへらへらしているの、と、最後には真面目に怒られた。




 ―――十月十日。



 一朝一夕で習得出来るものではないと確信した。カメラの話だ。

 それでも諦めるわけにはいかないので、面会時間に支障を来さない程度の練習時間を取っていこうと思う。ちなみに昨日、帰り際に彼女を撮ろうとしたら顔を手で隠されてしまった。見た感じいかがわしい店の名簿にしか見えない写真が出来上がってしまったけれど、これはこれで味があるよねとパソコンに保存しておくことにした。ついでにカメラの中にも保護をかけて入れたままにしてあるし、携帯電話にも移して残しておいてある。バレたら怒られそうというか嫌われそうなので、彼女には絶対に秘密だ。それは置いておいて、写真がダメなら次はどうすればいいだろう。食べ物、は病人には優しくないか。絵画、を眺める趣味はなさそうだ。音楽、は好きなものなら自分で買っていると思う。カメラだけにとどまらずあらゆることに対して才能に乏しいぼくなので、選択肢は自然と即物的なものに偏るのだ。いろいろな事情や感想を温かみでねじ伏せるハンドメイド戦法には持ち合わせが無い。そもそも半端なものを差し出したところで納得してくれる彼女ではないと、つい昨日改めて思い知らされたばかりだった。既製品となると後は買値を上げていくしか突き詰める方法が無い。が、一介の大学生であるぼくの懐はデジタルカメラ一つですっからかんと来ている。後先考えずに行動するのはかしこいやり方じゃないよね、ともう一人の自分が優しく諭してくるけれど、うるせぇ結果論だろうがそんなもんと突っぱねきれずに肩を落とす。いいや、気を落とすにはまだ早い。お金なんてものが無い時代から人と人は寄り添って生きてきたはずなのだから、そんなものに頼らずに相手を喜ばせる方法なんていくらでもあるはずだ。というかそうでないと困る。いやぶっちゃけた話をすれば喜ばせたいのではなく、喜ばれたいのだ。同じようでその差は大きい。彼女が笑っていてくれればそれでいいとか、幸せになってくれるだけでいいとか、そういう慈愛みたいな感情は欠片も持ち合わせていない。笑う理由ならぼくであってほしいし、喜ぶのならぼくのせいであってほしいし、怒るのも、まぁ、他の人よりはぼくが原因の方がいい。もらったものが嗜好に合っているから嬉しいなどというのは当然で、その前にぼくからそれをもらったことがうれしいと思われるようになりたい。

 そこまで考えたところで、ふと、自分にしか出来ないもの、とか生み出せないかななんて思ってみたりして。

 「というわけで、試しに作詞してきてみたんだけど」

 「恥ずかしいからやめてちょうだい」

 メモを取り出す前に断られた。そりゃそうだ。

 結局ぼくには、カメラ以外の選択肢はないらしい。




 朝が来れば身支度をして学校へ行く。


 昼になればごはんを食べる。


 講義が終われば家に帰って撮影の練習をする。


 日が沈む前に病院に行く。


 受付で彼女の病室の番号と自分の名前を書く。


 面会者用の札を付けてエレベーターに乗る。


 六階で降りて彼女の病室に向かう。


 廊下に備え付けてある消毒液で手を揉んでからノックをする。


 返事が聞こえてきてからドアを開ける。


 彼女が窓際のベッドで漫画に視線を落としている。


 声をかけると視線がこちらへ移る。


 そして表情、が        。


 目を丸くして、眉をハの字にして、口元は少し笑って、頬を歪ませて、それで、それから。


 「なに泣いてるの、しゃきっとしなさい」


 ぼくにそう言った。


 ぼくは、答えられただろうか。




 ―――十月十一日。



 昼休みに大学の中を撮って回る。

 進学出来なかった彼女にそれを見せるのは気が引けるので、あくまでカメラの練習だ。最近のデジタルカメラなら誰にでもある程度キレイな写真は撮れるものだと彼女は語るが、ぼくの腕前をもってすればそんな一般論に意味などない。

 ド下手だった。

 彼女を写したときは結構上手く撮れたのにな、と写真を見返しながら首を捻る。

 こう、この、手相の感じとか、いいじゃないか。

 彼女の生命線は長いのだ。医者に言われた余命に反して。

 「なにしてるんですか?」

 学食のメニューや料理の模型を撮影していると、知らない女子に話しかけられた。と思っていたら次にぼくの名前を呼んで「学食に居るの、めずらしいですよね」と事実を言い当ててきたので、向こうはぼくを知っているらしい。

 「趣味なんです、カメラ。始めたばっかりなんですけど」

 警備員さんに声をかけられる可能性を考慮してあらかじめ用意していた言葉を口にする。知らない人(ということにしておこう)と話すのは苦手だった。どうも興味の無いものにはピントが合わず、言葉の継ぎ方までぼやけてしまうらしい。

 ぼくの言葉に、そうなんですね、と答えて、その女子はそのまま黙った。ので、練習に戻ることにする。フォークがパスタに巻き上げられている定番の模型。撮る。実際に出てくるものより明らかにチャーシューの数が多いラーメン。撮る。色が剥げて虫の繭みたいな物体に見えるものがオムライスであると気付いたところで、また声をかけられた。

 「人物は撮らないんでしょうか?」

 まだ居たのか、と内心びっくりしつつ、いや別に撮らないこともないですけど、と早口で答える。盗撮だなんだと言われるのが怖いので、キャンパスの中で人を撮ろうとしたことはない。許可を取ってから撮影するならモデルは彼女でいい。顔、隠されるけど。

 ぼくの答えをどう受け取ったのか、その女子は指で前髪を払って、そっとチョキを出した。

 「……」

 「……」

 とりあえずグーを出しておいた。

 勝った。

 「…………」

 「…………」

 後出しで勝ち誇っていいものだろうか。




 ―――十月十二日。



 「これはなに?」

 「家の近所に居た猫」

 「これは?」

 「駅前のコンビニ。楽器屋が潰れたんだ」

 「こっちは?」

 「妹が飼ってる金魚」

 「…………あら?」

 「あ、それは」

 「神代さんよね、これ」

 「カジロサン?」

 「ん?」

 「え?」

 「神代智里さんでしょ?」

 「うん? うん。え、知り合い?」









 怒られた。









 ―――十月十三日。



 別に彼女以外の人には興味がないのだとか、そういう極端な感性を持っているわけではない。

 ここのところ彼女のことばかり考えていたのは事実だけれど、ぼくにも他に好きなものはあるし、カメラ以外の趣味だってある。ただそれに時間を割く理由が、彼女のことを考える時間を割く理由にならないだけで。

 「というわけで、ごめんなさい」

 今日も学食の前に居たらあの女子、もとい、高校三年生のときクラスメイトだった神代さんがやってきたので、事情を説明して頭を下げた。

 顔を覚えていなかったという話をしたら表情が翳り、彼女に怒られたという話をしたら目を白黒させて、謝ったら大慌てで頭を上げてくださいと繰り返し、落ち着く頃にはすっかり疲労困憊の神代さんがそこに居た。犯人はぼくで間違いないのだけれど、他にどうすればよかったというのだ。

 たとえば、彼女が怒る理由は九分九厘察することが出来るぼくではある。なのにそれ以外の人ががっかりしたりめそめそしたりしていてもどうしたんだいとしか言いようがないのは興味のあるなしではなく、単に見ていた時間の差だろう。

 ぼくは長い間彼女を見ていた。二つもあるぼくの目はいつも一つのものしか見ていなかったから、彼女以外のものに目をやる時間は同じ分だけ少なかった。

 だから。でも。それでも。

 「写真を撮らせてもらえますか」

 ぼくはカメラを構える。

 彼女じゃないものにピントを合わせるのは酷く苦手だけれど。

 それでも一朝一夕では済まさない努力をするのだと、決めたから。

 神代さんは大慌てで前髪を整えて、襟を正して、それから、チョキを出した。

 そこに拳を向けるのも、ハサミを突き付けるのも、正解じゃない。

 いつだって愛の次に語られるそれは、アンドの後のピースサインだ。






 

 

 十月九日。



 いつもの時間になっても彼は来なかった。

 毎日来るとは限らない。別に約束があるわけじゃない。

 約束があるわけでもないのに、彼は毎日来てくれていた。

 それを当たり前だと思ってしまっていた自分のことが、妙に腹立たしくて。

 そうしてそのうち、事故にでも遭ったんじゃないかと不安になって。

 時間ぎりぎりになって、ばたばたと。

 真新しいカメラを手にのこのことやってきた彼は、いつも通りの暢気な顔で。

 苦労して撮ったのだと語る白い花の名前をわたしは知らないけれど。

 その花は、わたしの幸せの形をしていた。




 十月十日。



 なんかわたしのためにポエムを書いてきたらしい。

 アホか。




 十月十一日。



 写真の練習に苦心しているらしい。

 ポエム、聞いてあげた方がよかったのかな。

 あーいややっぱ無理、病気の前に恥ずかしさで死ぬ。



 十月十二日。



 とりあえず説教しといた。




 十月十三日。



 きょう は

今日はやめておこう。



 十月十四日。



 しあわせに



 

 十月十五日。






 十月十六日。






 十月十七日。



 




 ―――十月九日。



 彼女のために何が出来るのだろうか、と悩んでいるうちに季節は巡り、庭先にまた花が咲いた。白くて小さい花。ぼくはほとんど悩まずに近くまで寄って、シャッターを下ろす。

 随分と使い込んだような見た目になったカメラを、視線から外して花を見る。ぼくの目よりもきっと、カメラのレンズの方が上手に世界を写している。

 それでも構わない気がした。

 彼女に見せるのはぼくの目が映す光ではなく、このカメラが切り取った影だから。

 「なにしてるんですか?」

 背中に声がかかる。

 多分、そろそろ出かける時間だ。

 「今行くよ、智里」

 久々に、綺麗な写真も撮れたから。

 今日は彼女に会いに行こうと、決めていた。


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十月の花。 三好ハルユキ @iamyoshi913

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