第10話 村の異変

 結局スヴェンたちは、嫌々ながらも村長の家に寄ることにした。


 村長の家は山の近くに建っていて、つまり駅からは遠かった。道すがら出会う村人が送る、期待の篭った眼差しが肌に刺さる。王家の評判にも関わるから無下にはできないけれども、下手に喜ばせてしまうと、後々面倒なことになりかねない。

 何かの罰のような道中をようやく終え、二人は村長の家にたどり着いた。とりたてて特徴のない、普通の民家だった。


 たまにいるのだ。長であることを利用して、無駄に大きな家を建てる馬鹿が。この村の村長がそういった類の人間でないことに安堵しながら、スヴェンは玄関のベルを鳴らした。間をおかずに初老の男が現れる。


「はい、はい。……はい? どちら様で?」


 駅員の反応からある程度の予想はしていたが、村長はスヴェンが軍人であると名乗ると、涙さえ浮かべて喜んだ。スヴェンの手を両手で掴み、何度も何度も頭をさげる。


 村長はそのままスヴェンたちを部屋へと通すと、冷たい紅茶を出してくれた。クリスが嬉しそうに紅茶に砂糖の塊を投げ込んでいる。

 茶菓子まで用意してから、村長はようやくスヴェンの向かいに腰を下ろした。呪文のように礼の言葉を繰り返している。


「ああ、ありがとうございます。ありがとうございます。これで村は救われます」


 その反応にいくらかの罪悪感を覚えながらも、スヴェンは表情を変えずに淡々と告げた。


「申し訳ありませんが、村長殿。我々はあなた方の抱える問題を解決しに来たのではありません」

「……え?」

「まったくの別件でして。……申し訳ありませんが、すぐにそちらの問題に対応することは難しいかと」

「そ、そんな!」


 なんでも、すでに何度か役人に相談しては、対応を先延ばしにされているらしい。持ち上げられて落とされた村長の心中は、察するに余りある。しかしスヴェンにも、己の身の安全がかかっているのだ。同情ばかりはしていられない。

 今にも泣き出しそうな村長に、なるべく申し訳なさそうな顔を貼り付けた。


「何があったかだけ、お話しいただけますか。私の方からも上に連絡して、人を寄越しますので」


 とびっきり優しく話しかけたのに、なぜだか村長は怯えの色を濃くして震えだした。


「あ、いえ。その……。お、お忙しい中本当に恐縮なので……別に今でなくても」


 村長は涙目で、ちらちらとこちらの様子を伺い、スヴェンの後ろで目を留めた。視線の先にいるのは、おそらくクリスだろう。くるりと振り向くと、クリスが村長に目を合わせて、ゆっくりと頷く。その後、村長は随分と落ち着きを取り戻したように見えた。

 なんだか釈然としないが、とにかくどんな理由であれ、話す気になってくれたのは有難い。


「実は……ここ最近、怪物が出るんです」

「怪物ですか」

 村長は重々しく頷いた。

「はい。巨大な蛾のような生き物で……。幸いまだ被害は出ておりませんが、観光名所にしている山に住み着いてしまったらしく、近頃はめっきりお客さんが来ません。このままでは、この村は……!」


 村長はそのまま崩れ落ちるようにして泣き始めた。あわててクリスがそれを支える。


(なるほど、人的被害が出ていないから、誰も動かなかったのか)


 軍人は腰が重いと揶揄されることは多い。しかしそれには理由がある。物事には優先順位があるのだ。万年人手不足の軍人が、すべての事件に対して満足に対応できるわけではないのが現実だ。だからどうしても、被害のない事件は先送りにされてしまう。

 本来は、民の不安を取り除くことも、軍人の重要な仕事である。村長の主張は正しい。間違っているのは役人の対応だ。


 しかし今は、それ以上に大きな問題があった。

 スヴェンは組んでいた腕を解き、何かを考え込むような仕草で顎に触れた。


「その蛾は、どのくらい大きいんですか?」

「え? えっと。遠目ですので、はっきりしたことは分からないのですが……。そうですね、人間と同じくらいでしょうか」

「それは、凶暴ですか。肉食でしょうかね」

「知りませんよそんなこと!」


 村長が悲鳴のような声を上げた。肉食だったら、いつ村人が襲われてもおかしくない。ついうっかり、その様を想像してしまったのだろうか、村長の顔が青ざめている。珍しくもクリスが、咎めるような視線をスヴェンに向けた。


「隊長、何も今、そんなこと聞かなくても」

「状況を正しく判断することは大事だ」

「ですが」

「特に、これから相対する怪物の情報は、少しでも欲しい」

「はあ?」


 眉をひそめるクリスに対し、村長がはっと顔を上げて、スヴェンに視線を送る。

 その視線に気付いたスヴェンは、ゆっくりと目を細める。


「その怪物、我々で退治しましょう」


『本当ですか!』


 村長とクリスの声が同時に叫んだ。ニュアンスは大分異なっていたが。


「正気ですか隊長! 王子の命令はどうするんです」

「しかしな、クリス。困っている方を放ってはおけんだろう」


 クリスが絶句した。まるでスヴェンが偽物と入れ替わったとでも言いたげに、何度も目をこすってスヴェンをじっと見た。

 スヴェンは深くため息をついた。


「お前も軍人なら、国民の声は聞くものだ。

 何しろ、大型犬さえ食えそうな大きさの、肉食かもしれない怪物が、この村の付近に出没しているんだ。万一、食われでもしたらお前はどう責任を取るつもりだ?」


 はっと、クリスが息を飲んだ。スヴェンの意図が伝わったのだ。


 そう。その怪物がどんな生き物かは知らないが、もし万一、王子の犬がその蛾に食われでもしたら? そうでなくても、傷付けられていたら?

 もしも王子が寄越した情報が正確であったなら、怪物など無視して犬を探すのも手だった。しかし結局ぽちについて分かっていることは、緑の首輪をしているということだけ。現代の発信機の精度では、村の付近にいることしかわからない。持久戦になるのは見えている。


 だとすれば、不安要素である怪物を、先に始末した方がいい。幸いにもここにいる二人は、軍の中でも手練れだ。怪物ごときに遅れは取るまい。


 今、スヴェンとクリスの心は一つになった!


「隊長、俺が間違っていました!」

 芝居がかった仕草で、クリスが男泣きに叫んだ。


「こんなに苦しんでいる村の人を無視するだなんて、そんなことをしたら王子直属護衛隊、君影隊の名が泣きます!」

「やっと分かってくれたかクリス! そうだとも、さあ俺たちでこの村を救おう!」


 二人の真意になど一切気付いた様子を見せず、村長が感涙にむせていた。


「ああ、なんと親切な方々だ! お二人の仕えている王子様も、きっと素晴らしい人格者に違いない!」

『いや、それはない』


 ほとんど条件反射で、スヴェンもクリスも、それだけは全力で否定しておいた。

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