第11話「隊長の死亡フラグ!」「おい」

「とは言ったものの……。この山全部が捜索範囲とか、本気で探すつもりですか」


 村長の家を出るとすぐに、スヴェンとクリスは巨大蛾が出没するという山に分け入った。目撃場所はかなりバラバラで、山の全域に及んでいる。とてもではないが、二人で捜せるような範囲ではない。


 蛾に出会った瞬間に、戦闘が開始するだろうことを踏まえると、戦力の分散もなるべく避けたい。スヴェンにしろクリスにしろ、自分の実力には自信があるが、自信と過信の違いがどこにあるかということは、しっかり弁えている。


「暑いし。もう帰りたい」


 スヴェンは無言のまま、弱音を吐き続けるクリスを睨みつけた。弱音を吐いている割には、彼は疲れた様子など微塵も見せない。汗をかいているのは、疲労のせいではなく、暑さのせいだ。クリスは軍服のインナーをぱたぱたと仰いで、風を送っている。


「やめろ。だらしない」

「だって、あっついんですもん」

「我慢しろ」

「嫌です」

「お前なあ」


 叱られ、肩をすくめたクリスは、半眼でスヴェンの服を見つめ、大げさにため息をついた。


「隊長こそ、少しは着崩したらどうです? 見てるこっちが暑くなる」


 スヴェンは上着こそ脱いでいるものの、シャツとパンツはしっかりと着込んでいる。そうでないと落ち着かないのだ。

 無論、暑くないわけではない。長い髪の内側で、汗が流れ落ちるのが分かった。一括りにまとめた髪の先から、小さな雫がしたたり落ちる。指の先で汗の玉をすくいとり、地面に投げ捨てた。


「俺はいい」

「頑固者ですねえ」

「うるせえ」


 無駄口を叩いていたスヴェンとクリスが、ピタリと口をつぐんだ。揃って山頂を見上げる。


 山頂から、羽音がした。

 ちょうど太陽に重なる形でとても見にくいが、何やらとてつもなく巨大な影が、そこにはあった。

 手を目の上に翳したクリスが、小さく呻いた。クリスもスヴェンと同じことを考えたに違いない。話が違う。そう思ったのだ。何しろその影の大きさは、人間どころの騒ぎではない。民家くらいはありそうだった。


(いくらなんでも、でかすぎる)


 スヴェンは内心で舌を巻いていた。あの巨体が生み出す力が、いったいどれほどの大きさになるのか。それは果たして人間が対抗できるような代物なのか。


「少なくとも……あの大きさは、二人で対処するような相手じゃないですね」

「最低でも、一個分隊くらいは欲しいよなあ」


 怪物とはまだ距離がある。スヴェンにしろクリスにしろ、その態度はのんびりとしたものだった。まるで他人事のように戦力差を分析する。


「何より装備ですよ。重火器が欲しいです。大砲とか。

 あれ、蛾なんでしょう? 空を飛ばれたら、俺の槌も隊長の剣も、届かないじゃないですか」

「まさか蛾と戦うことになるなんて、思ってもなかったからなあ。俺は、王子の犬探しのつもりだったんだぞ。なんでこうなったんだか」

「相手は一匹ですかね」

「だといいがな。蛾であることを考えれば、群れで襲ってくる可能性も捨てきれん」


 考えれば考えるほど、戦況は絶望的である。スヴェンとクリスは互いに顔を見合わせた。


「……どうします?」

「んー……王子の犬さえ見つかればなあ」


 今ここで怪物と戦うのは、できれば避けたい。あれは、装備を万全にして、きちんと計画を立てて戦うべき相手だ。しかし一度王都に戻ってその準備をしているうちに、王子の犬に万一のことがあれば、非常にまずいことになる。

 それ以前に、王子の命令を蔑ろにして怪物退治に乗り出したりしたら、王子が何と言うか。


 スヴェンは心のうちで頭を抱えた。王子はあれでいて、国民からの評判は悪くない。なぜなら彼の悪巧みは全て、彼に近しい人間にのみ被害が及ぶように、綿密に計画されているからだ。

 だからスヴェンが、王子の犬を放置して村を救ったとしても、表面上は何も言わない。むしろ村を見捨てたほうが、よっぽど王子は怒るだろう。


(そういうところは、変に常識人なんだよなあ)


 しかし怪物退治を終えた後、王子の犬が無事に帰ってきたとしても、スヴェンが王子の命令を後回しにした件について、その問題を無視してくれるような性格でもない。ねちねちと嫌味を言われ続けるのは、目に見えている。


(それに……王子は本当に、ペットを大切にしてるんだよ)


 王子がたくさんのペットを飼っていることは、この国では有名である。ペットの為にドームを建てたときには、『世界一大きな犬小屋』というタイトルで新聞が出回った。その記事が国民の反感を買わなかったのは、そのドームが王子の私財を投入して作られたものだからだ。ドームを建てる為に王子が倹約していたことなども、同時に報道された。捨てられて処分となるはずであった犬猫を、大量に引き取って育てていることも。

 当時、まだ王子に会ったことがなかったスヴェンは新聞を読んで、若いのに大したものだと感心したのだ。


 ぽちに何かあれば、王子はどれほど嘆くだろうか。


(あー……。くそっ)

 頭をがしがしと掻いて、スヴェンは小さく悪態をついた。


「クリス」

「はい」

「お前、先に戻って上に報告しろ。討伐隊については、お前に一任する」

「構いませんけど……隊長は戻らないんですか?」

「俺は残って、ぽちを探す」


 クリスが息を飲むのが伝わってきた。


「大丈夫ですか? 万一あの怪物と戦闘になったら、さすがの隊長でも、一人じゃあ……」

「その時は全力で逃げるさ。なに、なんとかなるだろう」


 スヴェンはカバンの中を探り、何か書けるものを探した。一応、王子に宛てて一筆書いたほうがいいだろう。


「紙……紙……。ああくそっ。王子の落書きはいい」


 感触だけで探り当てたから、王子が描いたぽちの抽象画が出てきた。さすがにこれを送り返すわけにはいかない。

 スヴェンの手が、ようやく目当てのものを探り当てた。皺が寄ってしまったが、まあいいだろう。硬いカバンを下敷きにしてこれまでの経緯をざっくりと書き連ねていると、突然頭を小突かれて、スヴェンの思考は途切れさせられた。


「おい、何だよ」


 上司の頭を叩いた無礼者は、スヴェンの方など見向きもせずに、虚空を見つめている。その顔には血の気がない。

 それだけで、何が起きたのか、大体の察しがついた。顔を引きつらせて、クリスの視線を辿る。そこには、スヴェンの予想通りのものがいた。即ち、巨大な蛾の怪物が。

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