第22話 王子からの手紙とか不吉な予感しかしない

 研究施設から拠点へ戻ると、王子と参謀が地図を開いて軍議を開いていた。扉が開いた音で、全員がスヴェンらを振り向く。

 あちこちから声がかけられる。ここにいるのはほとんどが君影隊隊員。つまりスヴェンの部下だ。「ああ、ただいま」と適当に応えながら、スヴェンは正面の王子の所へ向かった。


 机上の地図は、研究施設とその周囲のものだった。冗談にしては不謹慎だが、おもちゃの人参やらキャベツやらが、敵兵の駒の代わりに置かれている。味方はチェスのナイトの駒だ。

 それを見る限り、どうやらまだ良案は浮かんでいないらしい。


「やあ、おかえりスヴェン。偵察はどうだった?」


 緊迫した雰囲気など一切見せずに、王子がスヴェンを労う。今日の王子はラフな服の上に白衣を着込み、黒縁眼鏡をかけている。けれど王子は視力がいいから、これは伊達だ。長い金の髪は背中に流すように編み込んである。今流行の崩しなんぞを入れているせいで、顔や首に後れ毛がかかっていて、むしろ邪魔そうだった。

 スヴェンは机上の地図も全てひっくり返して、何もなかったことにしたい気分に襲われながら、辛うじてその思いを撃退していた。感情を殺すことに全力を注いだ全身からは力が抜け落ち、がっくりと肩を落とす。


「どうもこうもありませんよ……。なんなんですか、あれは」

「事前に話したじゃないか。野菜だよ」


 野菜。食用の草本植物の総称。無機塩類やビタミン、食物繊維が豊富。

 遠目にならば、スヴェンも確かにその姿を確認している。それでも未だに信じられない。


「……私の知っている野菜は、築城したり剣を振るったり矢を射たり……というか、動いたりしないのですが」

「まあ、そりゃあ、普通の野菜が相手だったら、わざわざスヴェンを呼んだりしないよ。僕は好き嫌いしない方だし。

 あと築城はしていない。あれは僕が作ったからね」


 王子はひらひら手を振りながら、反対の手でスムージーを飲んでいる。緑色だから、たぶん野菜が使われているのだろう。あの野菜たちも、こんな風に簡単に処理できたらよかったのに。


 右手の親指と中指で、ぐりぐりとこめかみを刺激した。心地よい痛みが広がり、頭痛が緩和される。

 王子の異常性には、慣れっこになったと思っていた。世間からは未だ、赴任したばかりという扱いだが、もう隊長に就任してから、それなりに経つのだ。だが今回のこれは、さすがのスヴェンでもちょっと脳がついていかない。


 こんな事態を引き起こしておきながら動揺していないという時点で、良きにしろ悪しきにしろ、王子はやはり天才なのだろう。凡人のスヴェンとは違う。


 スヴェンの閉じた瞼の裏側に、今回の事件の始まりを告げた一枚の置き手紙が浮かぶ。あれは、スヴェンとクリスが王子のわがままに振り回され、疲れる心を引きずりながら、ようやく王都に帰還した時のことだ。

 普段であれば、五十名程の君影隊の、少なくとも半数はいるはずの執務室に、人の気配が全くなかった。怪訝に思いながらも自分のデスクに戻ると、そこには王子からの置き手紙が置かれていたのだ。





『スヴェン、クリスへ。

 長旅ご苦労様。さて、さっそくで悪いが、ちょっと問題が発生してね。他の部署には決して知られないようにして、今すぐにアウグルド国立研究所まで来て欲しい。ただし、直接研究所までは行かず、その手前の展望台に寄ってくれ。

 部下たちが誰もいなくて、さぞ驚いたことだろう。彼らには、すでにアウグルドで働いてもらっている。詳細はこちらで話そう。

 それから、この手紙は読んだらすぐに燃やすように。万一封が開いていたなど、誰かが読んだ形跡があれば、紙は燃やさずに僕に教えてくれ。

 繰り返すが、このことは誰にも知られてはいけない。父上にもだ。

 健闘を祈る。

                            ディーデリック』





 不審に思いながらも、間違いなく王子の筆跡であったし、君影隊にとって王子の言葉は絶対だ。他部署の連中には、合同演習と銘打っておいた。幸いなことに、王都において、王子のわがままに振り回されつつも真面目に働くスヴェンの評判は、かなり高い。疑ってくる者などいなかった。


 アウグルド研究所は、主要都市からはやや離れた山中にある施設だ。研究施設としては一流で、学者気質のある王子は二月程前に、貴族であるハドルストーン家の支援を受け、世界中で問題視されている食糧難を解決すべく、意気揚々と乗り込んで行ったはずだ。

 特に今期は異常気象が多く見られ、作物の出来が悪かった。それは農地に限った話ではなく、山の幸にも大いに影響を与えていた。その証拠に、各地で猪や鹿、猿などの被害も相次いでいる。このことが、貴族の重い腰を上げさせる結果につながったのだそうだ。


 アウグルド研究所の専門は植物だから、そこには広大な農地が必要である。そのためこんな田舎に施設を作ったのだろうが、その便の悪さが、ただでさえ気の短いスヴェンを苛立たせた。王子からの奇妙な手紙が気になって、ただでさえ長い移動時間が、その倍以上の体感をスヴェンに与える。

 汽車で数時間。そこから乗合馬車で数時間。さらにそこから徒歩で数十分。ようよう辿り着いた展望台は、物々しい雰囲気に包まれていた。


「……?」


 まるで戦争の準備でもするかのように、あちこちには糧食と武器が積まれていた。展望台周辺には、明らかに作ったばかりだとわかる壕が掘ってあるし、数ヶ月前に訪れた時にはなかった真新しい防壁まで備えてあった。


「あ、隊長! 副隊長も!」

 スヴェンたちを見つけた部下が、小走りに寄ってくる。


「……これは一体、どういう事態だ?」

「それは……。俺の口からはちょっと。というか、言っても信じないと思います」


 苦笑いをしながら、部下は頬を掻いた。そして展望台の最上階、物見を指で示す。


「王子はあちらにおいでです。どうぞ、王子から直接話を聞いてください」

「わかった」


 展望台の長い階段を登り終えると、大きな両開きの扉がある。ノックはしたが、返事を待つのももどかしく、スヴェンはさっさとそれを開けた。ここは王城ではない。多少の無礼は大目に見てもらえるだろう。

 中には王子と、他数名の研究者と思しき白衣の者たち、それから部下の中でも知略に富んだ者たちが、卓を囲んでいた。

 王子はこちらを見て微笑んだ。


「ああ、よく来てくれた。スヴェン、クリス。

 ……ばれていないだろうね?」

 スヴェンは無言のまま頷いた。それを見て王子はほっと胸をなでおろす。

「それは良かった」

「で、一体何があったんです? まさか……内乱ですか?」


 現場の様子を見て、スヴェンはそう判断していた。表に集まっていた武器等は、戦争の準備にしては規模が小さいし、もし戦争なら五十人でどうこうできる問題ではない。とすれば、思いつくのは内乱だ。

 戦闘経験のない研究所の連中が内乱を起こした。そう考えれば、事を大きくする前に内々で処理するため、王子が直属の部隊だけを動員したのにも納得がいく。それに素人相手なら五十人でも制圧可能だろう。


 白衣を着た研究者たちが、むっとしてスヴェンを睨んでくる。だがこちとら軍人なのだ。そんなものに怯むような、やわな神経はしていない。

 そんなスヴェンの考えを、しかし王子は「惜しいっ」と指を弾いて否定した。


「いい線いってるよ。でも、内乱を起こしたのは研究所の人間じゃない。

 研究所の野菜だ」

「…………は?」


 王子が何を言ってるのか、さっぱり分からない。いや待って。本当にちょっと本気で訳が分からない。野菜が内乱って何? もしかして隠語? 野菜はマフィアを意味するとかそんなん?

 目を白黒させるスヴェンとクリスに、王子は残念なことに、至って真面目な口調で言った。


「そうだよね。そうなるよね。分かる分かる。

 でもね、残念ながら本当のことだ。今回武器をとって研究所に立てこもったのは、正真正銘、野菜なんだ」


 王子はまじめくさった様子で説明を続ける。聞けば聞くほどに頭痛がひどくなっていくようだったが、王子の話が真実であると仮定すると、状況はこういうことらしい。



 王子の手で品種改良がなされた野菜が、反乱を起こした。



 馬鹿じゃねえの? 喉まで出かけた言葉をぐっと飲み込む。

 曰く、食糧難を解決するため、大きく育つようにした。季節を問わず収穫できるようにした。目論見通り、研究所の野菜は人間サイズまで成長し、春夏秋冬の野菜がハウス栽培などしなくても、手に入るようになった。


「そして同時に、なぜか自由意志と運動機能を持った」

「そこを一番詳しく聞きたかったんですが」

「なんでだろうね? いくら僕が天才だからって、分からないことはあるんだよ」


 王子は机の引き出しから一枚の紙切れを取り出した。


「なんですか? これ」

「声明文。『これまで我々野菜は、人間に食べられることを宿命づけられてきた。しかしそれは我らの本懐ではない。我々ベジタブル連合軍は野菜権を主張する。誰かに食われるという惨事に怯える事のない世界を要求し、この研究所に、新しい国家を設立する』とまあ、そんな感じのことが書いてある。

 僕がオルトバーネスの王子なのは、どうやら知れてるらしくてね。田舎とはいえ、ここはオルトバーネスの領土だ。そこに勝手に建国しようっていうんだから。

 そうなると当然、野菜たちの要求は、僕に自治を認めろってことになるわけだ」


 オルトバーネスの王太子であるディーデリック王子が、野菜国の自治権を認めたとしよう。それはすなわち、この世界でも有数の大国であるオルトバーネスが自治を認めたと、他国はそう考えるだろう。

 こんな小さな領土、くれてやったところでオルトバーネスの優位が揺るぐことはないが、それでも国内は混乱する。その混乱に乗じて、良からぬ考えを持つ国があってもおかしくはない。


 そこで未だに信じきれていないスヴェンとクリスで、とりあえず偵察に出る事になったのだが……王子が対猪用に改築したという城門に阻まれ、退散する羽目になったのだ。猪相手にそこまで徹底した防壁を作るんじゃねえよ。


「おーい、スヴェン? 聞いてる?」

「聞いてます聞いてます」

 王子の声に、スヴェンの脳は現実に帰還した。


「さて。じゃあ隊長、副隊長も帰ってきたことだし、今後どうすべきか、軍議を始めようか」


 王子が二つの空いた椅子に手のひらを向けた。座れということだろう。スヴェンはさっと周囲を見渡す。席に着いているのはスヴェンとクリスを除いて六名。君影隊の分隊長四人と白衣の男が一人、それから王子だ。

 全員が席に着いたことを確認すると、王子は咳払いをして声を張った。


「さて、まず状況を整理しよう。

 ベジタブル連合軍は、研究所の門扉を閉ざし、そこに独立国家の樹立を宣言している。しかし僕たちはそれを認めるわけにはいかない。ここは紛れもなくオルトバーネス領土だからね。

 そして彼ら……野菜って彼かな? まあいいか。彼らは武装していて、話が通じる状態ではない。何度か使者を送ったが、帰ってきたのは矢の雨だ。となればこちらも武力でもって彼らの主張を退ける必要がある」


 王子はそこで言葉を切って、全員を見回した。そこまでで異論がある者はいないらしい。唯一表情が変わったのは、第三分隊長のサムソンだ。悔しそうに歯ぎしりをしている。交渉に失敗したのは、彼の隊員なのだろう。


「敵の数は、およそ五百。作った僕たちが保証する。勝手に増えないように遺伝子をいじってあるから、減ることはあっても、これより増えることは有り得ないと思ってくれていい」

 王子の言葉に、白衣の男も小さく顎を引いた。

「そして味方の戦闘員は、君影隊四十五名。後方支援として、研究所の人員がいるが、彼らは民間人だ。戦闘は任せられない。

 さらに敵兵は、何せ植物だからね、簡単には死なない。だが喫食部に調理の下準備を思わせる傷をつければ、動かなくなることが分かっている」


 スヴェンが無言のまま手を挙げた。

「はい、スヴェンくん」

 王子がスヴェンを指差して発言を許す。

「戦力が足りません。要請しないのは何故です? ここは田舎とはいえ、幸いにも、駆鳥で行ける距離には大都市があります。そこならば常駐兵がいるはずでしょう」


 王子はわざわざスヴェンに、国王にばれないように、との条件をつけてきた。だが現実的に考えて、十倍の戦力を打ち崩すのはかなり困難だ。しかも敵は籠城している。基本的に戦争は攻めるよりも守るほうが簡単だ。それを踏まえると、この戦力差は絶望的と言える。


 それでもスヴェンは、つい先ほどまではこの戦争に希望を持っていた。何しろ敵は野菜なのだ。野菜に戦闘経験などあるはずもなく、対するこちらは若いながらも卓越した才能を持つ現役の軍人。勝ち目は十分にあるはずだった。

 しかし、偵察に出た結果は散々だった。確かに、野菜の弓のコントロールは甘かったし、部下の話によると、野菜の剣の扱いは素人そのものだそうだ。


 だが、死を全く恐れずに向かってきて、人と可動域が異なるが故にトリッキーな動きをする野菜は、思いの外戦いにくかった。

 そして何より、あの城壁。冗談みたいに頑丈で、侵入者を確実に殺そうとする罠が至る所にある。これを王子が作っていやがったというのだから、本当もういっそ死ねばいいのに。

 その王子はスヴェンの提案に、実に痛ましげに俯いた。


「それは……最終手段にしたいんだ」

「その理由を、お聞かせ願えますか」

「理由は二つある。まず一つ目は、これほどの騒動を起こしてしまった責任を、誰が取るか、という話だ」


 王子の言葉に、白衣の男がギクリと体を竦ませた。


「仮にも国に刃向かったんだ。ただでは済まない。しかしその主犯が野菜だなんて、頭の固い国のトップ連中が認めると思うかい?」

「……無理でしょうね。誰かしらを犯人に仕立て上げるはずです」


 野菜に反乱を起こされ、あまつさえ正規軍まで動かす羽目になるなど、恥以外の何物でもない。


「でしょ? 僕もそう思う。そうなると、この野菜を作ったやつが怪しい! ってなるわけだ」

「それ王子ですよね?」

「うん僕」


 王子は両手にピースサインを作って、人差し指と中指をわきわき動かした。


「けどね、父上が僕に責任を負わせるとは、とても思えないんだよ。まあ少なくとも、母上は断固反対するね。薄汚い力を総動員して、僕を助けようとするだろう。賭けてもいい」

「……でしょうね」


 国王夫妻は、王子をそれはそれは可愛がっている。国王はそれでも、国の長として常識のあるお方だが……母のそれは尋常ではなく、王子の責任を誰かになすりつけるくらい、簡単にやりそうだ。


「僕のせいで起きた事件を、研究所の責任者……まあそこにいる彼だけど、彼に背負わせるのは、僕の流儀に反する。だからなるべくなら、内々に処理したいんだ。護衛隊だけで事を収めることができれば、それも可能だろう?」


 ……なるほど。王子の言うことも、分からなくはない。


「ちなみに、もう一つの理由は?」

「悔しいじゃないか」

 スヴェンの問いに、王子は食い気味に答えた。眉をひそめるスヴェンの様子にも気付かず、王子は一人ヒートアップしている。


「だってだってだって、この僕が! 作った野菜に反乱を起こされて研究所を追い出されたんだよ!? いや、そりゃあね。最初はびっくりして少し喜んだよ? さすが僕、こーんなすごい野菜作れるのは僕しかいなーいって!

 別にいいんだ、反抗期も。全部が全部思い通りにいったって、何にも面白くないもん。でもさ、そのままって訳にはいかないよね。僕に逆らったんだよ? この僕に。思い知らせてあげなきゃいけないじゃないか。どっちが上かってことをさ!」


 王子はすごく楽しそうに、真っ黒い笑みを浮かべている。君影隊員の全員が、そっと王子を視界から外した。俺たちが忠誠を誓っている王子があんな狂った笑顔を浮かべるはずがない。全員がそれを願い、現実から目を背けている。王子を真っ向から見ているのは、呆気にとられた白衣の男だけだ。


「さて、ここで質問だ。何か良い作戦を思いついた人は、いる?」


 たっぷりと時間をかけて、王子は周囲を見回した。誰も何も言わない。スヴェンとて、先ほどから必死に脳みそを絞っているのだが、この戦力差を埋める策は浮かばない。唯一思いついたのは、『作戦なんか立てずに、各々の最大火力で野菜をぶっ壊す』ということだが、個々人の破壊力に頼った力押しは、作戦とは呼べない。


「と、ゆーわけで!!」


 王子が手を叩いて立ち上がった。視線が再び王子に集まる。

「天才軍師の僕が作戦を考えました! 必要な駒も全部揃ったし、お前たちは何も考えず、僕に従っていればいい」


 地図の上で途方に暮れていたナイトを、王子がひょいと拾いあげた。軽くキスをして、その駒を研究所の真上に打ち立てる。その衝撃で、ミニチュアの野菜が転がった。


「そうすれば、僕が必ず君たちを勝利に導いてあげよう。

 ……さあ、始めようじゃないか。勝ちの決まったゲームをね」


 自信満々に王子は言い放つ。それを見て、白衣の男だけが「おお!」と目を輝かせた。残りの部下達は……全員が全員、嫌な予感に表情を曇らせるのだった。

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