七つの鯨の物語
たまき
はじまりを物語とゆけば
彼は、その
時期ごとに住む場所を変える生活をしていたおばあさまの一族にとっては、白い鯨は移動時期を知らせる大切な存在だったのだという。寝物語として聞いたその話を、わたしは今でも忘れることができないでいる。身体中に、その物語は染み込んでいた。
おばあさまから聞いた話によると、おばあさまの子どもの頃には今よりもっとたくさんの鯨が空を泳いでいたという。白い雲の隙間を縫うように、堂々と進んでいく姿を見ることができた。しかし、次第にその数は減り、最後に彼だけになってしまった。気がつけば姿を消す鯨たちが最後に辿りつく先を誰も、知らない。
彼は少しだけ寂しそうに、仲間が減っていくのを見つめていた。まあるい瞳で、その姿を見送っていた。そして、彼はひとりで寒くなると移動をはじめ、空気があたたかくなると、再び姿を現した。
不思議と鯨たちと意思を通わせることができたというおばあさまに小さいころからついて歩いていたわたしには、鯨たちとの交流は特別なことではなかった。その頃には、おばあさまはおじいさまと定住する生活を選んでいた。
「おはよう、今日は元気?」
わたしが話しかけると、こちらに口先を軽く押し付けるような仕草をする。そして、大空へとふわりと浮かび上がるのだった。わたしはその姿をいつまでも見つめていた。
今でも、目はその白い影を追い続けている。
四角く窓に切り取られた景色は、その世界を狭くする。しかし、彼は何度も切り取られたその向こう側に姿を見せた。それは、絵画のようにうつくしかった。
白い身体に雨を浴びる姿も、夕陽に染まる身体で泳ぐ姿も、月明かりに輝く姿も、何もかもが神秘的で、わたしの何もない一日を彩るようだった。
「ごめんなさい、一人にしてもらえますか?」
横たわる寝台から空を眺めながら、わたしの世話をしてくれている葛に声をかけた。彼女はその頼みに、思案するように眉根を寄せる。少しだけなら、と頷いた彼女に、心が痛む。その痛みに気がつかなかったふりをして、ありがとうと頷いた。わたしはどうしても一人になりたかった。
病を患い、部屋から出られなくなってしばらく経つ。身体は重く、もうわたしの思う通りには動いてくれない。それでも、わたしは彼に会いたかった。
重い身体を引きずって、外へ出る。やっとの思いで木の根元まで移動すると、苔でやわらかくなっている根の間に身を沈めた。目を閉じれば、身体が縫い止められたようにずんと重さを増した。もう、動くこともかなわない。
最後に、わたしは祈った。彼の行く道が幸せであることを。
彼に願おう。また巡り会えたら、その時はそれまでのことをたくさん話してくれるように。
そっと、彼がわたしの元へ訪れた。触れた、そのやわらかい感触に弱々しい笑みを返す。目を薄く開ければ、頭上に広がる青い空が目に焼きつく。彼の白い身体が眩しい。
響くように低い音から高い音へと変化する、彼の歌を子守唄に静かに目を閉じた。
おやすみ、また目を覚ますその日まで。
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