第26話 武力だけが戦いではない
どうなることかと思っていたが、終わってみれば君影隊の圧勝であった。こちらの被害は死者ゼロ、怪我十四人。その十四人も、怪我の原因は王子の罠だというのだから笑えない。
スヴェンは踏み荒らされた畑を歩き回り、運悪く逃げ遅れた猪や、運良く生き残っていた野菜を処理して回った。残党狩りというのはいつだって胸糞悪くなるものなのに、この日ばかりは食欲が湧いた。
あー……。今日の夕飯どうするかな。空を見上げ、どうでもいいことに思いを馳せる。この調子なら、今日のうちには王都に戻れるかもしれない。
なんだか今日は疲れた。戻ってから料理をする気など起きそうにない。もう野菜の下処理は五年ぶんくらいやった気がするし。あとなんかわかんないけど疲れた。王子がいると無駄に体力を浪費する。なんで怪我には労災おりるのに、心の疲れには手当出ないんだろう。
そんな疲労感溢れる脳みそを抱えていたとしても、スヴェンは軍人だった。鋭い殺気に体が勝手に反応する。
大きく仰け反ったスヴェンの鼻先を、矢が掠めた。バッと振り返ると、スヴェンに矢を射たでっけぇ茄子はすでにクリスによって拘束されていた。
「隊長! ……なんで無事なんですか?」
「なんで不満そうなんだよ」
「いや、つい深層心理が」
関節がないくせに関節を極められた茄子が、歯がないくせに悔しそうに奥歯を噛みしめる。スヴェンは靴の踵を打ち鳴らしながら、茄子の眼前(目ないけど)までやってくる。
辺りを見回す。もう生きている(?)野菜はこの茄子しか残っていない。
「お前が最後の一人だ。何か言い残すことはあるか?」
駄目元で聞いてみる。すると茄子は、頭から伸びたツタを懸命に伸ばした。一体何をするつもりかと、茄子を拘束しているクリスが慌ててツタを切り落とそうとする。
「待て!」
「……いいんですか」
茄子の動きに警戒だけは怠らず、クリスが目だけをスヴェンに向けた。
「遺言くらい聞いてやろう」
「喋れもしない野菜の遺言って……」
クリスは不満げであったが、渋々ナイフを地面に向けた。鞘にはしまわない。
茄子はツタの先を地面に這わせている。一体何をしているのかとそれを覗き込んだ。途端、スヴェンとクリスの顔が引きつった。
地面には、『我らの完敗だ、人の子よ』と書かれていた。
「喋った!?」
隙だらけになったクリスが大声で叫んだ。ちなみに茄子は喋ってはいない。文字を書いただけだ。いやまあ、それでも十分驚異的なんだけど。
茄子はクリスの反応を見て、やや得意げに胸(?)を張った。続きを書こうとするが、本体はクリスに抑えられているため、ツタの長さが足りない。しばしツタを引っ張って格闘したが、やがて諦めた様子で肩(?)を落とした。当のクリスは一生懸命ツタを引っ張る茄子を、面白そうに眺めている。
茄子はささっと先ほどの文字を消し、その上に新たな文字を綴った。
『敗者となった時点で、我らに命がないことは、重々承知だ。それだけの覚悟はしてきた。今更命乞いなどしない』
「最近の茄子って男前ですね」
「お前よりはな」
『しかし願わくは、一つ頼みがある』
茄子はそこで言葉を切り、スヴェンを見上げた。
『この戦いで我らは、美味しく食べてもらう喜びを、思い出した。
我らはこの戦いで革新を求めた。それを後悔はしていない。だが、そのせいで古くからの喜びを、忘れてしまったらしい。
今思えば、どうかしていたとしか思えない。巨大化し力を得ると同時に、まるで誰かに思考をコントロールされていたかのようだ。……いや、今のは忘れてくれ。おかしなことを言った』
スヴェンが横目で王子を睨む。王子は口笛を吹きながらそっぽを向いていた。
『どうか、私を食ってはくれまいか。貴殿がリーダーだな。私は、我らを打ち破った勇敢なる人の子に、きれいに、食べきってほしい』
後半は明らかにスヴェンに向けての言葉だった。しかしリーダーはスヴェンではない。王子だ。スヴェンは首を振った。
「残念だが、俺にその決定権はない」
眉(?)を潜める茄子。王子の存在を伝えようとした時、後ろから当の王子が現れ、口を挟んだ。まだ残党がいるかもしれないのに、総大将が戦場をうろつくとか本当やめてほしい。
「いや、今回の功労者は間違いなくスヴェンたちだよ。僕みたいに高みの見物で指示だけ出したような人間に、彼らを食べる権利などない。実際に手を下した君影隊隊員こそが、食べるべきだ」
王子の言葉に、茄子が期待のこもった眼差し(?)を向ける。当然、スヴェンに異論などなかった。
「……わかった。お前の願い、聞き入れよう」
結局茄子は、薄切りにして焼くというシンプルな調理法でいただくこととなった。
総勢五十名程の君影隊全員で食べることとなっても、茄子はかなり大きく、一人頭のノルマはかなりのものだ。
スヴェンは丁寧に手を合わせた。
「いただきます」
一口かじる。
うごふぁっ!!!
ぎりぎりだった。ぎりぎりで……吐き出さずに済んだ。思考回路が真っ白になる。
うっそだろなんだこれ。なんだこれなんだこれなんだこれ!
(ほ、本当に茄子か?)
額にびっしりと脂汗が浮かんだ。
この巨大茄子は……一言で言うと、くそまずい。
茄子っぽい味がしなくはない。けれどなんというか、後から来る何由来かわからない臭みとか、腐ってるとしか思えない強烈な酸味とか、胸の奥からこみ上げるような、まあぶっちゃけると吐き気だけれど、それを誘発するえぐみとか。
戦場で食う携帯食料の方がうん万倍ましである。
「ぎゃあっ!」
「ごふっ」
「げえっ」
「うえええっ!」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
よく見ると、片腕を斬り飛ばされても、悲鳴一つあげずに戦い続けられるくらいには訓練された、百戦錬磨の君影隊隊員たちが、咀嚼し、嚥下するというただそれだけの行為に苦戦し、阿鼻叫喚の地獄絵図を作り出している。
クリスに至っては、口から白い泡を吹いて気を失っていた。え、ちょっと、あれ死んでない? 本当に大丈夫?
スヴェン本人も、吐き出そうとする本能と、飲み込もうとする理性がせめぎ合い、全身から汗が噴き出していた。水をがぶがぶと飲んで、その勢いで無理くり飲み下す。口の端からこぼれた水を手の甲で拭う。そして山と積まれた焼き茄子を見た。その瞳に絶望が映る。
(あ、あれ全部食い切るのか? 一口でこれなのに)
「スヴェン」
呼ばれ、振り返ると、そこには笑顔の王子が立っていた。両手には湯気の立つ焼き茄子が。
「はい、おかわり持ってきたよ。いっぱいあるからどんどん食べてね」
「お、王子も食べたらどうです?」
せめて道連れに。しかしスヴェンの目論見などとうに見破られているのだろう。王子は笑顔を崩さないまま首を振った。
「さっき言っただろう。僕にその資格はない」
「しかし量もありますし」
食い下がるスヴェンだったが、王子は頑として頷かなかった。この野郎、味知ってやがるな。
王子から押し付けられた、匂いだけはやたら美味しそうな焼き茄子を睨む。俺もクリスみたいに倒れられたら、この地獄から抜け出せたのだろうか。そう思って、生きてるのか死んでるのかもよく分からないクリスに目を向けると、王子がバシバシとクリスを叩き起こしているのが見えた。
焦点の定まらないクリスの視点。明らかに青白い顔色。この時の彼は、ただただ哀れだった。しかし王子はクリスの意識が戻ったことだけ確認すると、その口に無理やり茄子を詰め込む。クリスが口いっぱいに茄子を頬張ったまま再び気を失った。鬼か。
王子は君影隊の隊員たちの間を、死神さながらの様相で行き来した。もはや王子が近づくだけで気を失う者もいる。
鼻歌交じりに歩き回る王子の口が小さく動いた。読唇術はあまり得意ではないが、間違いなく「味の改良は課題だなー。いいデータが取れてよかった」と呟いているのを理解した。
スヴェンは深呼吸をした。コツは、噛まないことだ。なるべく舌にも触れさせず、一気に飲み下す。人の味蕾の多くは舌上に位置しているからだ。
「うぐっ! ……はあっ、はあっ」
覚悟を決めて、飲み下す。わかっていたからか、先ほどよりも動揺は小さい。
指先が小刻みに震えていた。この俺が、恐怖している? 君影隊隊長であるこの俺が? ドラゴンにさえ立ち向かい、あの馬鹿王子相手にいつも死闘を繰り広げている、この俺が?
ここまでくると、茄子が食べてくれと嘆願したのは、スヴェンたちを苦しめるという復讐が目的だったんじゃないかとも思えてくる。だがしかし、茄子の表情(?)は、真剣そのものだった。仮に相手が野菜であっても、死者の遺言を蔑ろにするほど、スヴェンは落ちぶれてはいない。
スヴェンたちの本当の戦いは、ここから始まったのだった。
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