6.早朝メールとバイト仲間

an early morning male and a mate of a part-time job


 片山祐樹ほど馬鹿で迷惑な後輩には未だかつて出会ったことがない、と秋山あきやま尚央なおは昨夜からずっと憤慨していた。

 どうしてこんなことになったのか。というより、どうして自分がこんなことに巻き込まれなくてはいけないのか。本当に迷惑だ。

 朝、出社するなり上司に呼ばれ、狭い会議室で昨夜のことを詳しく説明するようにと言われた。うんざりしたが、逆らってもしょうがないのでゆうべ警察に説明したのと同じことを話した。君はやってないんだろうねと何度も念を押され、その都度やっていませんと答えた。最後にはキレて暴言を吐きそうになったが、その直前に解放されたので、尚央は職を失わずに済んだ。

 オフィスに戻ると、今度は同僚たちの好奇の目にさらされた。さすがに直接不躾な発言をしてくる者こそいなかったが、皆の考えていることは手に取るように分かった。自分と片山が揉めていて、それで刃傷沙汰になったのだろうと。

 そこへまたさっきの上司から声を掛けられた。警察が事情を聞きに来ているから、応じるようにと。昨夜話しましたと言うと、警察というところは何度でも聞きたがるから、逆らわずに相手をするしかないよと気の毒そうに言われた。もう今日は仕事にならないなと諦めた。同僚に後を任せ、応接室に向かった。


 思えば、十日前のあの一件のメッセージからこの災難が始まったのだと尚央はため息をついた。

 あの日、尚央は早朝の新幹線に乗り込み、月に一度の出張で東京に向かった。

 座席に落ち着くとキオスクで買った缶コーヒーを開け、飲みながら出張で使うすべての書類に目を通した。前日は通常業務の他に出張の準備で遅くまで残業し、そのあと同僚と飲みにも行ったので帰りが遅くなり、寝不足で頭がよく回らなかったが、乗り物の中で眠ると起きたときに決まって頭痛を起こすという困った体質の持ち主だったので、とりあえずは寝ないようにしようと頑張った。

 そこへスマートフォンがメッセージを受信した。画面を見て、なぜこんなときに送られてきたのだろうかと不思議に思いながらメッセージアプリを開いた。


【――おはようございます。出張ご苦労様です。実は、秋山さんに聞いてもらいたい話があるんです。戻られたらご都合の良い日にお時間取っていただけませんか? お返事お待ちしています――】


 メッセージの主は樫村かしむら蓉世ひろよという女性で、会社の後輩だった。入社してすぐの頃は尚央と同じ部署にいたが、二年も経つ頃に体調を崩し、半年ほど休職していた。おっとりしている割には責任感が強かったため、人使いの荒い当時の上司にあれこれこき使われた挙げ句の神経性の胃潰瘍だった。そして快復後に復帰した際、非情にも部署での彼女の居場所はなくなっていた。彼女のあとに入ってきた社員が、あっという間に彼女の仕事を難なくこなせるようになっていたからだ。まもなく隣の部署に欠員が出て、蓉世はそっちへ配置替えとなった。今、彼女のいる部署がそうである。そこでは以前のように仕事に追いまくられるようなことはなく、彼女の体調もすっかり良くなったが、どうやらあまり面白くないらしい。それで時々、辞めたいという思いが波のように押し寄せてきて、入社当初から何かと面倒を見ていた尚央に泣きついてくるのだった。

 尚央はため息を漏らし、蓉世への返信を打った。

 打ちながら、自分がこの蓉世のように相談ごとを人に話すということをしなくなってどれくらい経つだろうと考えた。

 きっと、蓉世みたいな相手が出来たからだ。つまり相談するよりも、される相手。

 もう若くなくなったのかなあ、としみじみ思いながら、車窓に現れた富士山をぼんやりと眺めた。


 それが十日前のこと。

 蓉世とは現在、連絡が取れない状態だ。

 応接室の前まで来ると、尚央は大きく深呼吸をした。落ち着け、と心の中で強く自分に言い聞かせ、ドアをノックした。


「――失礼します」

 ノックのあとに若い女性の声がして、ドアが開いた。鍋島と芹沢はほぼ同時に立ち上がった。

 部屋に入り、ドアを閉めて向き直った女性は丁寧に一礼し、顔を上げた。利発そうな強い眼差しにナチュラルメイク、やや線の細い卵型の顔に毛先を少し外に跳ねさせたショートボブがクールな印象を与え、その中でも髪を掛け、片方だけ見せている耳のピアスが華やかさを演出していた。

「秋山尚央さんですね」鍋島が言った。

「はい」

「お仕事中に大変申し訳ありません。昨夜の片山さんの件で少しお話を伺いたいのですが」

「警察の方には昨日、全部お話ししましたけど」

「ええ、何度もすいません。実はこちらの勝手な事情で大変恐縮なんですが、我々が担当を引き継ぐことになりまして。お手数ですが、もう一度詳しくお聞かせ願いますか」

「……分かりました」

 そんな事情はこっちには関わりのないことだと逆らっても無駄なことだと分かっていたので、尚央は頷いて刑事たちの向かい側に腰を下ろした。

 そしてあらためて目の前の二人を見直した直後、尚央はあっと声を上げた。

「どうかしましたか」鍋島が訊いた。

「え、あの――」

 尚央は芹沢を凝視したまま言った。「……もしかして……芹沢くんよね?」

 えっ、と芹沢は目を見開いた。

「ほら、あたし。覚えてない?」尚央は少しだけ笑顔になった。「学生のとき、居酒屋のバイトで一緒だった」

「あ――」と芹沢は思い出したような表情を浮かべ、自分の手帳に目線を落とした。尚央の名前をあらためて確認したのだ。「……そうだ。尚央さんだ。この字、覚えてる」

「最初、シフト表見たときは男だと思ってたって、言うてたよね。何て読むのかなって」

「そう。毎日のように遅い時間までガンガンシフト入れてるから、初めて一緒になるまではてっきり男だと思ってた」芹沢は言うとにっこり笑って尚央を見た。「そしたらこんな美人なんだもん。ラッキーって」

「またまた、相変わらず口が上手いね」尚央は大きく表情を崩した。

「いや、ホントだよ。あんときの俺のベスト3に入ってたよ。つーか何ならベスト1だったかもなぁ」

「ベスト1の顔、そんなすぐに忘れちゃうんだ」と尚央は苦笑した。

 芹沢はあいた、という感じで片目を閉じた。「あんま俺、長くいなかったしさ」

「そうよね、結構早く辞めたよね」

「尚央さんは? 卒業までやってたの?」

「うん、一応ね。でも就活が始まるとあまり行かなくなったけど。だから芹沢くんが辞めたのもずっとあとで知ったの」

「そうなんだ」

「芹沢くん、突然辞めたんだってね。理由もはっきり言わなかったって、店長言ってた。で、ホストクラブとかに鞍替えしたんだよってことになってた。あの顔だもん、相当稼ぐよって。居酒屋の店員なんか馬鹿らしくてやってらんないよなって」

「まさか」と芹沢は顔の前で手を振った。「そんな才能ないよ」

「とか言っちゃって、自分では――」

「あのーいいですかねそのへんで」

 ついに鍋島が口を挟んだ。はっとして言葉を切った尚央を見つめ、それから芹沢にも視線を向けると静かに言った。

「……続きはまたメシ食いながらでもやって」

 ごめんなさい、と尚央は口元に手を当て、芹沢もちょこんと頭を下げた。

 鍋島はひとつ咳払いをすると、あらためて尚央を真正面から見据え、テーブルの上で両手を組み合せて言った。

「では、昨夜の秋山さんの行動についてですが――」

 こうして、ようやく秋山尚央の事情聴取が始まった。

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